たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2005年11月25日執筆  2005年12月2日掲載

大塚愛伝説(その1)


設計強度が基準値の30%しかないようなマンションやホテルがいくつも民間検査機関の審査を通って建てられていたという。
「報道ステーション」(テレビ朝日)でやっていた特集が面白かった。話題の姉歯設計士&ヒューザーのコンビで建てたマンションでも、検査機関が民間に開放される直前に建てられた川崎市内のマンションは、民ではなく公(川崎市)が審査したので、しっかりした造りをしているというのだ。
「民間にできることは民間に」と首相がしつこく繰り返していたあの選挙戦前にこういう問題が発覚していたら、少しは選挙結果も違っていたのだろうか?(そうとも思えないが)

さて、世の中にはいろんな建築業者、設計士がいるということから、今回は「大塚愛伝説その1」をお送りする。
最初にお断りしておくが、この伝説の主・大塚愛は、Googleで検索すると242万件ヒットする「大塚愛」とは何の関係もない。(そちらの「大塚愛」については、僕は何も知らない。歌手らしい、ということは聞き知っているが、この原稿を書いている現在、顔も声も知らない)
これから紹介する「大塚愛伝説」は、福島県は阿武隈山系にある川内村に住む、「大工の愛ちゃん」と、その夫である一級建築士の大塚しょうかん氏のお話である。

実は、僕は今、昨年の中越地震でつぶれてしまった「タヌパック越後」に代わって、新スタジオ「タヌパック阿武隈」を建築中である。
このタヌパック阿武隈の設計をしたのが大塚しょうかん氏。彼の奥さんということで、「大工の愛ちゃん」も知ることになった。

大工の愛ちゃんは、川内村では知らない人はいないほどの有名人。県外のファン?から「福島県川内村大工の愛ちゃん」という宛名だけで郵便物が届くという伝説がある(おお、すでに伝説がひとつ!)。

川内村は阿武隈山系の東側に位置する面積197.38平方キロの村で、人口は約3000人、世帯数は約1000世帯という、典型的な過疎の山村。
僕の首都圏での仕事場がある川崎市と比べると面白い。土地は川崎市より広く、人口は3桁少ない。
ちなみに川崎市の面積は142.70平方キロ、世帯数は59万6713、人口が131万7862人(2005年9月1日時点)。つまり、川崎市の約1.4倍の土地に、川崎市の約400分の1の人が暮らしているのが川内村である。

この過疎の村でも、とびぬけて辺境の地と呼べるのが「獏原人村(ばくげんじんむら)」だろう。
ここには今でも電話、ガスはおろか、電気もきていない。1970年代のヒッピームーブメントにまで歴史が遡れるらしいが、現在はマサイさんとボケさんという夫婦が数百羽の鶏を飼って生活している。

この電気も電話もきていない土地に、5、6年前、ひとりの若い女性が住み着いた。
名前は愛。出身は岡山県で、聞くところによれば父親は医師、母親はカウンセラーらしい。普通に考えれば「ええとこのお嬢様」である。
その愛ちゃん、ある日、この土地に自転車に乗ってやってきた。
どういうわけで獏原人村にまで流れ着いたのかはまだ聞いてないが、とにかく、一目見るなり、この土地をえらく気に入ってしまった。
「私はここに住む」と宣言。
もちろん、当初、本気にする者はいなかった。みな、すぐにいなくなると思っていたが、愛ちゃんはひとりで原人村の敷地の一角に自分で掘っ立て小屋を建て、暮らし始めた。これが2000年のことである。
地主であるマサイ夫婦から出された条件は「土に還らない素材は使うな」ということだけ。もともと茅葺き屋根と土壁の家に憧れていた彼女は、言われるまでもなくそうするつもりだった。
穴を4つ掘り、柱を立てて、3畳大の掘っ立て小屋を1か月半かけて作った。

電気がないのだから、当然、夜はまっ暗である。テレビはもちろんのこと、ラジオの電波もほとんど届かない。携帯電話機も、いまだにどの会社の電話機も圏外である。
いちばん近い「電気のある人家」は、雨が降ると裂け目が無数にできるという通称「獏林道」を数キロ下っていったところにある「獏工房」という木工作家の家。そこまで下りていくと、ようやく電話と電気が使える(非常時には借りられる、という意味である)。

そんな土地に、愛ちゃんは住み着いてしまった。
しつこいようだが、電気も電話もない。もちろん水道もない。
掘っ立て小屋を作ってはみたものの、風呂もトイレもない。トイレは外に作ったが、風呂は無理。だから、冬以外は川で水浴びをしていた。
山の奥にまで迷い込んだ釣り人がそれを目撃したことがあった。
周りには人家などない。出るとしたらイノシシかタヌキくらいのもの。そんな超山奥の川で、うら若き乙女(言い方が古いな)がすっぽんぽんで水浴しているのである。
これは幻覚に違いない。あるいは化け物かもしれない。
釣り人は驚いて村に逃げ帰ったそうな。
これが「愛ちゃん羽衣伝説」である。

なんだか行き当たりばったりのような印象も受けるが、実は愛ちゃんにはきちんとした人生設計があった。
子供好きで、かつては幼稚園の先生になるのが夢だった。そのために大学は教育学部を選んだ。
大学3年のとき、阪神淡路大震災が起きる。ボランティアとして神戸に入った愛ちゃんは、いろいろな人と生き様を見て、人生観がちょっと変わる。
岡山市の社会教育課の資金援助を得て、ネパールに渡り、現地の教育環境などを見て回った。その後、インドにも脚を伸ばした。
そこでの体験は強烈で、自然と一体になった暮らしをしたいと猛烈に思うようになった。
日本にいる限り、そんな生活をすることは無理だと考えていたので、当初は本気でネパールに住むことを考えた。
そのための資金作りのため、日本に帰って自然食品のお店を手伝ったりしながらこつこつお金を貯める。
しかし、そうしていくうちに、気持ちは日本国内に向かうようになった。で、まずは足下の日本を知ろうと、お遍路さんとなって四国の霊場を回る旅に出た。
で、その旅の途中、今度は突然「大工になりたい」と思った。

それからは、「大工になる」ということと「自分の食べ物は自分で作りたい」という2大目標ができた。
大工見習いはすぐに道が開けなかったけれど、まずは自然農法を学ぶべく、福島県伊達郡川俣町の「やまなみ農場」を自転車でめざした。
そこで半年間、「自然農生活自給学校」に参加。その後、再び自転車に乗り、以前から噂に聞いていたこの獏原人村にやってきた。
これが「愛ちゃん自転車伝説」である。

さて、獏の住民たちは、みんな自分で家を建ててきた。材料は解体現場などからもらってきた廃材。大工をめざす愛ちゃんにとっても、当然「家は自分で建てるもの」である。
幸運にも、村で評判の高い大工の棟梁・猪狩頼通氏に弟子入りすることができた。
これが数年前のこと。

年季明けまでの4年間、愛ちゃんは愛犬ハル(雑種)と一緒に、獏原人村と親方の家を行き来しながら大工修業をした。
軽トラックを手に入れてからは「これで岡山の実家にも帰れる」と、軽トラで岡山まで里帰りした。
もちろん高速道路なんか使わない。野宿をしながら一般道を何日もかけて帰り、また川内村に戻ってくるのである。荷台に畳を1枚敷き、寝るときはシートをテント風にかけてそこで寝る。
これが「愛ちゃん軽トラで岡山に里帰り伝説」である。



<<愛ちゃんミニインタビュー>>

──どんなところに野宿するの?
「浜辺とか草っぱらとか、適当な場所で」
──女の子ひとりで怖くないの?
「平気ですよ。まさか中に女の子がひとりでいるとはみんな思わないし……」



大工の愛ちゃんは、最近おめでたいこと続きである。
まず、大工修業の年季が明け、晴れて一人前の大工になった。
次に、周りもびっくりするほどあれよあれよという間に結婚。
相手は横浜で開業していた一級建築士・大塚しょうかん氏
ペイルグリーンのアルファロメオに乗る「都会人」である。
二人はとある建築関係の研修会で知り合ったそうだ。
愛ちゃんは彼と結婚したので、名前が「大塚愛」になった。
「30過ぎには子供がほしい」という人生の計画通り、速攻で赤ん坊も産まれた。

で、普通の人はここで「そうか。愛ちゃんもついに山を下りて幸せな(電気や電話のある)家庭に入ったのか」と思うだろうが、そうではない。
夫のしょうかん氏に「私は絶対に原人村を離れたくない」と訴え、説得に成功した。
新しい家族と住むための、掘っ立て小屋ではない新居を造り始め、現在、ほぼ完成した。



<<しょうかん氏ミニインタビュー>>

──原人村を出ればいいだけのことじゃん
「だって、愛がどうしてもあそこを離れたくないって言うんだもん」
──ええ~? それで承伏したわけ?
「だって、絶対嫌だって言って泣くんだもん」
──じゃあ、あそこに一緒に住むわけ?
「すでに住んでますよ」
──あの建築中の新居は、しょうかんさんの設計なんでしょ?
「んなわけないでしょ。誰があんな電気もないところに好きこのんで家建てます? あれは愛の主導。私は愛に言われるまま、床張りやったり、壁塗りやったり……」



おかげでしょうかん氏は、愛車アルファロメオの腹をこすりながら獏林道を往復する羽目になった。
僕がしょうかん氏と出会ったのは、ちょうどその頃(今年の夏)のことだった。
愛ちゃんは出産のため、岡山に里帰りしていたが、さすがに今度ばかりは軽トラではなかったらしい。

さて、2004年10月23日の中越地震で越後の家を失い、急遽引っ越してきたここ阿武隈の我が家は、ミサワホームの規格プレハブで、6畳が3つ縦につながっただけの狭い平屋だ。これでは仕事場も、遠路はるばる訪ねてくれた客人を泊めるスペースもないので、離れを造る計画を立てていた。
当初、ログハウスのキットを購入し、自力で小屋を建てようとしていたのだが、風呂場とトイレを付けたら見積もりが想像以上に高く出てきて、諦めた。
ログハウスはやはり高くつくし、メンテナンスも大変そうだから、やっぱり在来工法で、安く作るほうがいいかな、と思い始めていたとき、彼に出逢った。
とにかく安く作ろうとしていたわけで、設計士に頼むなんて考えてもいなかった。しかし彼は、
「設計士に頼むと高くつくとみんな思ってるけど、実際にはむしろ安くつくんですよ。材料だって工務店より安く仕入れるルートを持っているし、責任を持って現場の監督もするわけだから、施主が分からないこともフォローできるし……」
と説明する。
そんなもんかなあ、と話を聞いていたのだが、思いきって「総予算上限300万円で建てられる?」と訊いてみた。
さすがにしばらくは「う~~~~ん」と考え込んでいたが、とにかく見積もってみましょうということになった。
安く、なるべく自分の手で作るという計画が、急転直下、一級建築士に設計・施工監督を依頼することになるとは……。

6坪の小屋(ロフト寝室つき)。
当初、安くて長持ちにするため「外壁はサイディングで」と言ったら、一喝されてしまった。
「サイディングぅ? やめましょうよ。あんなもの使って家を建てているのは日本くらいのもんですよ。木にしましょうよ。木! 国産材!」
と、一歩も引かない。
30mm厚の国産杉板を外壁に使うという話を聞き、それなら金をかける価値があると思い直した。30mm厚の板で外壁を作るなら、考えようによっては「薄いログハウス」みたいなものだ。ゴージャスじゃないか。

僕から出した要望は「基礎はベタ基礎で」という点。地震で家を失った直後だけに、これだけはお金をかけてもこだわった。
200mmピッチで鉄筋を組んだ「役所仕様」のベタ基礎。たかだか6坪の小屋にそんな基礎を……と呆れる人もいるが、十数年こつこつと手を入れてきた家が一瞬で消滅する現実を経験してみれば、基礎の大切さは嫌でも分かる。

しょうかんさんのこだわりはあちこちにある。それは建てていく過程でもいろいろ分かってきた。
基本は「すべて自然に還る素材で」ということらしい。獏原人村の主・マサイ夫婦や愛ちゃんの思想と同じだ。
構造材や壁材、床材はすべて国産材。断熱材もグラスウール、ロックウールなどは一切使わず、杉の皮などを主成分にして、コーンスターチ糊で固めた自然素材を使っている。このへんのことは僕は一切口出ししていないので、すべて彼のこだわりである。
(そもそも、安くするために断熱材なんて贅沢なものは使わないのだと思っていた)

デザインも相当凝っている。極端な片流れ屋根、正三角形の窓、繋ぎ目なしの2方向パノラマサッシ窓、格子模様の玄関脇……などなど。図面が上がってきて驚いた。「安くね」と言い続けていたので、物置がちょっと立派になったくらいの普通の小屋をイメージしていたのに、なんとも衝撃的な建物になっている。
途中からは僕も覚悟を決めて、この「贅沢な小箱」をとことん楽しむことにした。
50歳。同級生はみんな立派な家を持っている。6坪の家を一級建築士に頼んで建てたっていいじゃないか。僕にとっては、小さくても、家を新築するのは生まれて初めての経験なのである。おそらくこれが最初で最後だろうし。

さてさて、話を大工の愛ちゃんに戻そう。
赤ん坊の名前は楽人(らくと)くん。まだ生まれて数か月だが、愛ちゃんは早くも愛息を背負ったまま大工の現場で働き始めた。
赤ん坊を背負ったまま電気鋸をウイ~ンと唸らせ、ガンガンと釘を打っている。
大丈夫なのか? と、周囲のみんなが心配しているのだが、愛ちゃんは一向に気に留めていないようだ。

夫のしょうかん氏は、すでに住民票も川内村に移している。
この前うちに届いた設計料(彼の今までの仕事の中で、ダントツの最低額記録だそうだ)の請求書には、獏原人村の住所が書いてあった。
一級建築士事務所が、電気も電話もない山の上だとは、ほとんどのクライアントは想像だにしないだろうなあ。(僕は現地も見ているけど)

しかし、さすがに電気がないところで設計士の仕事は厳しい。
麓の獏工房の一角を借りて、ノートパソコンを立ち上げて設計図面を作成したり、メールの送受信をしていたりしたが、先週、ついに念願の「電気と電話のある事務所」が開業した
村唯一?の「名所」である天山文庫のそばにある民家(ドームハウス)の一角を事務所として借りることができたのだ。これでしばらく続いていた「放浪の設計士」生活にピリオドが打てたわけで、実にめでたい。僕も事務所開きパーティに駆けつけ、一曲歌ってきた。

国産材を使った木の家にこだわる一級建築士。
愛妻は電気のない「原人村」に暮らす大工。
愛息は今日も妻の背中で電気鋸の音を聴きながら寝ている。

「安く造ってね」と頼まれて、簡単に鉄筋の数を減らし、住人を恐怖のどん底に落とす一級建築士がいる一方で、「安く造ってね」と頼まれても、頑として自分のこだわりを貫き通し、「そんなんじゃダメ!」と施主を折伏する一級建築士もいる。
どちらが本当の「一級」建築士か……。
言うまでもないよなあ。

自分は電気も電話もこない家(大工の愛妻と自力で建築中)に住みながら、依頼された仕事はこだわりぬいて施主の想像以上のものを作ってしまう。そんな「一級建築士」のもとで、僕の、多分、一生で一度の「注文建築」が建てられている。自分でできることは自分で、というわけで、大工さんにまじって、外壁の塗装などは自力でやっている。
去年の地震からちょうど1年経った。
あのショックの中では、1年後、こんな日々を過ごしているとは想像だにできなかった。
人生、いろいろである。
感謝。



(2009年12月3日追記)
あれから4年半経ち、大塚家には今年、長女・彩來ちゃんが生まれた。大塚一家の暮らしぶりは、テレビ東京の「自給自足物語」や、テレビ朝日の「ワイドスクランブル」などで紹介されたので、ネットで「獏原人村 大塚愛 川内村」などで検索し、このページにたどり着いたかたもいらっしゃるに違いない。
川内村には今、巨大風車包囲網侵略の前に、不穏な空気が流れている。
テレビで報道されているのは、美しい話にまとめられているけれど、過疎地で生活することの難しさは、自給自足の苦労だけではない。自給自足は、大塚家のように、それを人生の基本精神としてとらえて楽しむこともできるけれど、経済の魔物による環境破壊や、人のつながりの破壊という問題は、もっと複雑でやっかいだ。
もう一歩踏み込んだ川内村の姿をご覧になりたいかたは、「タヌパック阿武隈日記」も覗いてみてください。


●引っ越したばかりの設計事務所の前で愛息を抱く大塚愛@川内村の大工さん

(c) Takuki Y. http://takuki.com


(2011年5月11日追記)
大塚家にはその後、長女の彩來ちゃんも生まれ、獏原人村での生活を続けていましたが、2011年3月の原発震災をうけ、家族で築いてきた原人村の家を捨てなければならなくなりました。
獏原人村は今、「緊急時避難準備区域」に指定され、子供が立ち入ることができません。幼い子供二人を抱える大塚家は、今、愛ちゃんの実家のある岡山県に避難しています。
あいちゃんが某集会に呼ばれて語っている姿がYouTubeにアップされています。
こんなことになるとは、このエッセイを書いたときには想像もできませんでした。
本当に理不尽です。



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