たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2002年3月15日執筆  2002年3月19日掲載

ローマ字が書けますか


ローマ字が書けますか? ……なんと挑発的なタイトルだろう。そういうおまえは書けるのか、と問われれば「書けません」と答えるしかない。
はい。私はローマ字が書けません。正確に言えば、未だに「正しいローマ字表記」とはどういうものなのか、よく分かっていません。I confess.

ローマ字とはそもそもなんなのだろう? 国語事典を引いてみた。

ローマ字 ギリシア文字を基礎としてできたラテン文字。通常26文字から成る表音文字体系で、現在も世界じゅうで使用されている。アルファベット。

どうも予期していたものとは違う答えが出てきてしまった。えっと、これじゃなくて、こっちのほうですね。

ローマ字綴り 日本語をローマ字で書き表すこと。つづり方には、ヘボン式・日本式・訓令式がある。(集英社国語事典より)

普通、我々が「ローマ字」と言う場合、この「ローマ字綴り」のことを言っていることが多い。今回の話題も、もちろんこの「ローマ字綴り」のほうである。日頃当たり前のように使っているつもりのローマ字だが、実はいろいろ不思議なことがある。


【基本編 ローマ字綴りの歴史】

よく知られているように、訓令式とヘボン式では、以下の14文字の表記法が異なる。

シ(si/shi) シャ(sya/sha) シュ(syu/shu) ショ(syo/sho) チ(ti/chi) ツ(tu/tsu) チャ(tya/cha) チュ(tyu/chu) チョ(tyo/cho) フ(hu/fu) ジ(zi/ji) ジャ(zya/ja) ジュ(zyu/ju) ジョ(zyo/jo)

また、これは無視されることも多いが、b、p、m の前の「ん」は n ではなく m と書くという細則・付則もある。「トンボ」は「tombo」となるわけだ。
実際、難波の表記は「NAMBA」となっているものが多いし、郵政省の商品名「かんぽ(簡易保険)」のロゴも「Kampo」となっている。でも、電報は「DENPO」だったりする。

さらには、「日本式」ローマ字というのがある。訓令式と似ているが、「」を wo と表記し、ヂ ヅ ヂャ ヂュ ヂョ を、di du dya dyu dyo と、 d を使って表記する点が違っている。(訓令式では「を」も o で、ヂ ヅ ヂャ ヂュ ヂョ もすべて z を使い、ジ ズ ジャ ジュ ジョと同じように zi zu zya zyu zyo と表記する)。

日本語をアルファベットで表記しようという試みは、1591年、キリシタン関連の本が出版されたときが初めてらしい。このときは日本語をポルトガル式の発音に直したそうだ。
その後、日本語をオランダ式やドイツ式、フランス式に書き表す試みが重ねられ、1867年には、アメリカのJames Curtis Hepburnという宣教師が「和英語林集成」という本を書いて、この表記法がいわゆる「ヘボン式ローマ字」として浸透した。

スペルを見れば分かるように、ヘボンは、かの女優と同じ姓「ヘップバーン」だ。実際、オードリー・ヘップバーンとは無関係らしいが、キャサリン・ヘップバーンのほうとは血縁関係にあるらしい。「ローマの休日」主演:オルドリイ・ヘボン ……なんて表記されていたら、彼女の美貌にもちょっと影が差しただろうか? (いえ、深い意味はございません)

日本式ローマ字は、1885年、物理学者・田中館愛橘(たなかだてあいきつ)が提唱したもの。これらを修正する形で、1937年に文部省が訓令式ローマ字を発表。現在も、文部省の学習指導要領によれば、小学校4年生で訓令式ローマ字を学ぶことになっている。


【疑問その1 訓令式ローマ字はどこで使うのか?】

ところで、学校で学んだ訓令式ローマ字を、普段、街中で見かけることは滅多にない。駅の看板や道路案内板などで、訓令式ローマ字で表記されているものを見たことがあるだろうか? 「富士見町」という地名を「HUZIMITYOU」と記してある看板や案内板はまずない。ほとんどは「FUJIMICHO」だろう。
さらには、人名の表記。パスポートには名前をローマ字表記で書かなければならないが、ここでも訓令式ローマ字は認められず、ヘボン式ローマ字に統一されている。
だったら、最初からヘボン式でいいじゃないか、と誰もが思う。そもそもヘボン式ローマ字って、学校で正式に教えてくれたっけ?


【疑問その2 長音はどう表すのか?】

パスポートの申請では、当初、「ヘボン式ローマ字について、次のものは特に誤りやすいので注意してください 長音:記入しない 例)おおたOTA」などと指導されていて、一切の長音表記を認めていなかった。従って、王さんは「O」だし、大野さんと小野さんは同じ「ONO」となる。OYAMAさんが「おおやま」さんなのか「おやま」さんなのかも、ローマ字表記を見ただけではまったく分からない。
これはまずいんではないか、という意見が出たのか、2000年4月から「OHNO」というように、Oの後にHを入れる長音表記も認められるようになった。しかし、これって一体、誰がどういう権限で「認める」とか「認めない」と決めているんだろうか。外務省?

お上が指導しているパスポートへの名前表記でさえこれだけ曖昧なのだから、ローマ字綴りというものは、未だに完成されていないと考えてもよさそうだ。
例えば、「おお」以外の長音表記はどうするんだろう。
「大山」さんは仮名では「おおやま」と表記する。「おうやま」ではない。でも「道路」は「どうろ」であって「どおろ」とは書かない。同様に、「相馬」さんは、仮名で書けば「そうま」さんで「そおま」さんではない。仮名で「おう」と表記するものに関しては、長音は記さないのか。それとも「ou」と表記するのか?
多分 Sohma とは書かないのだろうと思う。Soma か Souma か……。しかし、外国人にとって「大場」さんが「Ohba」さんで、「相馬」さんが「Soma」さん、あるいは「Souma」さん、というのは理解しがたいだろう。
「ゆう」や「よう」も、どう表記するのがいちばん「正式」なのか、よく分からない。
「中央高速道路」をローマ字で表記するとどうなるのか? Chuo Kosoku Doro? それとも Chuuou Kousoku Douro? 「遊園地」はYuenchi なのか Yuuenchi なのか?

そういえば、学校で習ったローマ字には長音記号というのがあった。^ ってやつだ。しかしこれは、コンピュータ上では扱えない。この時点ですでに、長音記号というのは失格だろう。コンピュータで入力できない記号なんて、公式に認めたところで使いようがないのだから。


【今なお続くローマ字論争】

ローマ字綴りをどうするかは、今までにもいろんな意見が出された。ヘボン式ローマ字と訓令式ローマ字では、発想がまったく違う。ヘボン式は、アメリカ人(英語国民)から見て、いかに音と綴りが違和感なく結びつくかという考えで考案されている。「ち」を chi とするのはまさにそれで、ti では「ティ」と発音してしまうから、という発想だ。
しかし、chi は、フランス語なら「シ」、ドイツ語なら「ヒ」、イタリア語なら「キ」と読むのが自然だ。ヘボン式ローマ字に否定的な人は、「アメリカ人が勝手に自国の都合に合わせて作ったルールじゃないか。日本語は日本語なんだから、アメリカ語の発音に従うことはない」という意見を主張することが多い。
訓令式ローマ字は、音は無視して、あくまでも日本語の50音にアルファベットを割り振る約束事として割り切っている。「た」の子音と「ち」の子音が違っていることはどうでもいい。50音の表の中では同じ「た行」なのだから、同じtで表せばいいし、そう「決める」のだから、外国人がどう発音しようが知ったことじゃない、という発想だ。
考え方が根本的に違うから、どっちがいいかという論争は、いつまで経っても平行線をたどる。


【じゃあ、どうすればいいのか?】

日本という国はつくづく不思議な国で、文化の根幹となる文字や言葉をきちんと定義できずにいろいろと問題を起こす。戦後の「当用漢字表」(1946年公布)は完全な失敗。その3年後に公示された「当用漢字字体表」の新字形だけが定着したが、このとき、当用漢字以外の漢字については明示しなかったため、その後ずっと、しんにょうの点が2つのものと1つのものが混在するなどという妙なことになってしまった。これをクーデター的に強引に修正しようとした悪名高き「83JIS事件」も勃発。ようやく最近になって、国語審議会が「表外漢字字体表」とか「簡易慣用字体」などというものを答申している始末だ。
誤解しないでほしいのは、あらゆる部首を新字形に統一することがいいとか悪いとか言っているのではない。きちんと決めておかないから、後々みんなが困ると言っているのだ。

ローマ字も同じで、文部省は訓令式を教え、外務省はヘボン式を使えと言う。いろんな表記が入り乱れているのに、これは間違い、これが正解と決める基準がない。そんなんでいいのだろうか? いいはずがない。
実際に訓令式ローマ字がほとんど使われていないことや、コンピュータ社会になって、英語を国際語として無視できなくなった現状を鑑み、とりあえず、こんな風にしたらどうだろう。

1)ヘボン式を正式に採用し、この際「アメリカ式ローマ字表記」とでも呼ぶことにする。「ち」をchiと綴るのはまさにアメリカ式であり、イタリア式やフランス式ではないのだから。どうせ日本はアメリカべったりですよ、という自虐の意味も込めて、「アメリカ式」と呼べばいい。

2)長音表記については、仮名で「おお」と書く場合は「oh」も許容するが、それ以外「おう」も「よう」も「ゆう」も、すべて長音表記はしないことにする。「遊園地」は「yuenchi」、「中央高速道路」は「Chuo Kosoku Doro」。

3)b、p、m の前の「ん」を m とする細則は無視する。そうすることで、せめて「ローマ字表記は英語じゃないんだ」と、最低限開き直る。

しかし、これだと「王」さんは「おう」さんだから「O」になるのだよね。ユニフォームの背中の文字が、背番号ゼロに見えてしまう? また、OHASHIが「おおあし」か「おはし」か区別できないといった問題も依然として残る。やはり2)に関してはなかなか決定打が出ないようだ。


【オマケ】

自分の名前を訓令式ローマ字で表記すると、「俺はアメリカなんか嫌いなんだよ」という自己主張ができる。お洒落かもしれない。
商標登録やロゴマークなどは、「商標」なのだから、どんな表記であってもよい。今でも、ローマ字綴りとは違った「ローマ字の商標」はいっぱい存在する。
YANMAR(ヤンマー)、NORITZ(ノーリツ)、YASKAWA(安川グループ)あたりは、英語により近づけようとした結果だろう。MAZDA(マツダ=東洋工業)は、創業者の名前と同時に、車輪を生んだメソポタミア文明の神、アフラ・マズダーにかけているらしい。
MEIDI-YA(明治屋)あたりになると、なんだかよく分からない。よほどこだわっているらしいことは窺えるのだが……。あと、新庄選手の「SHINJYO」も、よく分からないなあ。キャラクターに合っているといえば合っているかもしれないが。
a blue bottle (c)tanuki

■挿画 a blue bottle (c)tanuki (http://tanuki.tanu.net)






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