たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2006年1月13日執筆  2006年1月17日掲載

郵便ポストがなくなる日

大手ISP(インターネットサービスプロバイダ)@Niftyが、ついに25番ポートブロックを決めたらしい
端的に言えば、そのISPが与えているメール送信用サーバー(SMTPサーバー)以外のSMTPサーバーに接続させないということだ。レンタルサーバーや自社サーバー、回線会社から専用線を買って自宅サーバーなどを立ち上げている利用者は、「自分のサーバーからメールを送れない」という事態が起こる。
レンタルサーバー業者やドメイン管理代理店などにとっては、提供しているサービスの根幹を揺るがしかねない大問題だ。

インターネット創生期にはこんな事態はまさしく「想定外」だった。
そもそもSMTPサーバーの仕様そのものが、当初は誰もが自由に利用できることを前提にしていた。
個別の郵便受けにあたるPOPサーバー(郵便局内の私書箱に該当するだろうか)には、利用者の身分証明(POPユーザー名とPOPパスワード)の提示が求められたが、送信サーバー(SMTPサーバー)にはそうした仕組みはなかった。
道端にある郵便ポストと同じである。郵便ポストを使っていい人といけない人という区別はない。切手さえ貼れば、誰もが郵便物を自由に投函できる。
しかし、spam(無差別広告メールや詐欺メール)送信者やウイルス製作者が、この「善意で成り立つ郵便ポスト」を荒らし放題に荒らした。
送信者の正体を隠すために、自分と関係のないよそのサーバーからspamやウイルスを送信した。

そこで、spamやウイルス送信の「踏み台」にされることを避けるために、送信サーバーも受信サーバーと同じようにユーザー認証を行うようになった。郵便ポストに投函していい人といけない人を区別するようになったわけだ。それがほんの数年前の話。
今では認証式でないSMTPサーバーは、存在そのものが許されない。spamの踏み台にされうるサーバーであるということで、たとえspamを送信していなくてもブラックリストに掲載されてしまい、「XXというサーバーから送られたメールは受信拒否」という仕打ちにあう。

送信サーバーを認証式にする。ここまでは別によかった。誰もが自由に投函できる郵便ポストはインターネット社会では無理だった。世の中、善人ばかりではない。鍵をかけるくらいは仕方がない。
しかし、自分で金を出して手に入れた自前のサーバーからメールを送信することができなくなるとなれば、一気に話は深刻になる。
すでに中小のISPではこの処置を実施したところがいくつかある。その度に、レンタルサーバー会社には「急にメールが送信できなくなった。どうしてくれるんだ」という苦情が殺到する。調べても、サーバー会社のサーバー側ではなんのトラブルもない。やりとりをしていくうちに、どうやら利用者が使っているISP側で仕様変更したらしいことが分かる。
そこから先は、ではどうやって問題を解決するかを考えることになるわけだが、利用者にとってもサーバー会社にとっても、時間的ロス、精神的ストレスは大変なものになる。
これが大手の@Niftyとなれば、規模も半端ではない。@Niftyがやれば、当然、他社も追随するだろう。
最も簡単な解決法は、受信は自前サーバーで行い、送信はISP指定のものから送る、という方法だが、最近では、ISPのサーバーから、そのISP以外のメールアドレスで送られたメールを受信拒否するなどというspamフィルタを設置しているサーバーもあり、トラブルは尽きない。また、モバイル環境でメールを送信するときは、利用するISPをその都度変えることは普通にあるので、メールソフトの設定をいちいち変更するなどということになれば面倒くさいことこの上ない。

……まあ、技術的な解説はやめておこう。
言いたいことはトラブル回避のハウツーではない。こんなことが続けば、人間の文化そのものが存続不能になるのではないか、ということだ。

学校帰りの子供が連れ去られ、虐殺される。あまりにも単純で乱暴な犯罪が続発する。
それを防ぐために、家庭でも学校でも、「知らない大人から声をかけられたら、すぐに逃げること」などと教えることになる。
先日の『手品のおっさん』でも書いたが、そうした世の中では、子供は大人とのコミュニケーションが少なくなり、塾とテレビゲーム漬けの、ますます閉じた世界で育つことになるだろう。
殺されないために、子供を大人に近づかせない、接触させない……という方法には無理がある。
それよりは、「簡単に人を殺すような人間に育てない」ことを考えたほうがいい。
ゲームのように簡単に人を殺す人間が増えているのはなぜなのか? そうした異常精神の持ち主が増えれば、どんなに防衛策を施したところで殺される子供は増え続けるだろう。

過疎地を旅していると、道でいきなり子供から声をかけられることが多い。
「こんにちは〜!」
都会ではなくなったことなので、一瞬びっくりしながらも「おお、こんにちは」と返事する(ついでに「このへんに狛犬のいる神社ない?」などと訊いてみる)。
きっと、子供たちは学校で、「知っている人だろうが知らない人だろうが関係なく、大人と出会ったら自分から挨拶をする」と教え込まれているのだろう。

(A)子供の頃から、大人と会ったら挨拶をすると教え込まれ、大人もまた挨拶を返す社会。
(B)子供の頃から、大人と会ったら言葉を交わさずすぐに逃げると教え込まれ、大人もまた、気軽に子供に声をかけられない社会。

(A)と(B)で、どちらが犯罪発生率が少ない社会となるだろうか。

25番ポートブロックというのは、言ってみれば(B)の社会である。
どんな社会でも、構成員が基本ルールを守らない限り、まともに存続することは不可能だ。自分が罰せられる可能性が少なければ、人を傷つけてもかまわない。快楽や金儲けのためにはなんでもやる。
そういう人間が増えていけば、どんなに防御策を繰り出したところで、安全で幸せな暮らしは得られない。
今のインターネット社会は、まさにそうした無法地帯になってしまった。

インターネットは、軍事施設や教育機関を結ぶ情報網を一般に開放するということから始まった。それ自体、人間の常識と善意を信じなければ成り立たない。また、実際にネット利用者のボランティア精神があったからこそ、ネット社会は急速に発展し、共通の情報網が全世界を結ぶという奇跡を生んだ。
しかし、その善意の社会はいつまでも続かなかった。
誰もが使えた郵便ポストの投函口には鍵がかけられ、お金を払っている正当な利用者以外は投函できないようにする処置が施された。
それでもゴミを投函し続ける犯罪者から郵便事業を守るため、今では、「特定郵便局」からしか郵便物を投函できないようにしようとしている。

同じことが、ネット以外の社会でも進んでいる。「万引き」を犯罪だと思っていない若者が大半を占めているという恐ろしい調査結果もあるらしい。正確に言えば、「見つかって捕まれば犯罪になるが、うまくやれば犯罪ではない」という認識。
この「ばれなければいい」という思考は、行動の規範は自分が決めるのではなく、他人や運が決めるという価値判断を生む。それがさらに進めば、人を殺しても捕まらなければいい、と考える人間も増える。

25番ポートブロック……それによってブロックされたのは、郵便ポストへの道だけではない。人間が社会生活をしていく上で必要最低限の常識や誇り、生きていく上での拠り所となる心の健康もブロックされ、封印された気分である。
無人売店などありえない。道端からは郵便ポストが消える……そんな世の中がもうすぐ到来するのだろうか。
これからは、善意や常識に頼れない、恐ろしい社会を生きていかなければならない。ああ!



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(c) Takuki Y. http://takuki.com

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