たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2002年10月18日執筆  2002年10月22日掲載

事なかれ主義の国



北朝鮮工作員に拉致された日本人のうち5人が、ほぼ四半世紀ぶりに日本の土を踏んだ。
全日空チャーター機が羽田に着陸する映像以降、日本中の人たちが彼らの表情や言葉に注視し、涙したり、緊張したりしている。僕もそのひとりだ。
涙腺が弱いので、タラップを降りてきて、肉親と抱き合う映像を見たときは、涙がこみ上げてきた。
彼らは僕と同年代であり、人生これからという20代前半や、夢多き10代に拉致された。それを思うと、到底他人事とは思えない。

これは、事故にあった行方不明者が発見されたとか、開拓団として異国の地へ渡っていった人たちが親族に会うために帰国したというような話ではない。
ある日突然「人さらい」にあい、冷酷非情な洗脳・恐喝や狡猾な懐柔策などにあいながらも、生き延びるためにぎりぎりの選択をしてきた人たちが、人さらい集団の監視付きで、半ば、国 vs 国の外交の道具のようになって日本の地を再び踏んだということだ。
だからこそ、見ている我々も、複雑な思いや緊張感を持って彼らの言動を見守っている。

まるで郷土が生んだスポーツ選手を迎えるかのような「歓迎式典」が用意されるなどして、ともすると問題の本質が見えにくくなりがちだが、僕自身は、大きく分けて3つのことを考えさせられた。その3つの視点をまとめてみたい。


(1)「帰国」ではない

報道の中には、冷静な判断をさせにくくしている要素がいくつもある。例えば「一時帰国」「永住帰国」あるいは「被害者の意志の尊重」といった言葉だ。
彼らは暴力で連れ去られ「監禁」されていたのであり、正規の手続きを経て「出国」したのではない。出国したのではない日本人に対して「帰国」という言葉を使うことがそもそもおかしい。「永住」帰国に至っては論外で、彼らは今でも当然日本の住民である。
それとも、二十数年の年月を経ているから「時効」だというのか。暴力をふるった犯罪者側の勝ちなのか。

同じように、「本人たちの意志を尊重し」というのもおかしな話だ。たとえ被害者たちが今、本心から北朝鮮での生活に満足し、向こうでの生活を望んでいるとしても、その生活は違法行為から始まっているのだから、まず、その違法行為、犯罪行為をきっちり処理してからでなければ、彼らには北朝鮮に住む「権利」もないはずだ。つまり、彼らの「意志」でどちらに住むか決められる、という考え方は間違っている。
二十数年前の北朝鮮工作員による犯罪を解明することが第一。その上で、被害者である彼ら自身が、その犯罪を許容し、日本政府に対して、「私たちは事実上の北朝鮮人として、北朝鮮国内に住むことを希望しますので、正式な出国許可および北朝鮮での長期滞在許可を超法規的に認めてください」と嘆願書を出すなりするのが道理というものではないのか。

5人のうち、二組の夫婦は、カップルで拉致されたものの、最初の1年以上は隔離されていたという。なんと冷酷に計算し尽くされたプログラムなのか。背筋が凍る思いだ。
おまえが素直に運命を受け入れ、朝鮮語を学び、「将軍様」への忠誠を誓えば、好きな相手と一緒にさせてやる……おそらく、そう言われ、苦悩した挙げ句の選択だったのだろう。
人間は弱い。そんなことをされて、抵抗し続けられるはずがない。
こうした、到底許されない手段で自分たちの生涯を決めさせられてしまった末に、現在の彼らの生活がある。出発点が非合法なのに、なぜ現状だけが超法規的措置の対象になるのか?
拷問による自白が無効であるのと同様に、彼らの現在の「幸福感」は、捏造されたものだ。無罪の人間が自白を強要された挙げ句、刑務所の中の暮らしに満足し「今さら苦労の多い社会に戻るのも面倒だ。もう、娑婆には出たくない」と言えば、それでいいのか? 被害者の気持ちを尊重して処置するというのは、そういうことではないのか?

こうした、誰が考えても当然の理屈が、暗黙のうちにタブー視され、北朝鮮政府ばかりか、日本政府も、彼らが「25日までに北朝鮮に帰ってくれないと困ったことになる」などと言っている。基本的な道理さえ通せない政府が、これから先、かの国とまともに交渉ごとなど進められるとは思えない。


(2)兄たちの頑張り

今回、5人の生存が確認でき、彼らの生の声を日本のメディアにのせることができた裏には、肉親を拉致された親や兄弟で結成された「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(家族会)の粘り強い活動があった。
これまで、外務省をはじめとして、日本政府が、彼ら拉致被害者の家族に対していかに冷淡であったか、今さらながら日本国民は知ることになった。メディアの力なくして、今回の5人の「一時奪還」は果たせなかっただろう。
メディアは、ときに拉致被害者の関係者や親族のプライバシーを踏みにじったり、神経を逆なでするような行動も平気でとるが、有力な手段を持たない被害者家族たちにとっては、メディアは唯一最大の武器である。絶対に敵には回せない。それだけに、メディアには、政府に対する以上に神経を遣い、辛抱強くつき合ってきたに違いない。その強靱な精神に感服する。

今回、タラップを降りてくる被害者たちの胸には、青いリボンが揺れていた。
これなども、家族会が長年のメディアとのつきあいの中で学んできた手法なのだろう。
被害者たちは胸に例の金日成バッジをつけているに違いない。それを力ずくで外させたり、「金バッジ」に対抗して、より大きなプラチナバッジを作ったりするわけではない。どこにでもある青いリボンひとつに、負けないぞ、これからだぞ、という自分たちの意志を込めた。嫌みにならない視覚効果。なかなかの戦略ではないか。うまいなあと思った。まさに「戦う家族会」の真骨頂だ。

記者会見などを見ていると、両親はもちろんだが、特に被害者の「兄」たちの頑張りが目立つ。
蓮池透さんは今や家族会きってのスポークスマン的存在で、メディアも視聴者も、彼の言葉にいちばん注目している。
弟と再会しても、喜んでばかりはいられない。非常に複雑な立場に立たされながらも、絶えず状況を冷静に分析し、変身(変心?)してしまった弟と真正面から対峙する透さんの姿勢には、多くの国民が驚いているに違いない。
人情味豊かな浜本雄幸さんの存在も極めて大きい。バランス感覚がとれ、いつも周囲に気を配っている姿勢に共感する人たちは多いだろう。(雄幸さんは、年齢からしてよく富貴恵さんの父親と間違えられるが、「兄」である。)
家族会事務局長の増元照明さんは、拉致被害者・増元るみ子さんの兄ではなく弟だが、やはり家族会の活動においては重要な役割を果たしてきた。
他にも、石岡亨さんの兄・石岡章さん、田口八重子さんの兄・飯塚繁雄さんなども、その発言は落ち着いていると同時に的を射ていて、重みがある。
もし、自分が彼らのような立場に立ったとしたら、はたしてここまで頑張れるだろうか、と思ってしまう。
それだけに、彼らの頑張りに比べて、外務省をはじめとする「お上」は、一体今まで何をやってきたのだろうという怒りを覚えざるをえない。


(3)立場を逆にした視点

タラップを降りてきた5人の胸には「金」バッジがついていた。最初の記者会見では、日本語のイントネーションもちょっと怪しかった。彼らが、生きるために、北朝鮮の人間にならざるをえなかった哀しさ、無念さを思い、改めて涙が出てきた。
同時に、これと似た涙を、前にも一度流したことがあると、すぐに思い至った。

それは、1988年のソウルオリンピック開会式を見ていたときのことだ。
会場がどよめいた。白髪の老人が、踊るようにして聖火を掲げて会場に入ってきた。孫基禎(ソン・キジョン)さん(そのとき76歳)だった。
その名前を聞いた途端、僕はボロボロと涙をこぼしてしまっていた。
恥ずかしい話だが、今もこの原稿を書きながら、あのシーンを思い出すと涙が出てくる。

孫基禎(ソン・キジョン)と南昇龍(ナム・スンヨン)。マラソンファンである僕にとって、この二人の名前は忘れることができない。
二人は、1936年のベルリンオリンピックに、揃って日本代表としてマラソンに出場。孫選手が金メダル、南選手が銅メダルを取り、2本の日の丸をあげた(詳細はこちら)。
朝鮮が日本の植民地にされたばかりに、征服者の国旗を胸につけてマラソンを走らなければならなかった無念さは、どれだけのものだっただろうか。
あの孫さんが、自分の国で開かれたオリンピックを、老いた身体を目一杯に使って祝っている。泣けて泣けて、どうにも涙が止まらなかった。

彼らだけではない。当時の朝鮮人はみんな、自分たちの言葉を捨てさせられ、「日本人」になることを強要された。
拉致された5人の日本人が、しっかり北朝鮮の人間にされてしまい、自分たちは幸せだとアピールしている姿を見たとき、そのことに思いをはせないわけにはいかなかった。
今、朝鮮半島が北と南に分かれてしまっていることにしても、そもそもの原因はなんだったのか。日本が無関係だなどとは到底言えない。朝鮮半島の中では、家族が分断されて会えなくなっている悲劇は数えきれない。朝鮮の人たちにとって、家族や仲間が理不尽に分断され、心の壁を作らされていることは、今なお、特別な事件ではなく、日常の一部なのだ。

もちろん、拉致事件と戦前の日本の朝鮮半島統治政策をリンクして考えろと言っているわけではない。まったく別個の問題であることは分かっている。
しかし、正確な知識や相手を理解し、尊敬する気持ちがあってこそ、言うべきことをきちんと言う、毅然とした外交もできるはずだ。

今回生存が確認できた5人の拉致被害者のうち、夫婦二組は、もしかすると、「自分たちはもう日本では暮らせない。北朝鮮での暮らしを選びたい」と言うかもしれない。そのときこそが正念場だ。
家族たちはもちろん、日本政府も、「自分たちだけがいい暮らしをしていればそれでいいのか?」と切り返さなければならない。「たとえあなたがたがいいと言っても、それでは世界の秩序が滅茶苦茶になってしまう。拉致して洗脳したほうが勝ちなどということを許すわけにはいかない。日本は、そうしたあたりまえの理念を持って世界の平和を祈念していく決意をし、努力をする国なのだ」
……この言葉を言う勇気を持ち、けじめをつけるためにも、日本人は歴史を正しく認識し、そこに学ぶ姿勢を持たなければならないだろう。
知らないふりをしたり、ごまかすのがいちばんいけない。

5人が羽田に降りたその日、NHKのBSでやっている演芸番組に、チャーリーカンパニーが出ていた。
ニッカボッカにねじり鉢巻きというおなじみの格好で現れた日高てんは、奇しくもこう言った。
「日本が民主主義の国? 馬鹿言っちゃいけないよ。日本は昔から『事なかれ主義』の国だろうが」

昔は笑って見ていたが、だんだん笑ってばかりはいられなくなってきた。
このまま政府が事なかれ主義で拉致問題幕引きをはかるのかどうか、国民はしっかり見守っていかなければならない。


(バックナンバー再録にあたっての追記)

この後、日本に戻れた5人については、誰もが予想しないような展開になっていった。
政府は一転して「5人は帰さない」と言い切り、5人も「(北朝鮮には)もう二度と戻らない」という決意を固めていった。
北朝鮮政府も、日本の外務省も、日本の国民も、こうした展開はほとんど予測していなかったんじゃないだろうか。
いろいろな要因があったにせよ、世論が政府を動かしたことは間違いない。
Let's Go Home
挿画 Let's go home.
(c)tanuki (http://tanuki.tanu.net)


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