たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2002年7月4日執筆  2002年7月8日掲載

続・森トンカツ


このコラムの5月14日号で、『森トンカツ』という文章を書いた。
先日、某テレビ局の番組制作者から電話があり、「森トンカツの<作者>だそうですが、お話を聞かせてください」という。電話でも大体のことを話したが、このコラムで書いた以上の情報は特にない。コラムでも書いた通り、あの話はなかなか信じてもらえないし、僕にとってはそれほど面白い話ではないのだが、取材を申し込んできたディレクター氏は非常に熱心で、ついにはうちにまでやってきた。
彼の熱意に負けて、記憶にある限りのことをもう一度話した。ディレクター氏は、「証拠になるもの」がないかとしつこく迫る。小学校の卒業文集に『森トンカツ』のことが出ているとか、メモが残っているとか、そういう「証拠」を期待していたようだが、そんなものはあるはずがない。
小学生のときの写真1枚でもいいから探してくれというので、ずいぶん時間をかけて探したのだが、どうやら小学生の卒業文集やアルバム、写真などは全部実家に置いてきたようで、何も見つからなかった。実家にまで電話してみたが、出てこないという。
ディレクター氏は、当時の同級生の家にまで電話したようだが、居場所が確認できたのはわずかで、記憶している人もいなかったようだ。

その後、ディレクター氏は、「他にも自分が最初に作ったと言っている人がいるし、明確な証拠が見いだせない以上、たくきさんへの個人的な取材という形では放送しないことにしました」と言ってきた。
当時の同級生を何人か集めて、小学校の校庭で『森トンカツ』を歌ってくれなんてことになったら嫌だなあと思っていたので、正直ほっとした。
しかし、同時にちょっと複雑な気持ちにもなった。

『森トンカツ』は、本歌(もとうた)である『ブルーシャトー』の作者がいるわけだし、ただの遊びから生まれたものだから、僕自身は別に思い入れはない。当時一緒に歌って笑い合った同級生たちも、多分、そのときのことなど覚えていないだろう。忘れた頃、『森トンカツ』だけが一人歩きしてしまっただけのことだ。あやとりや折り紙の「作品」を、最初に誰が作ったのか認定するのは困難だ、というのに似ている。
ただ、「他にも自分が作ったと言っている人が存在している」「(たくきさんが作ったとは)明確な証拠が見いだせない」という部分が引っかかった。
これがもし、自分のオリジナル作品のことだったらどうだろうかと考えてしまうのだ。

20代、30代のとき、レコード会社やCM音楽制作会社、音楽事務所、音楽出版社などに、多数のデモテープを送りつけた。テレビ誌の取材で、有名作詞家や作曲家、歌手などにインタビューしたとき、自分のデモテープを渡して売り込んだりもしていた。
今も、インターネット上で作品を世界に向けて公開している
僕の音楽作品は世の中には知られていない。盗もうと思えば、誰もが簡単に盗める。
自分の作品が盗まれたら、真剣に戦うだろうが、そのときも「あなたが最初に作ったと証明できるものがない」と言われれば終わりではないか。

無名作家は、自分の作品を世に出すためにあらゆる努力をする。しかし、無名であるがゆえに、作品を盗まれたときは泣き寝入りになる可能性が高い。
哀しいことに、その手の話は数多く耳にする。中には、売り出し中の作品と「ネタ元」の版元が同一、あるいは同じ企業グループであった場合、売れていないネタ元のほうを絶版にして証拠隠しを謀ったのではないかと思えるようなケースもある。

他にも、耳に入ってこない事例は山のようにあるだろう。また、メロディーのような著作物は、ほんの少しでも変えてしまえば、感動の根源となるメロディーラインが酷似していても「違う作品」だとされてしまう。
実際、現在のヒット曲の大半には「本歌」があり、確信犯的に部分的なコピーをしていることを、業界の人間やミュージシャンならよく知っている。
世の中には、法律だけではコントロールしきれない問題がたくさんある。法律は最低限度の行動基準にすぎない。人間がこれからもいろいろな創作物を生みだし、それをみんなが共有して楽しんでいくためには、何よりも「創作する心」への尊敬がなければならないはずだ。

数年前、「著作権とはそもそも何か?」ということを考える場として「著作権証明機構準備サイト」(http://chosakuken.org)というものを作った。著作権を根拠にしたビジネスの話の前に、そもそも原著作者であることの証明こそが重要ではないか、という趣旨だったのだが、討論の場として設置した掲示板には、開設当初から「○○をコピーしてWEBに載せてもいいでしょうか?」というようなお門違いな質問ばかり書き込まれてきた。

こんなことを書くと、それはおまえの被害妄想だろうと言う人もたくさんいる。しかし、作家はものを創り出す行為に一生をかけている人種だ。そのために犠牲にしていることも数多い。自分の一生の中で最大の意義、価値と信じている部分を犯されたらたまらない。

今回のことは、『森トンカツ』の呪縛から吹っ切れるいいきっかけになった。
『森トンカツ』は、テレビ局が特番のテーマにしていた「みんなのうた」だろうし、『森トンカツ』が全国的に流行ったことと僕の音楽人生はなんの関係もない。
『森トンカツ』は、作者(?)不詳のまま、昭和の風俗史に小さく記録されているままでよいのだ。さらば『森トンカツ』。
ただ、やはり、「証明ができない」と言われたことだけは、ひどく心に引っかかった。冤罪を着せられたような気分が残ると同時に、無力さを感じてしまった。

できることなら、自分が生きている間には、自分が作った曲のパクリには出逢いたくない。
今はただ、そう願うばかりだ。(2002年7月5日記)

◇追記◇
「たくきさんへの取材は放送しないことにした」と言われた『森トンカツ』の原作者を追うというその企画を、たった今、テレビで見た。
そういう結末にしましたか……と、ちょっと驚いた。
かつての有名子役女優が作ったという結末になっていたが、うちに取材に来たとき、ディレクター氏が「○○さんが作ったのではないかという話があって本人にも訊いたんですが、歌ったことは覚えているけれど、作ったのは違うと言っていましたし」とはっきり言っていたからだ。
どうすればいちばん盛り上がるか、という観点で番組は作られていく。それは今までにもさんざん見てきたことだから、今回も「またか」と思うだけだが、メディアとの関わりというのは、本当に難しいなぁと、痛感させられた一件ではあった。(2002年7月7日 記)

◆追記その2◆
2008年10月11日、小学校の同窓会というものが開かれた。僕らは1968年卒なので、実に40年ぶりに再会する顔・顔・顔……。というか、あまりに変わってしまっていて、誰が誰だか分からない。
その中で、いちばんの親友だった森くんと再会。それで話していて判明したことがひとつ。
僕が「森トンカツ」を作ったのを、森くんはしっかり覚えていた。「覚えているよ、もちろん! 苦労して作っているところをそばで見ていたもん」と言ってくれた。
ということは、作ったのは6年生のときではなく、5年生のときだったことになる。森くんとは5年のときには同級だったけれど、6年では別のクラスだったからだ。
他にも覚えているという同級生がいて、それもまた、5年生のとき一緒で6年では別のクラスになった女の子だった。
5年生のときというと、1966年4月~1967年3月まで。
『ブルー・シャトー』が発売された年を調べてみると、1967年3月15日に発売となっている。となると5年生のときに替え歌を作ったとすると、年度の終わりぎりぎりしか可能性がない。
もっとも、森くんとは仲がよくて、6年になって別のクラスになっても毎日一緒に帰っていたから、6年生になってすぐのことだったのかもしれない。(2008年10月15日 記)


a dog in the summer

挿画 a dog in the summer
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