たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2002年8月22日執筆  2002年8月27日掲載

英語の教科書はいらない

ネットサーフィンをしていて、たまたまハングル文字やフランス語のサイトにたどり着くことがある。まったく分からないので、そのまますぐ立ち去ってしまう。
そんなとき、ふと思う。多くの日本人が、英語のサイトを開いたとき、今の自分のような反応をしているのではないか、と。

インターネット時代になり、一生日本国内で暮らしたとしても、決して英語とは無縁でいられなくなった。
外国語の中で英語だけを特別扱いするのは嫌だが、実際、コンピュータやインターネットは英語の世界であり、英語が分からないと大きなハンディとなる。

IT関連の企業で働いている中国人や韓国人の多くは、英語をそこそこ使いこなしているように見える。
日本は完全に負けている。しかも、若い世代の英語力がどんどん落ちているようだ。このままでは将来、競争力を失い、相当悲惨なことになるのではないだろうか。

偉そうなことを書く前に、僕自身の英語力がどの程度のものかということを告白しておこう。
大学では外国語学部英語学科というところにいて、実は英語の教師免許も持っている。だから「英語はペラペラなんでしょう?」とよく言われるが、とんでもない。
ヒアリング能力はほとんどない。英米人の会話を聴き取ろうとしても、半分も聞き取れない。
話す能力は、時間をかけてゆっくり話せばある程度のことは通じる。
読む能力は、一般的な文章なら辞書なしで7~8割くらいは意味が分かる。辞書の助けを借りれば9割くらいまでいくかもしれないが、それでもときどき、とんでもない誤読をする。
書く能力は、あちこちおかしいとは思うが、ほぼこちらの言いたいことを相手に伝えられる。

……と、この程度の力しかない。
しかし、そんな僕でも、日常的に海外のIT企業などと英文のメールをやりとりし、商売をしている。平たく言えば、英語のおかげで金を稼いでいる。
相手はフランス人、中国人、スウェーデン人、イギリス人で、ごく稀にオーストラリア人。なぜかアメリカ人とは、未だにビジネスをしたことがない。
イギリス人以外は英語は外国語だから、僕とほぼ同じ条件だ。お互い、英語という外国語を使って意志の疎通を図っているわけだが、特に困ったことは一度もない。
ビジネスメールの常で、内容はほとんど、クレームや要望、金がらみのことだ。時候の挨拶や人生相談などはないから、ドライな文章でもいい。

日本の学校で英語を学ぶだけで、英語圏への留学や長期滞在を経験していない日本人にとっては、この程度の英語力を身につけるのも大変なことだ。
中学から、いわゆる「受験校」に進み、落ちこぼれながらも、英語だけは最後の砦としてそこそこいい成績を保ち、大学では英会話のサークルなんぞにも入っていた僕がそう実感するのだから、確かだ。

もちろん、このコラムの読者には、現在欧米に在住していて英語を自由に扱っているかたもたくさんいらっしゃるだろう。しかし、敢えて言わせてもらえば、それは「特殊な少数」に入る気がする。日本の学校で英語を学ぶ以外にも英語をマスターする機会があり、その機会を有効に生かして努力した結果、英語が使えるようになったはずだ。

言い方を変えよう。
中学・高校の6年間、学校の英語の授業をきちんと受けて、テストも満点を取り続けた優等生がいたとする。極端な話、教科書の中身を丸暗記すれば、定期試験の点は取れる。しかし、そういうタイプの優等生が英語をマスターできるかというと、決してそうはならない。
なぜなら、英語の教科書は、日本の子供たちに本気で英語をマスターさせようとしていないからだ。

日本では中学生になって初めて英語を学び始めるが、12歳では耳の適応能力がほぼ終わっている。しかも、日本で普通に生活している限り、一日何時間も英語を聞き続けるなどということは不可能だ。もちろん、ヒアリングの訓練は必須だが、幼児のように、聞くだけで言葉が理解できるようになるとは思えない。
となれば、文法から学ぶしかないことは分かりきっているのに、英語教育の現場では未だに「文法重視の英語教育が諸悪の根元」「ミスを怖れずに、まずは話せる英語教育を」などというお題目を唱えている人たちがいる。

そういう人たちに言いたい。では、あなたは英語が喋れるのか? 喋れるとしたら、文法を勉強しないで喋れるようになったのか? 今の日本の学校教育の中で、あなたが言うような「文法よりも話す教育」が可能だと思うのか? 実施したとして、その環境の中で勉強したら、あなた自身は英語が喋れるようになると思うのか?

物事の理屈が分からないで、何か意味のあることを組み立てられるはずがない。例文を丸暗記して完璧に発音できるようになったとしても、それは台詞を覚えさせられているだけで、自分が言いたいことを言えるようになったわけではない。
特に、日本語と英語では、文法体系がまったく違うのだから、感覚で身につけろなどというのは無茶苦茶だ。

聞く・話す能力などというが、そもそも、作文能力がなければ、自由に話すことなどできるはずがない。読むことができなければ、相手の言っていることを聞き取れるはずがない。
ところが、日本の英語教育の現場でいちばんないがしろにされているのが英作文だ。
英作文の正解は一つではない。鍵になる言葉を知らなければ厳しいが、知っている言葉とシンプルな文章構造で、なんとか言いたいことに近い文章を組み立てるたくましさ、図々しさこそが、日本人に最も求められている英語力ではないのか。

文部省の学習指導要領に従っている限り、こうした能力は身につかない。
例えば、中学校の英語教科書に出てくる単語は、3年間で1000語もない。その割合でいけば、高校3年間を合わせても、2000語しか学ばないことになる。
しかも、「教科書準拠」をうたっている学習書などは、教科書に出てこない単語を使おうとしない。僕はそうした学習書の執筆や編集を長年やってきたのでよく知っているが、「orangeは出てくるけれど、appleは未習だから練習問題の文に使っては駄目」などということが平気でまかり通っているのだ。「アップル」という単語を知らない中学生がいるだろうか。そうしたくだらない次元で行われている中学英語には、何も期待できない。

文部省検定教科書を使っている限り、まともに英語などできるようにならないし、とりあえず大学入試に通らない。だから、私立の受験校では、ただで配布される検定教科書は捨てて、別途、違う「未検定」教科書を使ったり、独自のテキストやプリントを使って英語の授業をしている。
一方、塾や予備校では、大学入試突破に特化した、奇形の英語教育をしている。
これもまた極端で、定型化された書き換え問題や穴埋め問題に強い、一種のクイズ王のような「英語のできる子」になる。もちろんやらないよりはずっといいのだろうが、学習方法としては、あまりに効率が悪い。
(ああ、受験戦争に投入するエネルギーと時間を、効率のよい英語学習に費やせたらどれだけいいだろうか。)
結局、どんな環境に飛び込んでも、日本にいる限り、まともに英語ができるようになるとは思えない。なんという悲劇。

子供に向かって「基本は教科書だ」と言う親は、多分、自分は英語ができないのだ。
子供が英語に興味を持っていたら、そんな杓子定規なことは、間違っても言ってはいけない。

教科書準拠の学習書を執筆・編集して生活費を稼いでいた時期、ずっとこうしたストレスを抱え続けていた。
数年前、その悔しい思い、あるいは贖罪の気持ちを込めて、『インターネット時代の英語術』という本を書いた。英語をマスターできないまま大人になってしまった日本人が、今からどうやって英語を勉強できるかということを、本音で書いている。大人のための一般書として売られているが、実は、この本は受験生にこそ読んでほしかった。
決して、受験生の手元に届くような本ではない(参考書の書棚には並んでいないし……)のが、とても悔しい。


Where are you going?
■挿画 Peeping  Hey, where are you going?
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