たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2006年11月3日執筆  2006年11月7日掲載

「補習」はやだね!

必修科目履修漏れ問題が騒ぎになって、ふと遠い昔の受験時代を思い出してしまった。
早くこの地獄のような日々が終わってほしい。それだけを思って過ごしていたっけ。
志望の大学になにがなんでも入りたいと思っている高校3年生にとっては、この時期、受験科目以外のことで時間が取られるのはたまったものではない。しかも、自分の落ち度ではないとすれば、怒って当然。
従順に50時間の補習を受けるより、みんなで一斉に高等学校卒業程度認定試験を受けたらどうだ。
……と思ったら、願書出願期限が終わっていた。
(実施日は11月19・20日で、まだ2週間ある。文科省は特例で今年は10日前まで再受付とかしたらどうなんだろう)

僕は中学・高校一貫性の私立男子校に通ったのだが、これは人生において3番目くらいの失敗だったと思っている。(一番の失敗はCBSソニーからデビューするチャンスを自らつぶしてビクターを選んだことで、いまだに夢でうなされるほどの失敗だった)

中学受験のとき、横浜国大附属横浜中学というのも受けていて、一次試験に通った。二次試験が聖光学院と重なっていて、どっちを選ぶか迷った末に聖光を受けた。
最大の理由は、「3年後にまた高校入試だなんて辛すぎる」というものだった。
聖光に行けば、とりあえず6年間は受験しなくていい。

しかし、結果としては、6年間「も」我慢しなければならない、茨の道が待っていた。
女の子がいない環境で6年間は辛すぎる。もう半年早熟だったら、絶対に「とりあえず3年間は女の子がいる環境」を選んでいたに違いない。
附属中学と聖光は最寄り駅が同じで、「山手」という京浜東北線の駅。男女が一緒に並んで楽しそうに通う附属中学の生徒を、羨ましく眺めながら、その先の急な登り坂を10分間早足で登って、男ばかりの教室に向かったものだ。

今はどうなっているか知らないが、聖光学院では、6年間一貫を利用して、中学2年までで中学校3年間の内容を終わらせてしまい、続く中学3年から高校2年までで高校3年間分の内容を終わらせ、高校3年の1年間は完全に受験用の勉強に専念する、というカリキュラムを組んでいた。おかげで、高校2年までの間に、地理も地学も生物も化学も世界史も日本史も、政治経済も、数Iも数IIB(当時)も数IIIも、ぜ~んぶ勉強させられた。
受験科目だけを選べばいい3年生になるのが待ち遠しかったものだ。

中学高校の6年間の間には、何度も学校をやめようと思った。
中学2年の途中から、自分の人生は一生音楽のために使おうと決意していたので、歴史年表や元素記号を暗記する日々から逃れて、さっさと音楽の勉強をしたかった。
音楽の専門学校に移りたいと親に直訴したが、「具体的にどういう学校があるのか」と問い返されて困った。
ポップアーティストを養成する高校なんて、日本にはないのである。

高校2年になったとき、頭を切り換えた。
あと2年は我慢して、大学に入ろう。大学に入れば、4年間時間が手に入る。その4年間は、何をしていても親は文句を言わないだろう。自由な時間を手に入れるために、大学に「逃げ込む」のがいちばんいい。大学4年間のうちにレコードデビューを決められるかどうかが勝負だ、と。

だから、大学はどこでもよかった。
最初は、ユーミンやガロが在学している多摩美術大学を受験しようと思い、美術の先生のところに行って「美大を受けたいんですけど」と相談した。
実際、ちょっとだけ木炭でデッサンなんかも練習し始めたのだが、その後、よく調べてみると、美大はどこも月謝が高いことが分かった。
僕の記憶が正しければ、当時、私立大学ではICUがいちばん安くて、初年度納入金総額が13万円くらい(その後、一気に値上がりした)。立教がその次くらいに安くて、17万円くらい。上智が19万円くらいだったと思う。早稲田もそこそこ安かった気がするが、慶應はやや高かった。
で、多摩美や武蔵美は初年度納入金総額が40万円くらいで、立教や上智の倍以上。貧乏な我が家ではとても親におねだりするわけにはいかないと思い直した。なにせ、聖光に入るときも入学金が払えなくて、親戚から借金したほどだったのだから。

じゃあ、金のかからない国公立へ行けばいいじゃないかと言われそうだが、完全に落ちこぼれていた僕は、もはや数学や理科を勉強する気にはまったくなれなかった。はやばやと英語、国語、社会一教科だけで受験できる、私立文系に絞っていたというていたらく。
しょーもないアマちゃんだったのですね。

これも、今思えば、受験勉強なんて、その後の人生の荒波に比べたら、簡単な試練だったと思うけれど。あの頃は毎日が受験受験受験で、人生観が異常に狭められ、目の前の辛さから逃げたいということしか頭になかった。早くこの馬鹿げた生活を終わらせて、音楽をやりたい。それだけだった。
だから、「今さら補習」の憂き目にあった受験生たちのショックはよく分かる。

困ったことに、この問題が表面化しても、大人たちの側はちっとも反省していない。
今回のことは、地方の高校が、都会の予備校や塾の代わりを務めなければならない構造から出たことだ。有名大学への進学率を上げれば高校の立場も上がる。そのためには受験勉強に特化した授業体制を敷けばいい。まあ、合理的に考えればそういう結論はすぐに出てくる。
高校でそれをやるのはまずいだろうから、私たちが代行しましょう、というのが予備校や塾である。しかし、地方ではそうしたビジネスが伸びなかった。なぜなら高校が「しっかりとした受験指導」をしているから。
どっちもまともじゃないが、どっちがより「まし」かといえば、なんとか生徒や、家庭の経済をこれ以上圧迫させないように、学校内で受験対策をしようとした地方の高校のほうが、少なくとも「人情味」はあるという気もする。

それに対して、「子供たちの学習する権利を奪っている」とかなんとかきれいごとを述べる人たちがいるが、本気でそう思っているのだろうか。つまり、今の学習指導要領に従った授業が、学歴云々を超えた価値のあるものだと思っているのだろうか。
うがった見方をすれば「俺たちは全教科やらされ、それを突破してエリートになったんだ。おまえたちにズルはさせない」と言っているような気もする。
まあ、これは「全教科やる」重圧に耐えられなかった、落ちこぼれ生徒だった僕のひがみですけどね。

学習指導要領の見直し、高校の存在意義の見直しと改革。これは誰もが指摘することだが、実は、大学にも大きな責任がある。
毎年同じような入学試験問題を出し続け、それに特化した勉強をした者が合格できるような大学がたくさんある。
高校で「まんべんなく」教養を身につけるはずの時間を、受験に特化した訓練にあてれば、より短時間で大学に合格できてしまう。
この現実がある限り、今回のような問題はいつまで経ってもなくならない。

さて、僕の受験時代の話に戻る。
美大進学を諦めた僕は、悩んだ末に6つの大学の10学科を受けることに決めて、最終的に上智の英語学科に入ったのだが、ICU(国際基督教大学)も受験した。
この大学、入学試験の内容がかなりユニークだった。
2日間にわたって朝から夕方までみっちり時間をかけ、外国語(普通の日本人高校生は英語)、一般学習能力、人文化学、社会化学、自然科学という5ジャンルにわたって試験を行う。今は社会科学と自然科学はどちらか1つを選択すればいいようだが、僕のとき(1974年)は両方必須だった。外国語(英語)はヒアリングも必須だった。

やり方は、一般能力考査以外は、資料読解と問題解答が別々に行われる。つまり、最初に資料(数ページの長文)が配られ、それをまず精読する。時間が来ると資料は全部回収され、トイレ休憩となる。休憩後、質問用紙が配られる。「先ほど読んだ資料について、以下の問いに答えよ」という体裁で、答えはすべて5択のマークシート方式。そのときに、資料はもう手元にはないから、トイレに行っている間に読んだ内容を忘れてしまったらアウトだ。

どんな問題内容かは年によってまったく違うので、予想がつかない。僕が受験したときは、たしか社会科学分野は、朝鮮半島における近代農業のなんとかかんとか(全然記憶違いかも)についての論文。これはほぼ全問正解だった自信がある。
苦手な自然科学をどう乗り切るかが課題だったが、数学だけは出てくれるなと祈っていたのに、しっかり出てしまった。
確か、「色をベクトルで表す方法」とかいう話だった。
色は色相・彩度・明度の3要素で表せるが、これを3次元ベクトルで表すと、加算混合の場合はどうのこうの……というような、色の混合を3次元ベクトルの計算式で説明した内容だった。
分からないので、最初の3問くらいは、5つの答えを全部代入して逆から計算して答えを出した。残り時間がなくなり、あとは全部5択の真ん中を鉛筆で塗りつぶした。
その部分はほぼ全部不正解だから、自然科学分野はひどい点数だったはずだ。

一般学習能力考査というのは、一種の知能テストと一般教養を混ぜたようなクイズ。
手塚治虫の代表作を知らないと答えられないような問題があるかと思えば、国連事務総長の名前を問うような問題もあった。それも単純に「国連事務総長の名前は?」という問い方ではなく、
日本銀行──福井俊彦
国際連合──(    )
というような問い方で出題される。

今でも覚えているのは、こんな問題。

●次の中から他とは違う1つを選べ

  1.  はほとぬわ
  2.  つなむのや
  3.  よれつらう
  4.  おやけえさ
  5.  ほとりをよ

1問20秒くらいで答えていかないと時間内に終わらないのだが、この問題は難問で、諦めようかと思ったときひらめいて解答できたので、今でも覚えている。
分かるだろうか?
これ、「いろは歌の数列」なのだ。つまり、いろは歌を正確に言えないと答えられない。
日本人たるもの、古文や漢文が読めなくても、最低限度イロハくらいは言えないようではいかん、という出題者の意図が読み取れる。
また、無作為に見える文字列の中に、なんらかのルールが隠されているに違いないと思いつく柔らかい頭の持ち主でなければ、いくらイロハを知っていてもこの問題には答えられない。
塾や予備校で定型型の受験勉強をいくらやっていても、こうした問題には対応できないだろう。
この問題が解けたときは嬉しくて、思わず試験会場でガッツポーズを作りたくなった。
同時に「俺のような落ちこぼれにも手を差し伸べてくれる、いい大学じゃん」と思ったものだ。

ICUの入学試験のような工夫を、他の大学がもっともっとやっていけば、受験テクニックだけが重視される今の高校教育はおのずと変わっていくだろう。
高校の側でいくら改革しようとしても、その先の大学側が変わらなければ、教育改革なんてうまくいくはずがない。

ハンバーガー屋の店員採用試験が、「当店規定通りのハンバーガーをいかに確実に作れるか」という基準で行われるとしたら、応募者はその店のレシピを丸暗記して短期特訓すればいい。
しかし、そのテストをクリアしても、優秀な料理人に育つかどうかは分からない。
もっとおいしくするためにはこんな工夫があるのではないか、などと考えるのは、余計な時間ということになる。
今の大学受験は、規定通りのハンバーガーを作れる人間を採用しているだけだ。

(……と、ここまで書いて、ICUの入試の話は前にも書いたような気がしてバックナンバーを探してみたが、見つからなかった。もしダブっていたらごめんなさいね)

最後に、災難に遭っている受験生たちに、気分を軽くしてもらうために、こんなお話を(受験生がAICを読んでいるとは到底思えないけれど)。

我が母校では、高校3年生は志望大学別、成績別にクラス分けされていた。
5クラスあって、国立理系、国立文系、私立理系、私立文系(2クラス)という構成だった。この「国立」と「私立」は志望校に関係なく、単純に成績順に振り分けられる。だから、「私立しか受けません」と表明している生徒も、成績がよければ自動的に「国立」クラスに入るし、「国立しか受けません」と言っても、成績が悪ければ「私立」クラスになってしまう。
私立クラスでも、数学ができなくて捨てざるをえない生徒はみんな「私立文系」クラスに吹き溜まる。私立文系の生徒は自虐的に自分たちのクラスを「バカクラス」と呼んでいた。

この5クラスは、3年A組、B組、C組……というクラス名で、夏服の季節になると、半袖開襟シャツ(制服)の襟にクラスを示すバッジをつけなければならなかった。僕らの年は、私立文系はD組とE組だったが、これが恥ずかしくて、夏になってもわざわざセーターを着て、襟章を隠して通学する生徒もいた。
だって、電車に乗り合わせたフェリスや横浜双葉の女子高生から「あの子、ちょっと可愛いけど、バカクラスじゃない。がっかりね」なんてひそひそ言われていそうで、いたたまれないのである。

僕はもちろん「バカクラス」で、その後の人生でも落ちこぼれてしまったが、同じ「バカクラス」で仲のよかった同級生は、一浪した後に某私立大学に入り、今は、我が母校の校長を立派につとめている。
人生、たかが大学受験なんかで決まるわけはないのだ。


寅吉の燈籠
●燈籠を支える獅子
(不屈の石工・小松寅吉の作)



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