たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2006年1月6日執筆  2006年1月10日掲載

タヌキに呼ばれた話(2)


年末年始で2週間あいてしまったが、前回の続きの一席を。

2004年12月26日。僕らは阿武隈の新居に入った
この時点で、まさかここを購入する決め手となった雑木林が、すでにチップ業者の手に売られていて、皆伐の運命にあるなど、夢想だにしなかった。

来るなり、吹雪に見舞われた。雪は40cmほど積もり、車が出せずに不安になったが、越後の雪に比べれば問題にならない。
しかし、タヌパック越後では、一晩で1メートル降っても、朝10時くらいまでには除雪車がやってきて完全除雪してくれた。ここ阿武隈ではそうはいかない。なにせ目の前の道は公道ではなく私道(うちの土地)なのだから。

積雪40cmというのはこのへんでは非常に珍しいそうで、近所の人も「こんなに積もったのは何十年ぶり」と言っていた。
新居は築10年のハウスメーカー製平屋建てプレハブ。情緒もへったくれもない建物だったが、狭さが幸いして、暖房効率がよく、最初からついていたエアコンと、越後の瓦礫の中から救出してきた小さな石油ファンヒーター1台だけで十分暖かかった。
越後では春先でもすきま風に震えていただけに、小さな家も、冬は過ごしやすくていい、などとプラス思考に転換できた。

実際、雪の中の小さな家で過ごす年末年始は悪くなかった。
特に、惚れ込んだ雑木林の美しさは格別で、寒いのに何度も窓を開けて眺めたりした。
雪が積もった林の中には、タヌキやノウサギの足跡も点々と続いていて嬉しくなった。

新居の住み心地を確認しながら、あちこち細かな修繕や改良などをしながら迎えた正月。
まだ松も取れない3日の朝10時15分。雪の積もった道を1台の四輪駆動トラックがやってきた。うちの先で停まり、何やら男たちが数人出てきて山の中へ入っていく。
嫌な予感がして外へ出た。
トラックの荷台は幌がついていて、中を覗くと何台ものチェンソーが積まれていた。
車に戻ってきた男たちの1人を捕まえて訊いた。
「何かするんですか?」
「木を伐るんだよ」
「木って、どこの?」
「この山全部」
「全部って、一本も残さず、皆伐?」
「そう」
「なんで?」
「なんでって、そんなことは知らね。俺たちは伐れって言われて伐るだけだから」
「だって、この山の木は全部雑木でしょ。伐ったって材木にもならないでしょ。意味ないでしょ」
「意味はないねえ。大した木じゃないし」
「意味もなく全部伐るの?」
「意味があるとかないとか、俺たちには関係ないから。俺たちは伐れと言われて伐るのが仕事だから。まあ、今日は伐らないよ。雪がもう少し消えたらだな」

身体中の毛穴が開くような衝撃だった。
この山は国有林だと説明されていた。実際、地積図でも確認している。
国有林、しかもまだ若い雑木林をなぜ皆伐??
すぐに林野庁のサイトを調べ、問い合わせメールフォームからメールを1本入れた。しかし林野庁では大きすぎる。そこからたどって福島森林管理署のサイトまでたどりつき、そこにもメールを入れた。
今、そのメールを読み返しがてら日時を確かめてみると、3日の11時31分となっている。チェンソーを積んだ車がやってきたのが10時15分だから、1時間後にはメールを2本送信していたことになる。
まだ正月3日だから、事務所には誰もいないだろう。それでも、いてもたってもいられなかったのだ。

磐城森林管理署というところから返事が来たのは6日の夕方だった。

「急な話で申し訳ありませんが、明日(1月7日)にでもお伺いし、お話ししたいと考えております。明日が都合悪ければ、都合の良い日をご連絡いただきたいと思います」

翌7日。森林管理署から二人の男性がやってきた。
一人は総務課長という肩書き。50代くらいで、いかにも東北人らしい人のよさが全身に現れている。もうひとりは僕よりも年下で、細面。口数が少なく、真面目そうな印象。
総務課長は開口一番、正直にこう告白した。
「私、今日初めてここを見ましたが、こんなに人家が間近に迫っている場所だとは思いませんでした。もう少し早くお知らせいただければ、伐らない方向で処理できたんですが……」

説明によれば、我が家が面している北西側の雑木林全部と、沢を挟んで反対側のカラマツ林の裏側全部を、昨年の10月28日に競売にかけて売ったのだという。
国有林だから、売ったのは土地ではなく伐採権だ。雑木林2つを皆伐する権利を民間業者に売ったわけだ。
一体いくらで売ったのかと訊くと、2つ合わせて70万円だという。
伐った木は材木にはならないのでチップにするらしい。
「チップ? この林を丸裸にする代償がチップですか?」
「ええ……、どれだけ意味があるかとか経済価値があるかということではなく、ひとつには、国内の業者を保護するという目的もあります」
「間伐ではなく皆伐なんですよね?」
「はい。間伐ではとても手間が見合わないんで」
「伐った後はどうするんですか?」
「そのままです。植林はしません。自然にまた生えてくるのを待って、20年、30年したらまた皆伐……の繰り返しですね。今までもそうしてきましたから」

人工林の育成のために間伐した木をチップにするのではない。
製材した端材をチップにするのでもない。
間伐は面倒だ(金がかかる)から、山を丸ごと裸にして、切り倒した木は、材木にはならないから全部チップにする、というのだ。
そうした乱暴なことが全国の国有林で行われているということを、初めて知った。

山を皆伐して裸にすることのデメリットは計り知れない。落ち葉で保護されていた土壌が剥き出しになる。表土が流出し、土砂崩れしやすくなる。保水能力が極端に落ちる。森に棲む生物たちは追い出される……。
そうした損失と、70万円で売って作ったいくらかのチップとを比較する……という発想が、この国にはないようだ。

総務課長氏は何度も気の毒そうな顔で言った。
「ほんと、もう少し早く分かっていれば、止められたんですよ。でも、もう落札してしまったんで、今さらこの木を伐るなという権利は我々にはないんです。ご理解ください」
ご理解などできるはずはない。しかし、どう戦えばいいのか。
諦めかけそうになったが、あっさり引き下がるわけにはいかない。僕らはこの雑木林に魅了されて、なけなしの金を払い、この地にやってきたのだ。
目の前で、野鳥や狸の住処が丸裸にされるのをぼーっと眺めているわけにはいかない。

粘って話をしているうちに、突破口がかいま見えた。
「南側のカラマツ林は、裏側だけを伐るんですよね? それにしては、目の前のカラマツもあちこち赤い印がついてますけど」
「ええ。運び出しのために道を造りますから。一部は伐ります」
「うちの目の前をズリズリ引っ張っていくわけですか?」
「はい。向こう側は田圃なんで、そこを通すのはちょっとまずいだろうと思いまして、ぐるっと道を造って、ここから運び出します」
そう説明した「ここ」というのは我が家の目の前の道だった。
「ここを通ってズリズリ引っ張り出すわけですか?」
「はい」
「しかし、この道は私道ですよね?」
そこで二人の顔がはっと変わったのが分かった。
僕はすかさず地積図を持ち出した。ここを仲介した不動産屋さんが役場から取り寄せ、契約のときに添付してくれたものだ。
「ここがうちの土地です。この道はうちの土地の中を通っている私道ですよね? 公道じゃありませんよ」
「でも、前の××さんの了解は得ていますんで……」
「今は私の土地です」

これが突破口になった。
別れ際、こう念を押した。
「国有林を皆伐するなという権利は僕らにはないかもしれません。でも、この道は私有地で、うちの持ち物です。運び出しをする際にはうちの土地を通さないでください。このことは落札した業者さんにもすぐに通知してください」

二人は困った顔をして帰って行った。

それからひと月。森林管理署から連絡はなかった。
悪いことに、毎年1月、2月は暇なのに、2005年はどういうわけか原稿の締切がいくつも重なり、多忙な日々を送っていた。
こうしている間にも皆伐を強行されてしまうかもしれない。
ちょうどNHKで植物生態学者の宮脇昭さんの生涯を紹介するシリーズをやっていて、「潜在自然植生」というものがいかに大切かということも知った。
宮脇さんの指揮の下に行われた日本列島の潜在自然植生調査では、ここ阿武隈の地は「ブナ・スズタケ」植生だそうで、数百年人間の手が加わらない森は、ブナを主木とした雑木林に育ち、下草はスズタケなどが主体になるらしい。
言われてみれば、確かにそんな気がする。ただ、こんな山奥でも、ほぼすべての森は人間の手が加えられているから、天然のブナ林はほとんど見られない。

うちの前の雑木林は、皆伐されて25年くらいだろうか。コナラ、クリ、クヌギ、モミなどが混じった若い雑木林だ。ブナも点在している。これをあと200年くらい放置すると、ブナが主体のしっかりした森になるのだろう。
皆伐されてしまったら、ドングリを集めてポット苗を育て、「宮脇方式」でこっそり植林しようかとも考えた。何か言われたら「いや、勝手に生えてきたんですよ」と、とぼけて……。でも、再び森と呼べるまでに木が育つまで、僕は生きているだろうか。

そうしたきわどいことはしなくてすんだ。
落札した業者が手を引いたのである。
もともと雑木林を皆伐してチップにしたところでいくらも儲かるわけではない。山のためには間伐がいいに決まっているのだが、皆伐を強行するのは手間代を省くためだ。うちの土地を通せないとなれば、大きく迂回路を造らねばならず、そんな手間をかけてまで伐ったら赤字になるというわけで、契約は白紙に戻った。
おそらくその間、あの口数の少ない署員がうまく動いてくれたに違いない。彼にはとても感謝している。

伐採中止が決まった後、森林管理署からはるばるまた二人は挨拶にやってきた。僕たちも心から感謝の気持ちを伝えた。
二人は、今度は終始笑顔だった。本当は彼らもあまり伐りたくなかったんじゃないか。いや、こんな雑木林のひとつやふたつ、どうでもいいというのが本音だったのではないだろうか。でも、立場上、そうも言えない。……多分、そういう状況だったのだと思う。

ともあれ、雑木林はすんでのところで皆伐を免れた。
1年経った今も、ちゃんと目の前に存在している。

林が生き残った後、いろいろ思い返してみた。
2004年10月末に70万円で落札されたこの雑木林の「伐採期限」は2005年3月だった。残された時間はわずか。本来なら寒さが厳しくなる前の年内に伐られていたはずである。死刑執行まで2か月も残っていなかった。その短い時間の間に「何か」が起こり、この雑木林が伐られずに済んだ確率というのはどれくらいあったのだろうか。
いくつもの偶然が重ならなければ、今頃確実に丸裸の山になっていたはずだ。

1)落札される5日前、越後を終の棲家と考えていた50歳目前の夫婦が地震で家を失った
2)その夫婦は当初、やはり越後で再スタートを考えていたが、物件を見て回るうちに諦めた
3)夫(僕)は秩父の中古別荘を気に入り、契約を決めたが、突然、売り主が迷い始め、契約が寸前のところでペンディングされた
4)その直後に、皆伐が決まった雑木林に挟まれた土地と家が、WEBサイトに売り物件として掲載された
5)その土地にはすぐに買いたいという人が現れたが、まだ現地を見ていなかった
6)秩父の中古別荘の話が長引くのに嫌気が指した夫は、新しい物件を探し始めた。そのとき妻が「この雑木林を見て!」と、阿武隈の物件を見つける。
7)不動産屋に電話をしたが留守電だったので、その時点で一旦は「やはり縁がなかった」と諦めた。しかし、電話番号が記録されていて、不動産屋のほうから電話がかかってきた
8)後から連絡したのがむしろ功を奏して、先客より先に現地に入ることができた。そのため、購入意志も少しだけ早く伝えられた
9)不動産屋は周辺の地積図を用意してくれていた。それがあったために、後に家の前の道が私道であることが分かった
10)その冬、数十年ぶりの大雪となり、年内に伐採する予定が越年した
11)一方、越後は雪の降り出しが遅く(年明け後はとんでもない大雪になったが)、年内ぎりぎりに引っ越しが完了した。そのため、なんとか年末年始を阿武隈で過ごすことができた
12)伐採業者が一度は来たものの、雪で断念して引き上げた。そのときに作業員のひとりを捕まえて話ができたために、ことの次第が判明した
13)正月を挟んでいたため、伐採が伸びた。正月後にも何度かまとまった雪が降り、雪解けが遅れた
14)森林管理署の署員が、しっかり対応してくれた

……ざっと思い起こしてもこれだけのことが重なって、雑木林は皆伐を免れたのである。こうした偶然のどれひとつが欠けていても、今頃は丸裸になっていたはずだ。
例えば、僕らではなく、先客がこの土地を買っていたら、年内にやってくることはなかっただろうから、次に訪れたとき、目の前の山が丸裸になっていて愕然としたことだろう。
雪が降るのが遅れたら、あるいは数十年ぶりの積雪にならなかったら、やはりさっさと伐られていたに違いない。

「これ見て! この雑木林!」
と、パソコンのディスプレイを見ながら声をあげた妻の姿を、今、僕は鮮明に思い起こしている。
彼女はきっと呼ばれたのだ。
伐られる運命を知ったこの雑木林に。
あるいは、この雑木林に棲む何者かに呼ばれたのだ。
何者か?
……タヌパックだけに、やはりタヌキかなあ。
かつて8年一緒に暮らしたタヌキを、いちばん可愛がっていたのは妻だった。足腰が立たなくなってからはずっと家の中で「座敷狸」になっていて、最後は畳の上で僕らに見守られながら息を引き取った「たぬ」。
あの「たぬ」が、仲間の住処を守るために僕らをこの地に呼び寄せたのかもしれない。
唯物論者にどうあざ笑われようが、僕らは結構本気で、そう感じている。


●あれから1年。今冬の雑木林


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