たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2006年1月20日執筆  2006年1月24日掲載

MADAY IN THE LIFE


阿武隈の地に6坪のスタジオを建てるにあたっては、いろいろ紆余曲折があった。
最初は自力でログハウスを建てようと思い、同じ福島県内のログハウス屋さんに問い合わせた。130万円くらいのキットがあるらしいので、労働力を自前で補えば、なんとか250万円くらいで建たないか……と思ったのだが、とんでもなかった。
訪ねてきた人を泊めるためにも使いたいので、トイレと風呂だけは必要なのだが、その分で見積もりが大きく膨らみ、軽く400万円オーバーになってしまった。そんな金はとても無理だったので、断念した。

次に考えたのは、地元の大工さんに頼んで構造部分(基礎、柱、梁、垂木。根太など)だけ安く作ってもらい、後の壁張りなどの内装・外装は、お金と時間に合わせて自分でやるというハーフビルド方式。
しかし、中越地震で10年以上かけて改造した家を失った直後だけに、なかなかそこまでの気力がわいてこなかった。

最後は、ひょんなことから出逢った一級建築士・大塚しょうかん氏に依頼するという、予想外の展開になった。結果的には非常に幸運だったと思う。

建築請負の棟梁は、すでに「大塚愛伝説」でご紹介した「大工の愛ちゃん」の師匠。村の人はみな口を揃えて「あの人はまでいだから」と言う。
最初、この言葉の意味が分からなかった。
までい?
いい意味なのか、悪い意味なのか。
はっきりと確かめることもなく、最初は聞き流していたのだが、その後も何度かこの言葉を聞くことになる。
「そこは水がかかるから、までいに塗ってもらわねえと」
どうも、「ていねい」「まじめ」「じっくり」という意味らしいと分かってきた。

までいな棟梁が集めた職人さんたちは、やはりみな、までいだった。
左官屋さんは、連日零下の戸外で、防凍材を混ぜたセメントを手でこねて、塗り上げた後は凍結しないように練炭の七輪とビニールシートで暖めていた。
設備屋さんは、人間が吹き飛ばされそうな地吹雪の中、かちかちに凍った土をミニユンボで掘り、給排水パイプをつないでいた。
建具屋さんは、建築士が出す、逆三角形の窓などのとんでもない要望に嫌な顔ひとつせず、安い工賃で見事な仕事をしてきた。
鉄筋の量を減らしてコストを下げてどうのこうのという、どこかの現場とは大違いだ。まともに考えたらとても割に合わない仕事になってきても、自分たちはプロなんだという自負で、淡々と「までいな仕事」をこなしていく職人たち。
どうやったら手を抜けるかを考えるのではなく、素人には分からないところの一手間を、どうしても省けない職人魂。
命名「阿武隈までい組」

例えば、風呂場のタイル貼り。ドアの下数センチの隙間に10cm角のタイルを貼るには、当然タイルを切らなければならない。それだけでも面倒だが、左官屋さんはその隙間に幅1cmちょっとの細いタイルを2列に貼り込んでいた。その隙間に続く横の壁面のタイルと目地を揃えるためだ。
風呂場のドアの下、数センチの隙間である。普段目に入る場所ではない。風呂に入っているときも、そんなところをじ~っと見ている人はいない。タイルが1列だろうと2列だろうと、素人は気に留めないだろう。もちろん、機能的にもなんの問題もない。
しかし、プロの職人は、そこに続く壁面との目地がつながらないことが気持ちが悪い。
目地はできるだけ揃える、という、タイル職人ならあたりまえのルールを守るため、施主が気づかない数cmの空間に、2倍以上の手間をかけてタイルを切り、つなぎ合わせる。
これこそ「までいな」仕事。
左官屋さんのその仕事ぶりを見ていて、やっぱり、人間、こういう生き方をしなけりゃ嘘だよなあ、と、つくづく思った。

Googleで「までい」を検索すると、飯舘村のサイトがヒットする。



私たちは経済優先・効率優先の社会が必ずしも人々の幸せを約束するものではないことに気づきました。このような速い社会(ファースト・ライフ)への反省として、「スローライフ」という言葉が新しい暮らし方を示唆する言葉として様々なところで唱えられています。「スローライフ」は、成長社会の効率性という考えに切り捨てられ、私たちが失いかけている「人間本来の生き方」や「地域の文化」や「ゆとり」を大切にしていこうという暮らし方です。(中略)
しかし、どうも私たちにはスローという言葉になじみがなく、わかりにくい言葉に思えて仕方がありませんでした。そうしたときある村人が
「スローライフって“までい”に暮らしていぐごどなんだべ」
と話すのを聞いたのです。
“までい”というこの言葉は、私たち飯舘人が古くからなじんできた言葉です。私たちは、親や年寄りから「食い物はまでいに(大切に)食えよ」「子供はまでいに(丁寧に)育てろよ」「仕事はまでいに(しっかりした・丁寧に)しろよ」と教えられてきました。「手間隙を惜しまず」「丁寧に」「心をこめて」「時間をかけて」「じっくりと」そんな心が“までい”にはこめられているのです。(飯舘村のサイトより抜粋)




うんうん。いい言葉ではないか。までい。
最近のニュースを見ていると、現代人はこのあたりまえの美徳をすっかり忘れているようだ。
1株61万円の株を間違えて1円で61万株の売り注文に出して、一瞬で300億円の損失を出したなんてのは、「までい」の対極にある。
粉飾決算だの株価操作のための風説の流布なんてのも、およそ「までい」とはほど遠い話である。

昔は、までいな生き方をしている人のところには、自然とお金も集まってきたのではないだろうか。
しかし、現代では、お金儲けそのものが目的で、お金が大好きな人のところに金が集まる。
までいな生き方は儲からない。効率が悪いからだ。
その結果、人々が「までいな仕事」に触れて幸せになれる機会も少なくなる。

までいな暮らしを続ける人が、普通に生きていける世の中であってほしい。
ITバブル崩壊を、それ見たことかと冷笑するだけなら簡単だ。では、自分は何をもとに生きていこうとしているのか。
言い換えれば、自分にとって、損得抜きで人に誇れることはなんだろうか?
さ、みなさんご一緒に考えてみましょう。
自分にとっての「までい いん ざ らいふ」を。




までいな仕事
●目地を通すため、ドア下の隙間も細く切った2枚のタイルをきっちり並べている。
これぞ「までいな仕事」。


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