たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2002年9月27日執筆  2002年10月1日掲載

ヤマゲン先生の教え


たまに、主婦向けの勉強会的な集まりに講師として呼ばれることがある。テーマとしては環境問題が多い。
呼んでくれるグループによって、集まっている人たちの意識の持ち方や知識のレベルに大きな差がある。
そこで、話をする前に、簡単な質問項目を並べたプリントを配って回答してもらうことにしている。
例えばこんな感じだ。



■あなたのエコロジー認識度チェック

◆次の命題に、「その通り=○」「それは違う=×」「分からない=△」で答えてください。

1)洗剤は植物性原料のものが安心である。(  )
2)原子力発電は蒸気でタービンを回し発電する。(  )
3)紙おむつは高級パルプでできている。(  )
4)牛乳パックは再生紙原料としては不向きである。(  )




昨年、大学の授業の中で、学生たちに同じチェックを試みた。
正答率は、主婦たちよりもひどかった。
例えば、原子力発電とは、水を沸騰させて、その蒸気で発電タービンを回すことだ、という基本的なことを、ほとんどの学生が知らないのだ。
紙おむつが石油製品だということも知らないし、牛乳パックを再生紙原料にするためには、ラミネート加工されたポリフィルムを剥がすのが大変だということも認識していない。
植物性原料の洗剤は安心だと答えた学生には、「じゃあ、牛脂から作った石鹸はアブラヤシを原料とした合成洗剤よりも危険なの?」と質問してみた。
当然、答えられない。そもそも、質問の内容が分からないようだった。

彼らは大学入試という関門を通過してきている。連立二次方程式を解けるし、op-por-tu-ni-ty という単語のどの音節にアクセントがあるか知っているし、中臣鎌足と言えば、反射的に「大化改新。645年!」と答える。
でも、学校を出てから死ぬまで、連立二次方程式を使うチャンスが何度あるのか分からない(僕は未だに1度もない)。
単語のアクセント位置は知っていても、その単語を使った簡単な英作文ができない。
大化改新とは一体どういう事件だったのかを知らない。真相を知りたいとも思わない。

心に食い込まない、あるいは応用の利かない知識だけを詰め込んでも、時間の無駄ではないか。そんな教育なら、子供たちの貴重な時間を奪うだけ、むしろマイナスだ。その時間で、別のことをしたほうがずっといい。

35年前、僕は某国立大学付属の中学校を受験して、落ちた。
敗因は算数だった。「算数」以外はどの教科も十分合格点をとった自信がある。しかし、「算数」だけはまったく手が出なかった。
それまで見たこともないような問題が並んでいて、ほとんど白紙のまま時間だけが過ぎていった。

鶴と亀が合計20匹いる。脚の合計は78本である。鶴と亀はそれぞれ何匹か?
という問題なら解ける。これはいわゆる「鶴亀算」だ。もしも全部が鶴だとしたら脚は40本で、全部が亀だとしたら脚は80本だから……とやっていく。
ところが目の前の問題は違っていた。
鶴と亀とタコが合計1万3250匹います。鶴はタコの4.5倍います……。
なんじゃこりゃ? タコ? 聞いてないよぉ。

鶴亀算、旅人算、時計算、植木算……いろんな「算」があった。どれも、方程式を知っていれば簡単に解ける問題だというのは、中学に行って、数学を学び、初めて知ることになる。
算数の範囲では、こうした問題を理解するのも大変だし、計算の時間も方程式を解くよりかかる。
そこで、一部の進学塾では、さっさと方程式を教えてしまう。理屈は抜きで、やり方だけを教える。

「まず、鶴の数をxとするわけだ」
「先生、エックスってなんですかぁ?」
「そんなことはどうでもいい。エックスはエックスなんだ。で、鶴の脚は2本だから、脚の数は2エックスだな?」
「先生、2エックスってなんですかぁ?」
「2かけるエックスのことを2エックスっていうんだよ。つべこべ言わずに覚えろ」

……理屈は教えず、やり方だけを教える。一度覚えてしまえば、あんなに苦労していた「鶴亀算」や「旅人算」が、いとも簡単に解けてしまう。
この延長で、未知数が3つある3元連立方程式とかも教えてしまう。
鶴と亀の他にタコが出てきても、3元連立方程式なら簡単に解ける。
そう、某国立大学付属中学入試の「算数」の問題は、実際には算数ではなく、数学の問題だったのだ。
国は、小学校では算数しか教えないと指導している。一方で、国立大学付属の中学校に入るためには、算数にこだわっていては駄目なのだ。
つまり、この国立大学付属中学の入試を突破するためには、「○○算」なんて面倒なものはやらなくていい。最初から「算数」ではなく、代数の初歩をマスターすべく、特別な教育を受けていればいい。具体的には、親にお金を出してもらい、「国立大附属中学進学専門」クラスのあるエリート養成進学塾に行った小学生だけがこの関門を通過できる。
これは、僕にとって初めて「国に騙された」と知った経験だった。

さて、中学に入った。
ヤマゲンというあだ名を持つ数学の先生は、まず「算数と数学はどこが違うのか」という話から始めた。
負の数、平方根、無理数、虚数など、新しい事柄が出てくるたびに、「そもそも数とは何か?」「数にはどんな種類があって、人類はどのように数の概念を広げていったか」という話を、しっかり時間をかけてしてくれた。
数学者ガロアの生涯とか、ゼロという数を発見したことがどれだけ大変なことだったかなどということを力説する先生だった。
幾何では、新しい定理が出てくるたびに、なぜその定理が成り立つのか、それまでに学んだ定理だけを使って証明してみせた。
「対頂角は等しい」などという誰の目にも自明の定理でも、ヤマゲンはきちんと証明をしてみせた。
「もし対頂角が等しくなかったとしたらどうなるか……」という逆転の発想による証明方法も教えてくれた。

幾何の証明問題には、正解が幾通りもある。それが楽しかった。
へそ曲がりの僕は、授業で教わった以外の解き方はないだろうかと考え、試験のとき、わざと教わった以外の解き方を書いた。いらない補助線を引いて、模範解答の2倍くらいの行数を費やしてようやく証明してみせる。無駄の多い解き方だが、ヤマゲンから教わった解答ではなく、自分で考えた解答だ。
ヤマゲンはちゃんと最後まで見て、○をくれた。嬉しかった。

2年生になり、ヤマゲンは別のクラスの担当になってしまった。新しい数学担当教師は、ヤマゲンに比べると才能も情熱もがくんと劣っていた。教師のせいにするのはいけないが、ヤマゲンの授業が素晴らしかっただけに、一気に退屈になった数学の授業時間が悔しくて、次第に数学を勉強するのが嫌になっていった。その結果、3年生になったときには完全に落ちこぼれ、さらに3年後、大学受験のときは、入試科目に数学のない私立文系しか受験できないというありさま。ああ、情けない情けない。

しかし、数学は忘れてしまったが、数学の魅力については、今でも漠然と理解できるつもりだ。また、どんな複雑なことでも、基本から理論をひとつひとつ理解していくことがいかに大切かということも、ヤマゲンから学んだ気がする。

学習指導要領が改定になり、小学校で台形の面積を求める公式を教えなくなったのはけしからんという意見を耳にするが、別に台形の面積を求める公式などは暗記させる必要はない。台形は高さの等しい三角形2つに分けることができる。三角形の面積を求める公式(底辺×高さ÷2)を知っていれば、簡単に台形の面積の公式は導き出せるからだ。

しかし、こうした「仕組みを教える」「なぜそうなるのかを教える」教師は極めて少ない。
歴史にしても、事件の内容と年号丸暗記に明け暮れるのではなく、なぜそうした事件が起きたのか、その背景は何か。あるいは、その情報はどこまで正確なのかというようなことを考えさせる教師は少ない。
大化改新=645年、と丸暗記させても、そもそも大化改新とはなんだったのか、実際のところはどうだったのかを考えさせない。記紀の編纂に見られる権力者側の意図はどういうものだったのか。そうした、想像力をかき立てる教え方をしていない。

考える時間を与えられず、覚えることだけを求められる子供が大人になったとき、個々の事例に柔軟性のある対応ができないのは当然のことだろう。
官僚や役人たちの融通のなさやずさんな対応を見ていると、ああ、この人たちは本当に、自分の心でものを考え、決定していくという訓練を受けていないのだなと痛感してしまう。
結果としては、どうすれば自分の仕事がいちばん楽になるか、責任をとらなくてよい方向に形だけまとめられるか、そうした基準でしか動かなくなる。

鶴と亀とタコが1万3250匹も集まったら、中には脚がなくなったやつも何匹かいるだろうなあ。特にタコなんかは、脚の1、2本くらい、食べられちゃってなくなってるなんてのがいるだろうなあ。そういえば、こないだ池で捕まえた亀も、脚が一本なくなっていたなあ。そのまま放してやったけど、あれからどうしただろうなあ。ちゃんと生きていけたかなあ。
……なんて考えて、ふと計算する前に鉛筆が止まってしまう子供は、受験勉強には向いていなくて、落ちこぼれてしまうのだろう。でも、本当はそうした想像力、観察力、思いやりなどこそが、単純な計算能力よりも必要なことなのだ。

天才数学教師・ヤマゲンに教わりながら、僕は数学をものにできなかった。根の公式も三角関数も覚えていない。
でも、ヤマゲンの授業を受けたことは無駄にはなっていない。彼が熱っぽい口調で、1時間中、ガロアの生涯を語っていたシーンは今でも覚えている。彼が本当に数学が好きなのだということも実感できた。自分も、何かを本当に好きになり、情熱をかけてみたいと思った。
ヤマゲン先生が意識していたかどうかは分からないが、彼は、教え子の中に東大合格者を増やすことよりも、自分が好きな数学の魅力を、ひとりでも多くの子供に伝えたいという気持ちで授業をしていたのだと思いたい。
僕は「数学落伍者」になってしまったが、30年以上経った今でも、ヤマゲンの授業の記憶を、こんな風に文章にして、誰かに伝えようとしている。
偉そうに言えば、教育の成果というのは、こういうことなのかもしれない。

(たくき よしみつ http://tanupack.com


Home Sweet Home
■挿画 Home, SweetHome.
(c) tanuki (http://tanuki.tanu.net)







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