たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2005年7月22日執筆  2005年7月26日掲載

出版界は「タイトルがすべて」時代?

9月1日発売予定の「文章術の本」のタイトルが、たった今、ようやく決まった。
文芸と違って、ノンフィクションや実用書のタイトルは著者には決めさせてくれないことが多い。
僕の場合、小説も、自分が望むタイトルではなく出版されたことが何度もある。
デビュー作『プラネタリウムの空』は、まったく知らないところでこのタイトルが決まった。元のタイトルは『幸福の構造』というものだった。
『天狗の棲む地』もそう。元のタイトルは『翼の囁き』だった。

本のタイトルがどうなるのかは、物書きにとっては大問題である。今回の文章術の本も、ゲラが出た後も、編集者と何度かああでもないこうでもないとやりとりしていたが、そこそこのところに着地して、ほっとしている。

本が売れない時代と言われて久しい。従来なら千数百円の価格で単行本として出ていたような本が、今は、千円以下の新書や文庫で出版される。
新書や文庫は利益が薄いので、万単位で売れないと赤字になる。しかし、本が売れない昨今では、新書や文庫でさえ初版が一万部以下ということがある。

仮に700円の新書の初版が1万部だとする。著者印税は10%で一冊あたり70円。初版印税は70万円である。
毎月このペースで本を出し続けたとしても年収840万円。
実際にはそんなペースで本を出すのは無理だ。僕の場合、年に3冊本が出たことさえない。
仮に年に3冊でも、初版だけなら年収210万円である。増刷されなければ、とても物書きだけでは食べていけない。
世の中には、「作家は儲かる」と勘違いしている人がまだまだたくさんいるようだが、はっきり言って、物書き業だけで食える作家はごく少数である。たいていは生きるために副業を持っている。文章教室の講師とか、アパート経営とか、ヒモとか……。

困ったことに、本が売れるか売れないかは、中身のよしあしとはほとんど関係がない。話題になるかならないか、がいちばん大きい。
今なら、『家政婦は見た! 花田家の真実』……とか、そういう本だろうか。これなら最初から売れると読めるので、大量に刷る。大量に刷れる本は書店にもどんと並ぶので売れやすい。

そういう売り方ができない「普通の本」は、タイトルで勝負するしかない。いかに目を引く、気を引くタイトルがつけられるかで、売れる/売れないが決まってしまうと言っても過言ではない。
大ベストセラー『バカの壁』(養老孟司、新潮社)も、タイトルの勝利だろう。
買った人の多くは、タイトルから想像した内容とはかなりかけ離れたものだったという印象を持っているはずだ。
『バカの壁』というタイトルの場合、ポイントは、買った人のほとんどは、自分は「バカ」ではない、と信じているということだ。自分の回りにある「バカの壁」に常日頃腹を立てていて、その鬱憤を晴らしてくれるようなことが書いてあると期待して買ったのではなかろうか。

今売れている本では、『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』(山田真哉、光文社)が、タイトルで売れた好例だと思う。
正確なタイトルは、『さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学』というらしい。
これがもし、後半の『身近な疑問からはじめる会計学』というタイトルで出版されていたら、まずこれほどのヒットにはならなかっただろう。ましてやただの『会計学入門』であれば、絶対にヒットなどしないはずだ。
ときたま聞こえてくる「さ~おや~~~あ~~、さおだけ~~~」という売り声を聞くたびに、「あんな商売、よく成り立つよなあ」と疑問に思っていた人がいかに多かったかを証明している。

タイトルが売れる/売れないを決めると分かっているため、最近ではおのずと長いタイトル、えげつないほどに説明くさいタイトルの本が多くなった。
『世界一読みたかったお金の聖書(バイブル) 幸せで豊かになる力が、絶対身につく本』(ザビエル、ラーニングエッジ株式会社)
『凡人が最強営業マンに変わる 魔法のセールスノート』(佐藤 昌弘 、日本実業出版社)
『仕事を成し遂げる技術―ストレスなく生産性を発揮する方法』(デビッド・アレン著/森平慶司訳、はまの出版)
『一冊の手帳で夢は必ずかなう──なりたい自分になるシンプルな方法』(熊谷正寿、かんき出版)
『あたりまえだけどなかなかできない仕事のルール』(浜口直太、明日香出版社)
『人生を変えた贈り物 あなたを「決断の人」にする11のレッスン』(アンソニー・ロビンズ 著/河本 隆行訳、成甲書房)

……とにかくストレートで、文字数なんのそののタイトル。
こう書いている僕も、最近では、
『パソコンは買ったまま使うな! フリーソフトで作る快適環境』(岩波アクティブ新書)
とか
『デジカメ写真は撮ったまま使うな! ガバッと撮ってサクッと直す』(岩波アクティブ新書)
……なんていう長いタイトルのが多いんですけどね。

ひとつ大ヒットが出ると、後追いする例も多い。例えばこのところ「頭がいい~」とか「できる人の~」といったタイトルがやたらと目立つ。
『頭がいい人、悪い人の話し方』(樋口裕一、PHP研究所)あたりがいちばん売れたようだが、続編の『頭がいい人、悪い人の〈言い訳〉術』は言うに及ばず、
『頭がいい人、悪い人の仕事術』(ブライアン・トレーシー著/片山奈緒美訳、アスコム )
『「できる人」の話し方&コミュニケーション術』(箱田忠昭、フォレスト出版)
『トヨタの役員秘書が見たトヨタのできる人の仕事ぶり』(石井住枝、中経出版)
……なんてのが、続々出てくる。

『バカの壁』もそうだが、挑戦的なタイトルという路線も根強い。現在の売れ筋でいえば、

『失礼ながら、その売り方ではモノは売れません』(林 文子、亜紀書房)
『「ダメな教師」の見分け方』(戸田忠雄、筑摩書房)
『オニババ化する女たち』(三砂ちづる、光文社)
『お金持ちになれる人』(邱永漢、筑摩書房)

……あたりがそうだろうか。

かつてのヒットでは、
『インターネットは空っぽの洞窟』(クリフォード・ストール著、草思社)
というのがあった。
この本は必ずしもインターネット完全批判の本ではなく、インターネットを手放しで礼賛する風潮を批判したものだったが、購入した人の多くは、急激なネット社会化にストレスを感じていた中高年サラリーマンだったのではないだろうか。
「ネットネットって騒ぎやがって」と不愉快に思っていた人たちにとっては、まさに溜飲を下げてくれそうな本として映ったに違いない。

最近の例では『ケータイを持ったサル──「人間らしさ」の崩壊』(正高 信男、中公新書)がある。
これも、電車の中でせわしなく親指を動かしてケータイメールを打つ若者たちにいらいらしていた中高年男性が、カタルシスを得られそうだと予感してこぞって買ったのだろう。

挑戦的なタイトルといえば、拙著『パソコンは買ったまま使うな!』は、実は僕が提案したタイトルだった。担当者であった編集長は当初「それはいくらなんでも……」と否定的だったが、編集会議で、若い編集者たちから「そのくらい挑戦的なタイトルのほうがいい」という意見が相次ぎ、逆転で決まったのだ。
幸い、これが売れた(アクティブ新書終刊後も増刷があり、現在8刷)ので、次のデジカメの本のときは編集部から「同じようなタイトルで」という声が強く上がった。
僕自身は『デジカメの肝!』というタイトルを提案していたのだが、あっさり却下されて『デジカメ写真は撮ったまま使うな!』というお揃いのタイトルになった。僕自身はこのタイトルには反対だった。
「撮ったまま使う」というのは意味が分かりづらいと思ったので、最後に「ガバッと撮ってサクッと直す」というのを提案して、サブタイトルに滑り込ませた。
以後、「ガバサク理論」というのをしつこく言い続けていて、これは結構受け入れられている。NHKの番組にデジカメ先生役で出演したときも、こちらから何も言わないのに「ガバサク理論」という言葉を番組中で使ってくれていた。

最近出た『そんなパソコンファイルでは仕事ができない!』(青春出版プレイブックスインテリジェンス)は、「パソコンファイル超整理術」という仮タイトルで原稿を依頼されたもの。原稿を渡してから「タイトルがこう決まりました」と告げられて慌てた。
「パソコン整理術」とはだいぶ意味合いが違う。内容としては、今までの僕のパソコン関連本の中でも最も初心者向きの基礎講座だったから、ますます当惑した。
決まったタイトルに合わせて一部書き足したりもした。

このタイトル、いいのかなあと思っていたが、周囲からも「うわぁ、きついタイトルだなあ」「怒られているみたいで買いにくい」という声が多かった。
挑戦的なタイトルであっても、対象読者を否定するようなニュアンスがあるとよろしくない。『バカの壁』を買う人は、みんな自分はバカではないと思っているし、『ケータイを持ったサル』を買う人は、みんな自分はサルではないと思っている。
『頭のいい人の~』や『できる人の~』もそうで、買う人は、自分は「頭がいい」「できる」人のグループに入るべきであると思っているからこそ買うのだ。
しかし、「~仕事ができない!」というタイトルの本を買うということは、半ば自分は仕事ができていないことを認めているような感じになってしまう。
(そう思って買うのを躊躇ったかたがいらっしゃいましたら、決してそういう本ではなく、素直なパソコン入門書ですから、思い直してくださいませ)

そこで、今回は原稿を書く前から「否定的なタイトルだけはやめてくださいね」と強く要望しておいた。
編集者から依頼された際の企画書では、『ブログ時代のパソコン文章力』という仮タイトルがつけられていた。
ブログの本が売れているということで、「ブログ」という言葉を入れたかったそうだ。
そこで『ブログ時代の文章術』というような感じで書き始めたのだが、だんだん、ブログにこだわることはないではないか、と思うようになっていた。実際、内容も、もっと広い意味での文章術としてまとまっていった。
「文豪たちの悪文」を例にとって書くに至って、その思いは確信に変わっていった。
「正攻法でいきましょうよ」
執筆中、何度もこう言った。
タイトル決定会議の何日か前にも「間違っても『こんなブログでは誰も読まない!』とか、そういう否定的なタイトルだけはやめてくださいね」と釘を差した。
ところが、会議では「お! それ、いいじゃないの」という意見もあったそうで……。

結局、決まったタイトルというのを数時間前に知らされたのだが、否定的ではないものの、今イチしっくりこない(このタイトルは秘密にしておこう)。
で、「コクがないですよね。キレもないですよね」と食い下がってみた。
この決定案の中に「文章がうまくなる」というフレーズが含まれていたので、「いっそ、この『文章がうまくなる』を正面切って押し出すのはどうですか?」と主張した。
食い下がったかいがあって、さらに逆転で、ようやくついさっき決まった。
発表。

『パソコンで文章がうまくなる!』

誰ですか、「な~んだそりゃ」という顔をしているのは。
ただでさえ不安なんだから、否定的なコメントはやめてぇ。



●ゴージャスなログトイレ (阿武隈高原高塚山登山道入り口にて)

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