たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2004年10月26-30日執筆  2004年11月2日掲載

我が家壊滅

第一報

2004年10月23日午後6時前。
僕は川崎市の仕事場で、このところすっかり更新をさぼっていた「Moreソフ得!」のページ追加作業をしていた。
地震がきた。震度3くらいだろうか。揺れながらも、大したことにはならないだろうとたかをくくり、そのまま作業を続けていたが、揺れが収まってすぐ、同居人が内線を鳴らした。
「新潟中越で震度6強ですってよ」
中越……震度6強……。
頭の中でその意味を噛みしめると同時に、背筋が凍る思いがした。
越後の我が家は……。

すぐに作業をやめて、テレビを見る。
小千谷市という文字が出て、真っ青になる。我が家は小千谷市に吸収合併の話が持ち上がっている、隣接する川口町。小千谷はいつも買い物に行く町である。
震度6強とはどういうものなのか。
WEBで調べると、震度には0から7までの10段階(5と6は強弱で2段階ずつに分かれる)あり、震度6強は一番上から2番目になっている。具体的には、

立っていることができず、はわないと動くことができない。固定していない重い家具のほとんどが移動、転倒する。戸が外れて飛ぶことがある。
多くの建物で、壁のタイルや窓ガラスが破損、落下する。補強されていないブロック塀のほとんどが崩れる。 耐震性の低い住宅では、倒壊するものが多い。耐震性の高い住宅でも、壁や柱がかなり破損するものがある。
耐震性の低い建物では、倒壊するものがある。耐震性の高い建物でも、壁、柱が破壊するものがかなりある。
ガスを地域に送るための導管、水道の配水施設に被害が発生することがある。
一部の地域で停電する。広い地域でガス、水道の供給が停止することがある。
地割れや山崩れなどが発生することがある


……とある。
この時点で覚悟を決めた。
我が家のことは、先日このコラムでも少しだけ書いた
川口町の山奥の小さな集落にある。小千谷が被害の中心だとすれば、確実に我が家もやられている。
しかも、ほんの1時間も経たないうちに、その「震度6強」が二度三度と襲っているという情報が流れる。
思わず脱力していった。

そこからはほとんどテレビを見続けていた。
情報は小千谷市や長岡市に偏っていて、川口町という名前はほとんど出てこない。
23日の時点では、最後の最後に「その他、川口町の一部」などという言い方で、まるで付け足しのように触れられただけだった。小千谷がやられているのなら、川口町も同じはずだ。
しかも、被害がひどい地点がだんだん明らかになってくるにつれ、むしろ小千谷市より川口町のほうが震源地に近いのではないかと確信できるようになった。

翌24日

山古志村や小千谷がクローズアップされ始めているが、川口町はまだニュースにはほとんど登場しない。
電話・電気・水道・ガスのすべてが止まっているらしいことは分かった。
いちばん腹が立ったのは、NHK教育テレビで昨夜からずっと流れている安否確認サービス?のような放送。
「埼玉県さいたま市の凸山さんから小千谷市牛ヶ島の凹川さんへ。心配しています。連絡ください、とのことです」
なんていうメッセージを、スター級アナウンサーも含めてリレー式でずっと流し続けている。一体何を考えているのか。電気も電話も使えない被災地で、この番組を被災者が見ているはずがないことくらい分かりきっている。なんの意味もないばかりか、被災者や関係者を馬鹿にしているとしか思えない。おそらく読み上げているアナウンサーたちも、なぜこんなことをしているんだろうと、内心苛立っていたことだろう。
チャンネルを1つつぶして被災情報にあてるなら、情報の内容は現地の情報を被災地関係者に伝えるしかない。
道路の寸断状況、地域別ライフライン(こういう英語はないが、日本語としては完全に定着したし便利なので使う)の現状はもちろん、避難場所の正確な位置とそこに避難している人たちの情報を流すべきではないか。被災者の親族や知人がいちばん知りたいことはそれだ。親族や知り合いが、○○という避難所に無事にいる、ということが分かれば一安心する。
夜中になると、「新潟中越地震のニュースは入り次第お伝えします」というテロップが出たまま、静止画のような定点カメラの画像が映っているだけ。普段でも普通に放送をしている時間なのに、これはどういうことなのか。ニュースで流した映像を繰り返し放送してもいいし、文字だけでもいいから得られる情報のありったけを流し続けてほしいと思うのが被災地関係者の気持ちだろう。まるで放送が喪に服しているかのようだ。本当に、どういうつもりなのだろう。

NTT災害用伝言ダイヤル「171」というものもあるが、今回は役に立たなかった。川口町も小千谷も、電話が復旧するまでかなりの時間を要したため、被災者が171にダイヤルする術がなかったからだ。
被災している知人の電話番号で171の伝言を聞いたが、被災者への問いかけばかりが録音されていた。しかも、この録音は48時間で自動的に消去される運命だ。
携帯電話のほうがまだ復旧が早かったようだが、我が家がある地域はもともと携帯電話のサービスエリア外である。こんなとき、通信手段がまったくないということを思い知らされた。

いつまで経ってもまともな情報が入らない

頼りになるのは報道機関からの情報なのだが、まず、テレビは役に立たないということが分かった。
「絵(映像)」として視聴者の心情に訴えやすいものばかり追いかけている。知りたい情報はほとんど届かない。
今映っている場所の正確な住所を表示してくれない。
孤立している地域がありますと言いながら、その地域の名前を言わない。
避難が完了したようですと言いながら、避難所の場所を言わない。
どこかが何かを報道すると、他のメディアもわっとそれに群がる。
3日目くらいには、山古志村が「悲劇の村」として報道の中心になっていた。一旦そうなると、山古志村に報道陣が殺到し、より衝撃的な映像を配信しようという競争になる。
新幹線の脱線現場や道路の崩落現場は何度も何度もしつこく映し出されるのに、被災者がどこに避難しているのか、被災地のどこがどういう被害を受けているのかといった具体的な情報が届かない。現地に土地勘がある人間にとって、これほど歯がゆいことはない。

倒れたスーパーの看板にモザイクをかけて放送している番組さえあった。そのスーパーの名前を知っている人間にとっては、あそこがこれだけ被害を受けているということは、あそこのすぐそばの実家は……とか、○○さんの家は……と推測できる重要な情報になるのに、わざわざモザイクで隠すのだ。
今回、自宅を震源地の真上に持っているという「関係者」になってみて、初めて災害報道の中身にいかに問題が多いか痛感させられた。
おそらく、阪神大震災のときも、今年、日本各地で起きた水害のときも、被災地の人間や関係者たちはみんな同じ思いで報道を見ていたことだろう。
ネットで愚痴ったところ、
「そうなんですよ。三条市の水害のときもそうでした。わあ、こんなにひどいことになってます、という絵を映し出すだけで、どこの橋が通れるのかという具体的な情報は全然入ってこない」
と同調してきた人(新潟県内に住む小学校教諭)もいた。
今まで、災害報道を、結局は他人事として見ていたことを痛感し、反省している。こういうことは当事者になってみないと分からないものなのだなあ。

また、情報に有効性がないだけでなく、情報そのものもかなりいい加減だということも分かってきた。
例えば、当初、小千谷と長岡という名前が飛び交ったが、23日に3回あった震度6強の震源地の正確な位置は、
1回目 17.56 北魚沼郡川口町和南津と木沢の間あたり M6.8
2回目 18.11 川口町田麦山の小高地区入り口付近 M5.9
3回目 18.34 広神村の南、堀之内町との境界付近 M6.3
である。つまり、3回の震度6強のうち最初の2回の震源地は川口町であり、3回目は広神村なのだ。狭く言えば「川口町広神村地震」なのだ。
小千谷市の名前が最初に出たのは、地震計が小千谷市にあったからで、川口町に正確な地震計があれば、もしかすると震度7くらい計測していたのかもしれない。
(※追記 1週間も経ってから、実際川口町では実際に震度7を記録していたと発表された。川口町に地震計がなかったわけではなく、地震と同時に電源がふっとび、データが送信されなかったらしい。それにしてもなんで1週間も経ってから……!?)
ちなみに27日 10.40の震度6弱(M6.1)の震源地は守門村で、さらに東側だが、これは最初の本震とは別系統の断層が原因らしいと後に報じられている。最初の地震に影響を受けた周囲の断層がさらなる地震を起こしたということのようだ。怖い。

これらの情報はすべてWEB上から収拾した。特にすばらしいのは国土地理院のサイトで、平成16年(2004年)新潟県中越地震関連ページには、有用な情報が刻々と更新・発表されている。
どの道路が通れないのか、家屋の倒壊はどこの地区で多いのかなどの情報が、非常に分かりやすく、かつ正確な形で提供されている。
被害地の空中写真も公開されている。地震が起きて一夜明けた10月24日には被災地の空中写真撮影を敢行し、なんと翌25日には一般公開しているのだ。
我が家の状況をいち早く知る手がかりとなったのもこの航空写真だった。見ると、東から西に長い影が伸びている。つまり、夜明けと同時に上空を飛んでいたわけである。
この写真は、WEBで見られるだけでなく、国土地理院(つくば市)、または国土地理院関東地方測量部(東京都・九段)に行けば現物を閲覧することもできるようにしている。すばらしい対応である。「地図人」たちの能力と行動力に感服する。

ようやく「発見」してもらえた川口町

26日(火)になり、ようやく川口町という名前がニュースに頻繁に出てくるようになる。
きっかけは、道路の上に白ペンキ?で「SOS たべもの 水 もうふ くすり」などと書かれた映像が流れたことだった。
新潟市内に住む女性が、実家のある川口町があまりにもメディアで無視されていることに業を煮やし、テレビ局に直接訴えた結果らしい。白い文字を道路に書いたのはこの女性の弟で、山の上に登ってようやく携帯電話が一瞬つながったとき、姉から「とにかく待っているだけではダメ。自分たちでメッセージを発信する努力をしないと」とアドバイスされたことがきっかけだったようだ。
「絵」にならない現場はニュースで取り上げてもらえないことを如実に証明した例だろう。

この「絵」を皮切りに、川口町の映像が徐々にテレビにも登場するようになった。
「孤立集落」という言葉が何度も出てくる。
川口町は「町」とはいうものの、総世帯数は 1500あまり、総人口 が5700 人ほどで、本当に小さい。我が家があるのは田麦山という地区の外れにある総戸数22戸ほどの集落。ここが「孤立集落」になっていることを知ったのは、TBSのニュース番組で、川口町役場から中継しているリポーターの背後に映った掲示板の文字からだった。
26日には、この集落に物資を届ける自衛隊の車の後についていく報道クルーが伝えてきた映像が流れた。
全国からものすごい勢いで集まってきている支援物資は、小千谷市の支援対策本部に積み上げられ、この集落の避難所には届いていないという。こうした支援物資が届かない孤立集落は、川口町の中に数十あるようだ。
避難所間のこの「格差」が問題になり始めていた。
僕がこの映像を見たのは、28日になってからだった。WEB上で動画を公開してくれていたので見ることができた。
集落に続く1本しかない道は崩落して通行止め。その他、そこに至る道もあちこちで一般車両通行止め。大きな余震も続き、下手に行っても復旧作業の邪魔になるだけかもしれないと思うと動けない。歯がゆい。

奇跡の生還劇

今回の震災では、あちこちで「奇跡の生還」ドラマがあったが、大きなものは2つある。
ひとつは、誰も言わないが、新幹線脱線で誰ひとり怪我をしなかったことだ。
報道では「新幹線の安全神話が崩れる」「なぜ新幹線は脱線したのか」などとやっていたが、あれだけの地震が直下で起きれば、時速200キロ超で走っている列車が脱線しないほうが不思議ではないか。新幹線は魔法の乗り物ではない。
誰も怪我しなかったことは、数々の偶然が重なった結果としか言いようがない。
なぜ脱線したのかではなく、なぜ怪我人が出なかったかの検証になるだろう。が、それも、とりあえず乗客全員が無事だったのだから、後からじっくりやってくれればいい。橋脚の強度不足などが言われているが、元祖新幹線の東海道新幹線で同じ規模の直下型地震が起きれば、確実に大惨事になっている。今回のことは貴重なデータになるのだから、東海道新幹線、あるいは在来線の施設見直しに役立てなくては。
しかし今は、それよりも被災して苦しんでいる人たちの情報に時間を割いてほしいのだ。

もうひとつの奇跡は言うまでもない。
崩落現場に呑み込まれた車の中で(正確には、車と岩の間らしいが)90時間以上生きていた2歳の男の子が救出されたドラマだ。リアルタイムでテレビに見入っていたが、あれこそまさに奇跡としか言いようがない。
後に、母親と長女はほとんど即死だったらしいと報道されたが、最初は「心音が3つ確認された」「3人が生きていると確認された」という誤報が飛び交い、見守る我々の心を翻弄した。結果的には男の子ひとりだけが狭い空間で生き延びていたらしい。
諦めずに救助したレスキュー隊の心意気を誉めると同時に、もう少し早く救い出せなかったのかという思いも、みんな抱いたことだろう。発見から救出まで1日近くかかったのが、今後の課題ではないだろうか。
首相を現地に運ぶ専用飛行機を手配する前に、レスキュー隊をすぐに派遣させられなかったのだろうか。崩落現場にすぐに救助犬を放ち、人間の気配を嗅ぎ取らせられたら、発見はもっと早かったかもしれない。現場の混乱ぶりを考えれば無理な要求なのかもしれないが、孤立集落の把握が遅れたこととも合わせて、大きな課題だ。
被害のひどい地域ほど、情報収集が遅れるのは当然といえば当然ではある。現地から情報を送る手段が一瞬にしてなくなるわけだから。そうした場所を特定し、要請される前からいち早く駆けつけることが大切だ。
奇跡といえば、あれだけの規模の地震が連続で襲ってきて、死者が二桁で留まったことも奇跡ではないだろうか。人口密集地で同じことが起きたら阿鼻叫喚の地獄絵になっていたことは間違いない。

被災地から離れた避難所を!

今回の震災では、地震の直撃時は生き延びたものの、その後、避難生活の中で疲弊し、エコノミークラス症候群や急性心不全などで命を落とす人が多い。
最初の本震が夜に襲ってきたため、電気を絶たれた闇の中で大変な恐怖を味わうことになった。阪神淡路大震災の被災者も異口同音に言うが、本震より、避難所に逃げた後に来る余震のほうがずっと怖かったそうだ。その恐怖は、実際に経験しなかった人間には到底分からないだろう。
避難所を被災地内に置いても、被災者の二次被害はなかなか防げない。自宅から離れたくないという被災者の気持ちも分かるが、今回の被災地は過疎山村が中心で、老人人口が多い。とにかく体力を消耗しないうちに、ライフラインが無事な、「揺れない場所」に避難所を設けて、どんどん移送することが必要だったと思う。
1週間近く経って、全国の自治体が、保養施設などを避難所として使ってほしいと申し出る動きが出てきたが、今回のことをよい教訓として、平常時からこうした緊急措置についてガイドラインを決めておくべきだろう。
お隣の長野県などは、田中知事がこういうときこそ能力をアピールするチャンスなのに、県のサイトを見る限りでは、支援物資を送るというような情報だけで、被災者を受け入れる具体的対策が遅れたように思う。
同じような豪雪地帯や過疎山村を抱える長野県には、空き家や利用度の低い公共施設なども結構あるのではないか。特に初期段階では、関越道と国道17号が寸断され、長野側から現地に入る国道117号だけが物資輸送の命綱になっていたのだから、もっといろいろできた気がする。

国民年金や健康保険料で全国に作って、活用されずに廃墟となっている無用の贅沢保養施設なども、なんとか活用できないものなのか。
自衛隊が宿営用テントの提供を打診してきたのは、本震発生後1週間近く経ってからのことだ。なぜ最初から使わないのだろう。12平方メートルで6人用。自家発電機が付属して照明や暖房も使えるという優れものらしい。莫大な税金を注ぎ込んで揃えている設備が、いざというときすぐに活用されずにいるというのは実に馬鹿らしい。
「ニーズがあるかどうか分からなかった」「要請がなかった」というようなことを言っているらしいが、自衛隊が何を持っているかなんて、一般人が分かるはずないではないか。
議論が大きくなるので今は控えるが、自衛隊はさっさと「大規模救助隊」としての使命を第一義にして改組するべきだ。全部をそう定義するのが無理なら、まずは一部を軍事から完全に切り離した専用救助隊(武器運用に関わらない)として組織し、災害時にはその組織の指揮下に残りの部隊が従うというようにすればよい。
こういうとき、自衛隊に注ぎ込んでいる税金、自衛隊が持っている能力が十分に発揮されているとは思えない。
いざというときに能力を最大限に発揮できる組織作り、迅速で適確な命令系統の確立こそ、最も求められている「危機管理」政策ではないか。

我が家崩壊

(財)日本地図センターの野々村さん(AIC木曜日)に「国土地理院のサイトはすごいですね。いちばん役に立ちます」とメールしたら、「国土地理院関東地方測量部に行けば、(被災地の)空中写真を直接見ることができます(できるはずです)。そこの職員は親切という定評がありますから、見方などはていねいに説明してくれるでしょう」という情報をいただいた。
さっそく29日に訪ねた。
本当に親切に応対してもらえて感激した。
我が家が写っている写真を2枚並べて、それを「立体視」できる装置で覗くと、木々や建物が3Dで見えてくる。
残念ながら我が家は木の影にすっぽりと覆われていて、建物の様子などはよく見えなかったが、集落全体の様子や家の前の道が崩落していないことなどは確認できた。
応対してくださった職員のかたは、こういう航空写真を見ると、かつて崩落した場所などはすぐに分かるらしい。
「ああ、昔、土砂崩れを起こしたような場所が何か所か見えますね。今は木々で覆われているので、崩れたのはかなり昔のことだと思いますが」
とのこと。
この土地に70年以上住んでいる向かいのおばあさんの話では、自分が生きている間には大きな地震も地滑りもなかったとのことだから、もっと前のことなのだろう。天変地異は数百年、千年のスパンで見なければいけないわけで、ひとりの人間が生きている時間内に災害に遭遇するかどうかは「運」でしかない。
「運なんですよね」
「ほんとにそうなんですねえ」
などと言いながら、写真を眺めていた。
我が家も向かいの家も、木の影でよく見えなかった。お孫さんが生まれたばかりの寅さん(我が家を売ってくれた、元の住人)の家(小千谷市)がどうなっているのかも航空写真で確認した。少なくとも全壊はしていないように見えた。

それにしても驚くのは、調査の迅速さだ。WEBで我が家の周辺を写した航空写真を見た段階で、木の影が東から西に向かって長く伸びていたので、朝一番に撮影されたものだとは予想していたのだが、写真に記された時間を見ると、24日の7時40分となっていた。
前日の夜に起きた地震の後、すぐに飛行機を手配し(自衛隊に国土地理院所有の専用機があるらしい。飛行機は地理院のものだが、パイロットは自衛隊員だとか)、一夜明け、日が昇ると同時に空撮している。その写真をすぐにまとめて、翌日にはWEBでも一般公開しているのだから、その迅速さに改めて驚くばかりだ。恐るべし国土地理院。
「すばらしい即応性ですね」と言ったら、「はい。徹夜作業でした」との答え。
こんなときに一般人がのこのこお邪魔していいのだろうかと恐縮しつつ、本当に親切に、かつ適確に応じてくれるのに感激した。野々村さんの「彼ら(彼女)らはシビルサーバントですから、サービス業です」という言葉の意味がよく分かった。
政治家、官僚たちはもちろん、すべての公務員がこうなら、日本はどれだけすばらしい国になることだろう。

他にも、テレビに、ボランティアの災害医師派遣グループの人が出演しているのをちらっと見たが、震度6強という第一報を聞いてすぐに医師チームの派遣を準備し、その夜のうちに小千谷市に急行、夜明け前の5時には小千谷市に到着していたという。まだ交通状況なども分からない時点で、震度6強ならおそらく関越道は使えないだろうと判断し、最初から長野経由でのルートを選択したとも言っていた。この対応の早さにも脱帽だ。
いざというとき、すぐに動ける「生きた組織」になっているかどうか、決断力と行動力のある上司がいるかどうかがこういうときに大きな違いになって出てくるのだろう。

国土地理院関東地方測量部が入っている合同庁舎を出たところで、携帯にメールが届いた。仕事場からで、向かいの奥さんから電話が入り、ようやく現地の状況が把握できたとのこと。
「みんな元気で物資も整っているって。ウチは最悪で、やはり庭側が土砂崩れでそれにつられて家も後ろ側がひっぱられて崩壊してるって。車庫は無事らしい。もう、ウチの周りは、集落そのものがなくなるでしょうとのこと」
……脱力……。
冬の越後で暮らすために、去年建てたばかりの車庫(豪雪地仕様の蒲鉾型トタン製)だけが無事とは、なんとも皮肉だ。

お向かいの一家は、いつもより30分くらい早く夕食を食べ終わり、さあ、食器を片づけようかというときに最初の一撃に見舞われたそうだ。
いきなりどかんと突き上げられ、身体ごと吹っ飛ばされると同時に、あたりが漆黒の闇に包まれた。山の中だから、電気がなければ本物の闇に包まれる。あまりのことに、家から出るどころか一歩も動けず、30分くらいはただただ暗闇の中で呆然としていたそうだ。
その間にも第2波(この震度6強の震源地は1kmも離れていない)第3波の「震度6強」が襲ってくる。大変なショックだっただろう。

我が家のある集落は総戸数が22戸。1本しかないルートが崩落したため孤立し、最初の2日くらいは支援物資などもまったく届かなかった。今は全員、田麦山の中心部(ウチがある集落からは山ひとつ向こう側で、「本村(ほんそん)」と呼んでいる)にある小学校に避難しているそうだ。
29日現在、物資は足りているという。家の中にいた人たちはみんな身体ごと吹っ飛ばされ、壁や家具にぶつかったので身体中にひどい打ち身などを作ってはいるが、全員元気なので安心してくれとのこと。
地震発生後1週間にしてようやく近所の人たちの無事が確認できたわけで、ほっとした。
同時に、我が家が崩壊していること、村そのものが消えゆく運命にありそうだということを知らされる。

どの家もとても住めたものではない。建て直すにしても冬までには到底間に合わない。除雪車も入れないだろうから、この冬は集落を見捨てるしかない。そうなれば、今なんとか形を保っている家も雪に押しつぶされる。
一晩で1m積もることもある豪雪地帯。この地方の人たちは「雪下ろし」ではなく「雪掘り」と言う。一階の屋根や庇は雪より下になるため、雪を下ろすというよりは雪を掘り下げて家と切り離すという感じなのだ。
この切り離しがうまくいかないと、雪解けのとき、庇や軒が雪に引っ張られて壊れる。我が家も何度か経験しているが、雪の力はものすごい。
それをみんな知っているから、今から完全に諦めているのだ。

今22戸ある我が集落は、おそらく消えてしまう。家を建て直すだけの資金がある人はほとんどいないだろう。老人が多いから、30年ローンなんていう話は現実味がない。あの世でローンを払い続けるわけにはいかないもの。
老人たちは、残った人生を、生まれ育った自然の中で静かに過ごせることが幸せだった。狭い畑に自分たちが食べるだけの野菜を作り、細かく区切られた棚田で少し売れる程度の米を作り、ときどき訪ねてくる孫の顔を見て暮らす。
「今がいちばん幸せだよ」
向かいのおばあさんも、漬け物を持って我が家に遊びに来るたびにそう言っていた。
その幸せが一瞬のうちに奪われてしまった。
冬以外はマイペースで畑仕事をし、春には山菜を採り、野鳥や蛙の声を聞きながら過ごしていた日々。その幸福と、故郷で自力で生きているという自負心・自尊心が失われる。これからは、親族の家に身を寄せて肩身の狭い暮らしを始めなければならない。
その無念さ、苦しみ、空虚感、脱力感は、はかりしれない。

そういう村が、川口町だけで数十はあるだろう。もちろん川口町だけでなく、周辺にもたくさんある。
山古志村から十日町あたりにかけて、孤立集落となった後、復興しないまま消滅する集落がいくつも出てきそうだ。老人パワーで守り続けていた美しい棚田の光景が、一気に消えていくのだろうか。

何をすればいいのか。どうすればいいのか。何ができるのか。今はまだ分からない。
雪が降る前に崩壊した我が家を確認し、使えるものを拾い出す作業をしなければいけないことだけは分かっているのだが、その後のことは、自分ではどうにもならない運命に委ねるしかない。集落が消えてしまうとなれば、家を建てるわけにもいかない(もちろんそんな金もない)。土地があっても、そこには想い出だけが虚しく残るだけで、訪ねるのも辛い。

僕のことだけなら、これは一種のショック療法なのかもしれないと思い始めている。
10年以上かけて、壁を張り、床を張り、ペンキを塗り、屋根を葺き替え、ようやく完成した我が家(大工仕事はずいぶんうまくなった)。
冬も住めるように、34万円で小さな四駆の車を買い、雪に埋もれないように蒲鉾型の車庫も建てた。さあ、これでいつでも永住できるぞ、と思っていた矢先のこと。
このタイミングですべてきれいに失ったというのは、「安住するのはまだ早い。おまえは死ぬまでさまよい続けろ」という神の啓示なのかもしれない。
自分のことは、それで説明がつく。
でも、この地に営々と暮らしてきた人々に対しては、今はお見舞いの言葉も見つけられない。

逆転の発想で復興を

今後のことでは、被災者の生き甲斐、生きる気力をいかに持続させられるかということが最大の課題ではないだろうか。
いくつか、前向き思考を試みてみる。
隣接する長野県、福島県、群馬県などには、過疎に悩む村や、有効活用されていない土地もあるはずだ。
少なくともこの冬は、被災者たちは住み慣れた村を捨てなければならない。雪解けしてからも、つぶれた家を片づけ、村を立て直すには気の遠くなるような時間と労力、お金が必要だろう。それまで、似たような環境(過疎と老齢化、農業後継者不足)の周辺地域と交流し、生活を支え合うようなネットワーク作りができないものだろうか。田中知事の「信州構想」と連動して、「信州越後ネットワーク」作りということでもいい。
また、消滅する危機を迎えている集落に関しては、いっそ開き直って、新たな入植者を募る積極政策を打ち出したらどうか。
こんなことになりはしたが、もともと、冬場の雪を除けば、本当に住みやすい土地だ。
「角栄王国」と呼ばれるだけあり、我が家のような、ここから先は人家が一軒もないという山奥にまで、都市ガス、水道、本下水が引かれていた。冬も完全除雪で、一晩で雪が1m一気に積もっても、朝10時までには除雪車が来てくれていた。
ライフラインの復旧だけでなく、ブロードバンドを引いて、都会から新住民を迎え入れるのだ。
避難所の人たちの穏やかな顔や、無神経なインタビューにも笑顔で応える性格のよさも、すでに十分、全国に伝わっていることだろう。人間環境は抜群にいい。家を買って10年以上になるが、よそ者だからというような排他的な扱いを受けたことは一度もない。柔軟な思考力を持つ、人情の厚い人が多い。
首都圏からも遠くない。東京から名古屋までは300kmあるが、小千谷や長岡はもっと近い。物流にも便利だから、長岡や小千谷には製造工場も多かった。
山間の村も、ブロードバンド環境さえあれば、IT村、学者村、芸術村などとして生まれ変わることが十分可能だろう。安くて広い土地があり、日本の真ん中に位置しているから、ネットショップの拠点にも向いている。小千谷や川口町は今回の被災で全国に名前を知られることになった。被災に負けず、逆に利用しよう。
もともと過疎と老齢化に悩んでいた地域なのだから、今回の災難をバネにして、村の若返りをはかろう。
今は本当に大変で、こんなことを書いても相手にされないとは思うが、何年か後、前よりも魅力を増して生まれ変わっている越後があることを、切に信じたい。

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