たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2002年8月30日執筆  2002年9月3日掲載

巨大企業ほど信用できない理由(わけ)


去年から、母校上智大学に呼ばれて、外国語学部英語学科非常勤講師の肩書きで何回か話をしている。
不況で就職が困難になっている上に、昨今の学生は自分の人生設計ができない。自分が何をしたいのかも分からない。
給与所得者の道を選ばず、フリーランスを貫いている身として、彼らの目を覚まさせるような本音の話をしてほしい、という依頼だ。

僕が上智大学を卒業したのは1978年。外国語学部の学生の就職先といえば、メーカー、商社、銀行、マスコミ、省庁などで、残りのごく一部が英語の教員といったところだった。女子学生は、在学中にお見合いをして卒業と同時に結婚、なんていうケースも珍しくなかった。
記憶にある限り、第一志望の企業から振られたという学生はいても、就職できない学生というのはいなかった気がする。
ところが今は、企業の求人も減り、どこにも就職できず、途方に暮れる卒業生が急増しているという。

しかし、僕に言わせれば、なぜ就職にこだわるのかが分からない。100人の卒業生がいたら、せめて30人か40人くらいは、自分で何かしようという人間がいてもいいのではないか。
起業するとか、フリーランスで仕事をしていくという卒業生がほとんどいないのは、どうしてなのだろうか。
昔と違ってインターネットという舞台もあるし、その気になればいくらでも道は開けると思うのだが。

かつて、就職の際には「寄らば大樹の陰」という言葉がよく使われた。少しでも大きな企業に入ったほうが安定した人生を送れるという信仰だ。
さすがに今は、この言葉はあまり聞かなくなった。どんなに大きな企業でも、ある日簡単に倒産する。一流と思われていたメーカーが、信じられないような不正を働き、信用を地に落とす。

「企業戦士」とはよく言ったもので、企業に入るということは、兵士として上官の命令に絶対服従する一生を選ぶということに近い。おそらくは、小さな企業より、巨大企業のほうが「服従」の絶対度は高いだろう。
子供が生まれ、ローンを組んで家を建てたりすれば、いざというときに辞めるという選択もできにくくなっていく。

企業は、成長すればするほど、創業者の意志や理想を離れ、独立した利益追求型の生き物と化していく。「会社のために」という言葉をよく耳にするが、その場合の「会社」とはなんなのだろう。
平気で嘘をついたり、人を巧妙に騙したりすることも、「会社のため」なら許される。それに反対する力を、社員ひとりひとりが持っていないとしたら、そんな怖ろしいことはない。

それなのに、日本では今なお「大きな会社だから信用できる」とか「有限会社より株式会社のほうが取引先として安心」とか「資本金が巨大な会社だから安心」などという信仰が根強く残っている。

逆ではないのだろうか?

大きな病院ほど、命を預けるに安心なのだろうか?
頑固親父が一人でやっている食堂より、全国に数百の店舗を持つチェーン店のほうがうまいのだろうか?
腕が分かっている大工さんが建てる家、あるいは優秀な設計士が設計し、施工を管理する家より、メーカーのユニット住宅のほうが安心なのだろうか?

もちろん、巨大企業でなければできない仕事というものもある。個人営業の工務店が超高層ビルの建築を請け負うことは難しい。
でも、どんな大きなプロジェクトでも、結局、現場で動いているのはひとりひとりの人間なのだ。巨大企業では、そのひとりひとりの人間たちの能力が見えにくい。これは、不安材料でこそあれ、安心感にはつながらないと思うのだが。
バブルのとき、土地の買い占めや度を超えた投資を繰り返し、その後、勝手に破綻したのは巨大企業だ。企業が別の生き物として暴走し、狂った判断をし続け、社員ひとりひとりがそれを止められなかった結果ではないのだろうか。

しかも、これからは「物」を大量生産・消費する時代ではなく、ソフトやサービスを創り出し、享受していくことで心の豊かさを実現していこうという世の中になっていくはずだ。
ソフトやサービスの質は、個人の才能と努力によって向上していく。決して、「会社」が何かを生み出すわけではない。
例えば、僕はほとんどの文章執筆をQXエディタというソフト(テキストエディタ)を使って行っているが、理由は単純で、このソフト以上の執筆道具を未だに見つけられないからだ。サポートも的確で迅速。ユーザー同士の互助精神も素晴らしく、相当わがままな要求も、たいていはなんとかなってしまう。
サポート掲示板やメーリングリストで、「こんなことができればいいなあ」と呟くと、作者は「考えます」と答えて、次のバージョンではその機能を追加していたりする。あるいは、その日のうちに誰かが「ご要望にお応えできるかどうか分かりませんが、こんなマクロを作ってみましたのでお試しください」なんて言って、自分が使うわけでもない補助プログラムを作って公開してくれる。
世界一の規模のソフト会社でも、いや、巨大企業であればあるほど、真似のできないことだろう。

日本がこれからも「技術の国」として生き延びるためには、小さな企業や個人営業の現場を活性化させたほうがいい。
「資本金は2円です」と公言している合資会社がある。扱っているのはソフトなのだから、問題は「私」の資質であって、会社の資本金ではないでしょう? という挑戦だ。
客も、相手の資質を見極める能力を要求されるが、選ぶ自由は保証される……これこそ、本来の「自由化」ではないだろうか。

しかし、日本ではまだまだ個人やSOHOが活動しにくい。誰かが新しいことを始めると、さっそく「資格」や「基準」を制定して、新たな認定制度を設けたり、許認可権を巡って役人と大企業の癒着が進む。この体質を改めていかないと、本当に将来は、世界的な競争力を失ってしまうだろう。


へたりこんだ狛犬
■写真 後ろ脚がなくなり、へたりこんだ狛犬
(山祗社 新潟市赤塚 明治22年建立)