たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2002年7月25日執筆  2002年7月30日掲載

「著作権」と「著作権ビジネス」

KAMUNA(僕と吉原寛のギターデュオ)のライブが終わり、ほっと一息。ふと思い立って、GOOGLEで「KAMUNA」を検索してみた。
すると、驚いたことに、アメリカやロシアで、勝手にKAMUNAの音楽ファイルを配信しているサイトがいくつもあるではないか。
しかも、そのうちのいくつかはアーティスト名と曲名を逆にしている。KAMUNAが演奏する「Another Christmas」が正解なのに、Another Christmas というアーティストが演奏する「KAMUNA」という曲として掲載されている。
中には僕が使っているサーバーの元ファイルに直接リンクしているものもある。

サイトには、フリーでダウンロードして聴いてよいとは書いてあるが、再配布してよいとは一言も書いてない。逆に、
Warning!: All files here are copyrighted. (C) Takuki Yoshimitsu , http://tanupack.com.
Do NOT distribute or alter these files in any way.

と断り書きが入れてある。

タヌパックレーベルのCDに収められた楽曲の一部を、MP3やWMAなどのファイルで紹介し始めたのは数年前のことだ。当初、日本のマーケットには見切りをつけ、海外に打って出る意思表示のつもりだった。試聴して気に入ったらCDを買ってね、という、ごく普通のやり方だが、サンプルファイルとしてはやや長めのものが多かった。
サービス精神からとも言えるが、30秒サンプルにすると、かえってモチーフだけを適当に盗まれてしまう恐れがあるように感じたからだ。曲の「ヒント」を与えるような公開の仕方よりは、きっちり全構成を提示したほうが、安全ではないかと考えたのだ。

海外からCDの注文は一件も来なかった。クレジットカード決済への対応や送料の問題もあるが、単純にアクセスがなかったというのがいちばん大きいだろう。
数年前には、アメリカのケーブルテレビ「Bet On Jazz」のオーディション番組にビデオを送り、放送された。このときはイタリアの青年がメールをくれたが、それ以上の反応はなかった。

そもそもKAMUNAを始めたのは、日本語の壁を超えて自分の作った音楽を世界に発信したいという気持ちの表れでもあった。アメリカのレコード会社やラジオ局にもずいぶんCDを送りつけたが、やはり反応はなかった。
そんなわけで、国内よりも海外で先に知られることができないかという野望は、だんだんしぼんでいった。
そして、忘れた頃、こうしてファイルが海外のサイトで勝手に再配布されているという状況に遭遇した。

盗作されたわけではなく、KAMUNAの作品としてそのまま流れているのだから、原初的な意味での著作権は最低限度守られている。しかし、コピーライトという意味での著作権は無視されている。
さて、これから先、どういう風に動いていくべきだろうか。しばし考え込んでしまう。

折しも、世界では「度を超えた著作権保護は少数の企業利益のみに寄与し、文化の発展を阻害する」という主張と、「著作権ビジネスこそ、これからの経済発展の鍵だ」とするソフト会社側の主張とが真っ向からぶつかり、論議を呼んでいる。

コンピュータソフトや技術でも、こうした対立が続いている。数年前の「GIF問題」に続き、最近ではなんと、画像ファイルの形式としては世界で最も認知され、利用されているJPEGまでが、突然ライセンスを主張し始めた。
JPEG の圧縮技術に関する技術は、VTEL(後に Compression Labs)という会社が1986年に特許を申請して権利を保有していたが、実際には今まで特許料の徴収は行なわなかった。だからこそ一種の「自由財」としてこれだけ広まり、世界標準形式として認知されるようになったのだ。
ところが、同社は1997年にForgent社に買収され、JPEGの特許権もForgent社の手に渡った。Forgent社はここにきて突然、JPEGの特許料徴収を考えていると意思表明したのだ。
これは数年前のGIFファイル形式(における圧縮技術)の特許料をUNISYS社が主張し始めたのと同じだ。GIF問題勃発のときは、フリーの画像ソフトやWEBブラウザから一斉にGIF表示用の機能が外されたりして、大論争が起きた。

コンピュータの世界、特にインターネット時代になってからは、多くの優秀なソフト開発者たちが無償で技術を公開し、広く共有を呼びかけたことが、急速な発展を遂げる推進力となった。驚くほど高機能なソフトが無償で公開・配布され、僕もその恩恵にあずかりながら仕事をしている。
画像ファイル形式としてこれだけ標準化されたJPEGが今になって特許料を徴収するとしたら、「今日から英米人以外の人間が英語を話す場合には、英語使用許諾料を払いなさい」と言われるような感じだろう。
しかし現実には、ソフトウェアに関するあらゆる権利は、これからのビジネス社会の核となると考えられ、企業は権利独占に躍起になっている。

ミッキーマウスなど、ディズニーの生んだキャラクターは著作権にうるさいので有名だが、世界中で複製される「ミッキーマウス風」のキャラクターは、誰が見ても「ああ、ミッキーマウスのパクリだな」と分かるし、ミッキーマウスの生みの親がディズニーであることもみんな知っている。ディズニー社など、コピーライト権益で稼いでいる企業の働きかけもあり、アメリカでは1998年に著作権保護期間を作者の没後50年から70年に延長した。今なお、ケーキ屋さんがデコレーションケーキの表面にミッキーマウスの顔を描いたりすることは、ディズニー社の権益を侵すこととして違法とされる。
これはディズニーの望んだことだったのだろうか?

話を音楽著作権のことに戻すと、日本でも、デジタル時代に合わせた、音楽作品をもっと自由に流通させうる著作権の仕組みを考えるべきではないかという動きが出てきている。坂本龍一氏などは早くからこの問題を指摘していた。最近ではOCM(Open Creation Movement)という活動(http://www.opencreation.org/)が注目に値する。
OCMは、「作品の利用のされ方の方針は、作者がきめるべき」「それを作者が世の中に宣言する仕組みを作りたい」「基本精神は、作品の利用を制限することではなく、むしろ解放すること」という指針で結成され、活動している。
OCMでは、この「作品の利用のされ方について作者が宣言する仕組み」としてOCPL(Open Creation Public License)というものを提案している。これは5桁の数字から成り、5つのケースについての許容度を数字で表すというものだ。
UNIXをご存じのかたなら、755や644といったファイルのパーミッションを思い浮かべるかもしれない。
各桁には以下のような意味を持たせている。

1桁目:商用利用・改変あり
2桁目:商用利用・改変なし
3桁目:非商用・改変あり
4桁目:非商用・改変なし
5桁目:クレジット表示義務と改変後作品への権利所有

「改変」というのは、主に「サンプリング」と呼ばれる、他人の音楽作品の一部をそのままコピーして、エフェクトをかけたりループさせ「新しい作品」に取り入れて再利用することを想定しているようだ。僕はこうした創作方法はあくまでも特殊な形態と思っているので、無断で改変してよい/悪いというコードが1桁目にきていることなどにはかなり違和感を覚えるのだが、アイデアとしては非常によいと思う。
ちなみに僕の作品にこのOCPLを振れば、30323 がいちばん近い。ラジオなどでの放送はいちいち許諾を求めなくても自由にやってくれてよい。しかし無断改変は禁止する。非商用と謳っていても、複製物への収録には許可申請を求める……というものだ。

従来の著作権管理(例えばJASRACが楽曲を管理した場合)では、このコードはすべての桁が3になる。2桁目を0にする(つまり無断で放送する自由を許諾する宣言)だけでも、従来型著作権ビジネスにおいては大異変となるだろう。
OCPLのアイデアはまだアルファ版の段階で、今後もっと煮詰められていくに違いない。うまく運べば、新しいムーブメントを生み出せるかもしれないと注目している。
また、従来型の著作権ビジネスとも、必ずしも真っ向から対立するものではなく、ある部分では共存共栄できるのではないかと感じている。
作品は人に知られて初めて商品価値を得る。マスメディアがその商品価値付与権を独占している現状よりは、広くオープンソース的な開放を促し、「まずは知ってもらう努力」をしたほうが、商品の裾野が圧倒的に広がるはずだからだ。

音楽CDなどは、新譜発売後半年間はレンタルを禁止するなどの措置をしているものがあるが、多くのアーティストにとっては、その逆のほうが有益だろう。つまり、発表後一定期間は極力オープンソースとして利用を呼びかけ、アーティストや作品を認知してもらう。その後に商品としての集金活動を始めるという発想だ。
長い目で見れば、そのほうが著作権ビジネス業界にとっても有益なことが多いのではないだろうか。

著作権ビジネスが、自社が独占的に儲かればいいというだけの理論で動き続けるなら、いつかきっと著作物そのものにしっぺ返しを食らうような予感がする。古代文明が自然を収奪して富を蓄え続けようとした結果、土地が砂漠化して滅びたように、著作物という作物も、適正な循環や共有があってこそ、持続性を保証されると思うのだ。
ディズニー作品の多くが、グリムやアンデルセンなど、過去の作家たちの遺産の上に成り立っていることはよく指摘される。
ウェス・モンゴメリーが、「親指オクターブ奏法は俺の特許だから、真似するギタリストは俺にライセンス料を払え」と主張したらどうだろう。そうしなかったからこそ、ジョージ・ベンソンやリー・リトナーが彼の「発明」を継承し、彼への尊敬をトリビュートアルバムなどの形で表明している。その結果、我々はより多くの素晴らしい音楽を享受できた。
権利を主張しすぎる社会の中では、自由な創作活動の火は次第に消えていくのではないだろうか。

食糧を得るだけで精一杯の国がたくさんあり、毎日多くの人々が飢えや貧困、戦争のために若くして死んでいっている。そんな地球に生まれ、創作活動などという贅沢を選べるだけでも、なんと幸せなことか。
アーティストは、客の投げ銭でなんとか生きていければ万々歳。僕自身はそう思っている。
だから、海外で勝手に再配布され始めている自分の作品に対しても、クレジットさえ明示してくれれば、それもひとつの理想的な配布方法かな、という気持ちはある。
問題は、それならそれで、ルールを明確にすることだろう。
しばらく時間をかけて考えてみたい。

Bird
■挿画 a bird in a marsh (c) tanuki http://tanuki.tanu.net
◇ちなみに挿画を提供してくださっているtanukiさんは、「たくき」とは別人です。