たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2005年8月5日執筆  2005年8月9日掲載

宇宙開発=人類の夢 という「すりこみ」

1969年7月、人類が初めて月面に降り立ったとされる映像が全世界に向けて放映された。
僕はそのとき中学2年生。「人類が月に立った」という記念すべき日の翌日、現代国語の授業で、担当の井津佳士先生(故人)は、いきなりこうおっしゃった。
「これからは、あのお月さんにゴミがあると思って見上げなければいけないんだぜ」

この言葉は、36年経った今でも僕の心に染みこんでいる。
世間が「人類月に立つ」というニュースではしゃいでいるまっただ中、「お月さんにゴミを残してきた」という見方をする教師に学べたことは、その後の僕の人生に勇気を与え続けた。

スペースシャトル「ディスカバリー」が無事地上に帰還したのかどうか、この原稿を書いている8月5日の時点では分からない。分かっているのは、打ち上げ当初からトラブル続きだということと、危険因子が次々に見つかりながら、強引に出発させ、帰還させたということだ。
なぜそこまでして強行するのか、まったく分からない。

それ以上に、いつものことながら、「宇宙飛行士=子供たちに夢を」という「すりこみ」報道には辟易する。
その「夢」ってなんなの?
そもそも、宇宙空間に人間を送り出すことにどれだけの意味があるのか、僕には分からないのだ。
人間ではなく、無人の高性能装置を打ち上げ、それを正確に遠隔操作する技術を向上させるというなら分かる。衛星通信やGPSなど、その手の技術には、僕たちはすでに多大な恩恵を受けている。
しかし、宇宙空間に人間が長時間滞在することに、どのような意味があるのだろうか。
莫大な資金と石油エネルギーを投入して、数人の人間を宇宙空間に押し上げる。その結果得られるものはなんなのだろうか。

人類にさまざまな夢を見させてくれた石油は、もうすぐなくなる。玉手箱の底が見え始めている。
この現代における「夢」は、石油を大量に使って、地球のほんのちょっと上の空間に人間を押し上げることなどではないだろう。ここまで増えてしまった人類が、有限の地球環境の中で平和に暮らせるのかどうか、そのための新しい価値観や文明を持てるのかどうか。
歴史は、「人間はそこまで賢くはない」と教えている。
それでも、今より楽しい世界が築けるのではないかと想い続けることこそ、これからの時代を生きる人間にとっての「夢」ではないだろうか。
子供たちに夢を、というのなら、そういう夢をこそ、教えてほしい。

ヒートアイランドの大都会、冷房の効いた部屋に一国の首相と子供たちが座っている。そこから「日本人宇宙飛行士」と「夢」についてやりとりする絵作りに感動する人間がどれだけいるのか。
「もういいよ」と言いたいのだ。
それよりも、雑木林を吹き抜ける風を頬に感じ、アブやブヨに刺されながらも、頭上を飛び交うアキアカネの大群や、足下の清流に潜むイワナの稚魚を見て学ぶこと、感じることのほうが、はるかに貴重だろうに。
本当の夢は、宝物は、宇宙空間にではなく、この地上にある。

ところで冒頭で僕は、「人類が初めて月面に降り立ったとされる映像」と書いた。
実のところ、いまだに僕は人間があのお月さんに降り立ったことを完全には信じていないのだ。
映画『カプリコン・1』のようなことをしたのではないかと、半分は疑っている。


●レンズの先にとまったアキアカネ
(c) Takuki Y. http://takuki.com


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