たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2004年8月6日執筆  2004年8月10日掲載

絶対に負けられない

もうすぐオリンピックが始まる。
過去のオリンピックで、感動を呼ぶ場面はたくさんあったが、その中でもいちばん印象に残っているのは、ソウルオリンピックの開会式で、孫基禎(ソン・キジョン)さんが聖火ランナーとして競技場に踊るようにしながら走り込んできた場面だ。
以前にも書いたが、このときは涙がぼろぼろ出て止まらなかった。

孫さんは、南昇龍(ナム・スンヨン)さんと共に1936年のベルリンオリンピックにマラソン代表として出場。孫さんが1位、南さんが3位に入った。
当時、朝鮮半島は日本が占領していたため、二人は「日本代表」として出場し、表彰台から日の丸を見上げなければならないという悔しさを味わった。
それから半世紀以上経った1988年、孫さんはようやく祖国の地で開かれたオリンピックで、祖国の国旗を持って「ウィニングラン」することができた。

その4年後のバルセロナ大会、男子マラソン。これもまた非常に印象深いドラマだった。
猛暑のサバイバルレースで最後まで残ったのは、韓国の黄永祚選手と日本の森下広一選手。二人は競技場手前まで死闘を続けたが、最後のモンジュイックの坂で森下が脱落。黄が優勝を飾った
この場面を見ていた多くの日本人は、「ああ、相手が悪かった」と思ったに違いない。
このときの黄選手は、日本人選手にだけは絶対に負けるわけにはいかなかった。彼の背中を、すべての朝鮮人が念力を送って押していたはずだ。
このレースでは、谷口浩美選手が、途中、給水所で足を踏まれて転倒し、靴が脱げるという大アクシデント。転倒地点からゴールまで、最も速く駆け抜けたのは谷口で、もし靴が脱げなければ優勝していたかもしれない。ちなみに中山竹通選手は前回ソウル大会に続いて4位。中山が2大会連続でメダルを逃したのも記憶に深く刻まれた。

人生において、ここだけは絶対に負けるわけにはいかないという勝負どころがある。
バルセロナ大会男子マラソンの黄選手はまさにそうだった。
1999年世界陸上スペイン・セビリア大会女子マラソンでのチョン・ソンオク選手(北朝鮮)もそうだ。併走するのが日本人選手(市橋有里)でなければ、あそこまで頑張れなかったかもしれない。

先日、長岡の大花火大会を見てきた
今年は、長岡の花火史上初めて、韓国から花火師チームを招待し、トリを「韓国花火」で締めくくったのだが、これがまあ、ものすごかった。
とにかく凝っている。規模もハンパじゃない。これでもかというくらい、技術の粋をこらした花火が執拗に打ち上がる。どどどーーーーん、ああ、終わったか……と腰を浮かして帰りかけた客に追い打ちをかけるように、再びドカンドカン上がる。
日本の花火は世界一と言われているけれど、いやいやいやいや、完全に脱帽ですね。韓国花火には。
これもやはり、「日本一を自負する長岡の花火に乗り込むからには、絶対に負けるわけにはいかない!」という韓国の花火師たちの意地が結集した結果かもしれない。

「負けるわけにはいかない・石工編」というのもある。
福島県白河市の借宿・新地山の登山口に、松平定信が詠んだ「世々へても心の奥に通ふらし 人忘れずの山の嵐は」という歌を刻んだ歌碑がある。
新地山は、古来の歌枕「人忘れずの山」として有名で、阿武隈川をはさんで向かい合う「人懐かしの山」こと木ノ内山と合わせて、古代浪漫の香りが残る場所だ。
この新地山登山口には、我らが(……勝手に身内にするなって……)小松寅吉が、明治26年に狛犬1対を建立している。同じ場所に、下に亀、てっぺんに龍をあしらった巨大な灯籠もあり、これも寅吉の作品だ。
しかし、この場所でいちばん目を引き、一種異様な存在感を放っているのは、松平定信の歌碑を取り囲む「石柵」である。表にも裏にもびっしりと精緻な彫刻が施された巨大な石の柵。この柵のおかげで、中の歌碑はほとんど見えない。
なぜこのようなとてつもないものがここにあるのだろうか?

謎解明の鍵を、狛犬仲間の山田敏春さんに教えてもらった。
中に隠された(まさに石柵のおかげで「隠されて」しまっている)歌碑をよく見ろ、というのだ。
この歌碑には、[明治三十年五月 井亀泉]と刻まれている。
井亀泉(せいきせん)とは東京の有名な石屋・酒井八右衛門のこと。明治30年だと、名人といわれた二代目八右衛門にあたる。
これで、異様な石柵の謎がなんとなく解けてくる。

つまり、発注者は、明治26年に地元(寅吉工房は現在の浅川町福貴作にあるので、多少は離れているが同じ福島県)の名工・小松寅吉に依頼して狛犬を建立していたが、歌碑を建立するにあたっては、東京の「ブランド石屋」である酒井八右衛門に依頼した。
その後、歌碑の周りにちょこっと囲いでも施工してくれと、再び寅吉に依頼したのだろう。
寅吉としては当然面白くない。
地元の名工と呼ばれる俺の腕では不満なのか。そんなに「井亀泉」ブランドがいいのか、と、憤懣やるかたない思いで歌碑を見たことだろう。
歌碑の完成後、囲いを作ってくれという依頼があったとき、寅吉は「冗談じゃねえ」と蹴ることもできた。しかし、彼はそうせず、技と力で意地を示した。
中の歌碑が見えなくなるほどの巨大で壮麗な石柵を作ってしまったのだ。
完成後に現場を訪れた発注者は、さぞ驚いたに違いない。
「と、と、とらさ~ん、これじゃあ主役の歌碑が見えないじゃないの……」
慌てても後の祭り。相手は石だから、簡単にどかすわけにもいかない。

そんなドラマを想像しながら石柵を見ると、2倍楽しめる。寅吉にとっては、この仕事は「絶対に負けるわけにはいかない」仕事だったのだろう。

で、だいぶ脱線したが、話をオリンピックのマラソンに戻す。
ソウルオリンピックの男子マラソン代表選考は、事実上、前年の福岡国際マラソンでの一発選考が暗黙のうちに決まっていたのに、直前、エース・瀬古利彦選手の怪我によって、陸連は急遽、びわ湖毎日まで選考対象にするとした。
ライバル中山竹通が、このとき「瀬古さんは這ってでも出てくるべきだ」と言ったとか言わないとかで、メディアは大騒ぎ。
福岡はみぞれの降る最悪のコンディションだったが、怒りの中山はスタートからいきなりぶっ飛ばした。なんと途中まで世界最高のペース。ぶっちぎりの優勝で文句なく代表になったが、最後のひとりをめぐってはもめにもめた。
この怒りをそのままオリンピック本番に持ち込めれば、中山はもしかして優勝できたのではないかと、僕は今でも残念に思っている。
しかし、陸連はオリンピック直前に、中山と瀬古の「手打ち」を演出した。笑顔で握手する2人……ああ、見たくなかったぜ、こんな絵は。
あれで、中山にとって「絶対に負けられない」勝負がかすんでしまった。
中山には雑草魂こそ似合うのだ。中山が、寅吉と同じ気持ちでソウルオリンピックに臨めたら……。

ま、過去のことはしょうがないわね。
アテネオリンピック、歴史に残る「負けられない勝負」のドラマはどれくらい見られるのか? 楽しみ楽しみ。

新地山の石柵
■問題の石柵と小松寅吉
石柵の上にちょこっとだけ見えているのが中にある歌碑
(福島県白河市借宿)

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