2004年6月25日執筆 2004年6月29日掲載
1000兆円が入る財布
先日、国の借金が700兆円を超えた、というニュースが報じられた。
この手のニュースに接するたびに思うのだが、この「国の借金」とか「700兆円」の中身がピンと来る人って、いるのだろうか。
まず「国の借金」とはなんなのだろう。日本政府の借金という意味なのか? それとも日本国民全体の借金という意味なのか?
借金というからには、誰か(あるいは実体のある組織)が、他の誰か(あるいは実体のある組織)からお金を借りているということであるはずだ。借りているのは誰で、貸しているのは誰なのか。「国」という言葉は、いつも定義が曖昧で、ごまかされる。
新生児から寝たきり老人まで含めた国民1人当たりの借金は550万円、などという説明もされるが、この「国民1人あたり550万円」にしても、国民は国に550万円貸しているのか、それとも「国」の一員として550万円借金していることになるのか、僕のように飲み込みの悪い人間に分かるよう、きちんと説明してほしいものだ。
で、次に700兆円という金額は一体どういうものなのか想像してみる。
「借金」の総額は、正確には703兆1478億円だそうで、この1年で34兆円膨らんだとか。
この「1年で34兆円」というのも、さらっと言ってくれるが、1世帯あたり約80万円と考えると、とんでもない数字であることが(多少は)実感できる。
たった1年間で、各世帯主は80万円もの大金を「貸した」ことになる、あるいは勝手に国という名義のもとに「借りられた」ことになる。1年80万円というのは、ひと月約6万6千円。世の中には6万円以下の家賃の家に住み、その家賃さえ払うのが精一杯という人たちはたくさんいる。そういう世帯からも問答無用でお上は毎月毎月6万6000円ずつ「借金」しているのである。毎月6万円ずつ借金して(しかも返さないで)平気な人間がいるとしたら、それはもう、まともな神経ではないよなあ。
さらには、地方の長期債務が約200兆円。特殊法人が発行する債券などを国が保証している「政府保証債務」が58兆円など、なんだかんだひっくるめると、日本という「国」には1000兆円近い借金があるらしい。
1000兆円???
これだけ大きな金額になると、一般人にはまったく想像がつかない。兆の単位が3桁4桁になると、もはや億の単位などは「端数」という感覚になる。ましてや万の単位などは、あってもなくても関係ないようなもの。
普通の人の財布には、せいぜい万の単位の金しか入っていない。日頃動かしている金額もそんなものだ。日常生活で億の金を動かすなんてことはまずない。
2枚で480円のパンツと1枚980円のパンツ、どっちを買うべきかで悩んだりする。1枚980円のパンツのほうが、ちょっと柄がお洒落だ。お洒落なパンツをはくことでささやかな幸福感が得られるならいいじゃないか……いや、まてよ、そのパンツを見るのはどうせ俺だけじゃないか。だったら多少ダサい柄でも2枚480円のほうにして、差額の500円で靴下を買ったほうがいいじゃないか……そういうレベルで悩むのである。
あるいは、預金口座に貯まった100万円を、そのまま普通預金として寝かせておくか、外貨に替えるか、株にでも投資するか……なんてことで必死に悩んだりする。
では、兆の金を扱ったり考えたりしなければならない人の頭は、1枚980円のパンツにするか2枚480円のパンツにするかで悩む人よりずっとできがいいのだろうか?
多分、彼らの頭のできも、我々とそうは変わらない。このところ話題になっている年金行政や特殊法人問題を見ても分かるように、巨額の金を扱う人たちは、お粗末な計算や杜撰な読み、自分可愛さの天下り先確保工作などで、とんでもない額の金を無駄にしている。むしろ、若いときからお金に苦労していないおぼっちゃまが多い分、お金の扱いに関して、まともな判断力や良心がすぽーんと抜けている可能性もある。
官僚は、高学歴で学生時代の成績も優秀だったろうが、机上の数字だけ見て専門家のつもりになっている人が多すぎる。
人間も含めて、あらゆる生命体の活動を支えているのは地球の「循環能力」だ。わがままが許されるのは、あくまでもその循環能力の範囲内に限られている。工業生産や穀物生産の上限も、地球が置かれた自然環境や生態系システムによって最初から決まっている。排泄能力を超えた飲食物は摂取できない。排泄物が捨てられない環境では生きていけない。
今、日本という国がやっているでたらめは、そのでたらめを許容し、負荷を負っている別の誰か(人間とは限らない)、別のどこかがあるから、かろうじて破綻の時期を先延ばししているにすぎない。
経済活動を支えている根源的な仕組みを考えようとせず(あるいはそういう発想を持ったことさえなく)、こっちに○兆円、こっちに△兆円、そのためにはここから××億円などとやっている人たちに、我々は運命を託しているのだ。
金の話も兆の単位になると、我々一般人はなんとなく思考停止してしまいがちだが、もはや笑い話や他人事で済ますわけにはいかない。
1000兆円(マイナス1000兆円?)が入る財布を握る人たちの一部を選ぶ時期が近づいてきた。せめて、「面白がって」選ぶのだけはやめてほしい。その人には、1000兆円が入る財布を扱う能力があるのか? 選ばれた「議員」は、任期中、何もしなかったとしても、所属政党の一員として、強行採決の際の1票としては機能するのである。あな恐ろしや!
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