たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2005年4月16執筆  2005年4月19日掲載

テレビという悪魔

最初に、先週書いた狛犬盗難事件にまつわるメディアからの問い合わせの件、続報。
狛研(日本参道狛犬研究会)の事務局には、結局、テレビ、新聞社10社から問い合わせがあったそうだ。
事務局長のMさんは憤慨している。盗難事件にではなく、その問い合わせ内容に。

「狛犬会員は何人いますか? 会員の中にマニアっぽい人は何人いますか?」
「朝日の記事の値段は相応だと思いますか?」
「盗まれた狛犬はネットオークションでどのくらいの値段がつくでしょうか?」

僕の心配はどうやら杞憂ではなかったらしい。こんなことで狛犬への興味がかき立てられても、誰も得をしない。
特にテレビ番組はひどすぎる。視聴率がすべてであり、その視聴率は我々視聴者の好奇心や欲望が支えている。
好奇心や欲望の質が、そのままテレビの視聴率になっていると言えるかもしれない。

以前に書いた狛犬本出版計画が目下本当に進み始めていて、このまま無事にいけば今年の秋くらいには世に出るかもしれない。写真を多く、文章を少なくするつもりだが、僕がその本の中で主張したいことはひとつだけ。
「歴史的(教科書的)価値やお上が認めた文化財という視点からではなく、至高の世界を求めた石工たちの心と技に、無心で触れ、感動する」
ということだ。

狛犬に関しては、重要文化財に指定されているものは古い木造の作品がほとんどで、江戸時代以降の石造り狛犬で国宝や重要文化財指定のものは皆無に近い。県や市町村レベルでの文化財指定も極端に少ない。
狛犬の研究者たちによる著作もいろいろあるが、分類やルーツ探しにこだわりすぎていて、個々の作品の芸術性を素直に鑑賞するという視点が欠けている気がする。
江戸以降の石造り狛犬の最大の魅力は、庶民が作りだし、奉納したという点だ。素朴な信仰心、郷土への思い、そして名もない石工たちの向上心と探求心。そうしたものに触れたとき、何とも言えぬ感動がこみ上げる。

僕が25年の狛犬探索の末にたどり着いた南福島の天才石工小松寅吉とその弟子小林和平は、ともに貧農の家に次男として生まれ、小さい頃から辛い石工修行に出された。
寅吉は弘化元年(1844)生まれ。和平は明治14(1881)年生まれ。この二人が生涯を石の造形物に捧げた情熱と執念はすさまじいもので、残された作品群は奇跡と呼んでもいい。
しかし、この二人の名は、日本全国レベルはもちろん、郷土の福島県石川郡の人たちにさえほとんど知られていないし、作品は、町レベルの文化財にさえ指定されていない。

それを指して、宮崎駿さんは「これはすごい発掘だが、テレビになど教えず、そっとしておいたほうがいいのかもしれない」とおっしゃった。
今回の狛犬盗難騒ぎを見ていて、やはりそうだなと思うに至った。

テレビは芸を殺す悪魔である。
最近は世相を反映して、お笑い芸人たちがテレビによく出てくるが、彼らの芸をきちんと見せる番組はどんどん少なくなり、晒し者のようにして笑う、心の貧しい番組が増殖している。
芸人の人間的弱みをさらけ出させるような騙しや悪戯。芸人の心の奥に潜むエゴイズムや小心さがぽろりと出てくるように仕向けるトークやゲーム。
果ては、芸人を冷水のプールや海に突き落としたり、ビルやタワーの上に立たせて震え上がらせたりして何が楽しいのか。
ひとりカッコつけて言うわけではない。それを見て笑う本能は、人間なら誰もが心の奥に持っているものだろう。しかし、そうしたサディスティックな欲求と、性犯罪や戦争犯罪とは紙一重だということも忘れてはいけない。
視聴者は、絶対匿名の存在として、テレビ画面を見てサディスティックな欲求を満たすことができる。浅ましい笑いを楽しむ自分は傷つかない。この匿名性は、ネット掲示板荒らしの陰湿な楽しみ方にも通じる。

芸人が芸として、人間の浅ましさや小ささを演出し笑わせることと、テレビ番組制作者が芸人を騙したり脅したりして楽しもうというのとはまったく違う。視聴者がそれを区別できなくなっているとしたら、極めて危険なことだ。
今の「若手」と呼ばれるお笑い芸人たちの中には、将来チャプリン並みに芸を極めるかもしれないと思わせる逸材もいる。才能ある芸人たちはテレビ制作者の目にも留まるから、出演依頼も多くなる。しかし、そこでやらされていることは、視聴者の下卑た欲求を満たすだけの、芸とは何の関係もない労働だけ。芸を磨く時間も奪われ、心は荒み、しかし知名度は上がり、金も怖いほど手に入る。
お笑いの世界の中で、ひときわ芸術性を感じさせた逸材・ラーメンズが、いち早くテレビに見切りをつけたことは立派な決断だった。
もっとも、テレビは芸を殺す悪魔だが、そのテレビを通じてしか芸に触れられなくなっていることも現代人の悲劇だ。ラーメンズのステージを、民放地上波はおろかNHKですら見られないのは、正直言って辛い。

ホリエモンに買収されかかって、慌てて「放送は公共のもの」だとか「視聴者の権利」だとか「メディア企業はマネーゲームだけで動くのではない」などと言う前に、テレビは本物の芸を育てる場として、自らを厳しく律し直すべきである。


●寛文10(1670)年に造られた狛犬 (こういうご時世なので敢えて場所は秘す)
(c) Takuki Y. http://komainu.net

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