たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2002年11月22日執筆  2002年11月26日掲載

デジタル世界の「全体主義」


蓮池薫さん・祐木子さん夫妻が、柏崎市の支援の下、パソコン講習を始めたという。
テレビのニュース番組でも、2台のノートパソコンを覗き込む夫妻の姿が流れた。
デジタルストレス王としては、この映像を見ただけでも、いろいろなことを想像してしまう。

へえ、ノートなんだ。OSはなんだろう。やっぱりWindowsなんだろうなぁ。
メールの使い方から始めたのか。誰が教えるのかなあ。
まさか、Outlook Expressをデフォルトで使わせてはいないだろなあ。指導担当者が力のある人だといいんだが。
そもそも、電子メールの練習って、回線はどうやってつないでるんだろう。市役所に入っている回線とサーバーを使うのかなあ。アタッカーがすごいんじゃないのかな。
きちんと設定しないと、たちまちクラッキングされたりするんじゃないのかしら。そうじゃなくても、単純にウイルスに感染したりして……。
とにかく、はい、これがWordですよ、これがExcelですよ、なんていう、そのへんのパソコン教室みたいな教え方はしないでほしいなあ。
……などなど、まったく余計なお世話だが、勝手にどんどん想像を膨らませ、心配してしまうのであった。

このところ、北朝鮮から逃げ出した元工作員やら元警備兵といった人たちの話がよく紹介される。それらを読んだり聞いたりするにつけ、独裁者に支配された全体主義社会がいかに怖ろしいかを痛感する。
金正日体制と比較できるわけではないが、デジタルの世界でも、ときどきどうしようもない息苦しさ、腹立たしさ、絶望感を味わうことがある。
例えば、メールに貼付して、ワープロソフトの独自形式ファイルが送りつけられてくる。開くと、図やレイアウトが滅茶苦茶で、読めたものではない。どうやら同じワープロソフトでも、バージョンが違うためらしい。
このファイルを読むためには、最新のバージョンに買い換えろというのか?

そもそも、自分ではこのワープロソフトは嫌いなので使っていない。今持っているバージョンも、人から送ってくるファイルを読むだけのために、安くない金額をはたいて購入したものだ。
思い起こせば、その前のバージョンも購入したが、バグだらけで使い物にならなかった。バグフィックスをしただけのような新バージョンを、さらに購入させられる羽目になった。
あの怒りからまだそれほど時間が経っていないのに、またか。

自分では煙草を吸わないのに、喫煙者が来訪するために自宅に灰皿を買っておくようなものだ。しかも、相手が煙草の銘柄を変えるたびに、灰皿も買い換えなければいけないという理不尽さ。
でも、いくら言っても相手は分からないんだよなあ。ここで事を荒立てても、相手が気を悪くして「じゃあ、他に頼むからいいよ」となって、仕事が入らなくなるだけだから、黙って最新式の灰皿を買って用意し、客を迎え入れなければならない。たまらんなあ。

ソフトのバージョンは上位互換があたりまえだから仕方がないと言う人もいるだろう。しかし、問題はそう簡単ではない。
渡された文書ファイルを校正したりしなければならないこともある。仕事だから仕方がないと最新バージョンを買い続けたとして、もし、送ってきた相手が古いバージョンの場合はどうなるのだろうか。
上位互換だから、渡されたファイルが古いバージョンのものであれば普通に開けるだろう(それさえ怪しいお粗末なソフトもあるが)。しかし、そのファイルを校正して相手に送り返した途端、相手がまともに読めなくなるということもありえる。それではまるで、バージョンアップという虐め行為に加担しているみたいではないか。そのリスクを、こちらでは判断しようがない。ひどいよなあ。

……こんな怒り、閉塞感、脱力感、諦めを感じることがよくある。これって、「デジタル世界の全体主義」とでも呼べるのではないだろうか。

デジタルの世界では、いい全体主義と悪い全体主義があるように思う。
多くの人がデータを共有し、自由に閲覧でき、受け渡しができるというのがデジタルの魅力だから、その意味で、規格の共通化、共有化は必要だ。
同じネットワークに所属しなければ使えないパソコン通信の世界が廃れ、世界中を自由に結ぶインターネットの世界が発展したのは当然の結果である。同じ通信費を払うなら、より多くの人と接することができたほうがいいに決まっている。
これは「いい全体主義」。

しかし、それを逆手に取り、一企業がある規格に対する独占権を得ようとした場合、ユーザーは企業の戦略に振り回されることになる。
誰もが無料で使えると思っていたファイル規格に対して、ある日突然、企業が「それはもともとうちが権利を持っている技術を使っているので、今日からは権利料を取る」と宣言したら大混乱になる。実際、そうした事件はたくさん起きている。
「GIF問題」はその代表例だが、実際、GIF問題発生以降、多くのフリーソフトが消えたり、GIF画像への対応を外さなくてはならなくなった。

また、本来は無料で誰もが使える共通規格(例えば文字コードだけから成るテキストファイル形式)があるのに、企業の戦略によって、その企業が権利を持っている特定のファイル形式(ワープロ文書の独自ファイル形式)を刷り込まれ、使わされている人々も数多い。
ただの文章データ(文字情報のみ)をワープロソフトで入力し、それを作成したワープロソフトの独自形式ファイルでメールに貼付してくる人がいるというのは、企業倫理の問題というよりは、「教育問題」だろう。

そこでまず、教育現場に提言したい。
学校などの公的教育現場でコンピュータを教える場合、特定のソフトに偏った「操作法」の習得ではなく、まずはコンピュータとは何かという基本を教えてほしい。
コンピュータとは何をするものなのか。
デジタル信号とはどういうものなのか。
デジタルファイルとは何か? どう扱えばよいのか。
ファイルの形式には、誰もがただで、広く扱えるファイル形式(テキストファイルがその代表)と、特定のソフトでのみ扱える独自のファイル形式があるということ。
自分が扱っているファイルは、どんなOS、ソフトで有効であり、テキストファイルならどんな文字コードで作成されているのかを知る必要があること。

そうした基本的な認識がないまま、「○○が扱えます」とか、「××検定1級」などと言っても仕方がない。特定のソフトにしか通用しない表面的な知識・技術は、使えなくなるのも早いし、中途半端な自信がついてしまう分、まったくの初心者以上に、他人に迷惑をかけ続けることも多い。
基本的な考え方を身につけていれば、デジタル世界の規格がどんどん変化していっても、適切に対応し、最小限度のトラブルに抑えられるだろう。
教育とは、本来そういうものだ。

次に、ソフトメーカーにお願いしたい。自社製品の独自ファイル形式をデファクトスタンダードにしたいという意気込みがあるのなら、受け手側の操作を無償で保障していただきたい。

例えば、PDFファイルというものがある。Acrobatというアプリケーションで作成するのだが、Acrobatは一種の印刷ドライバのようなもので、単独で何かを作成するものではない。他のワープロソフトや画像ソフトなどで作った文書や画像を、どんな環境下でも同じように見える(印刷できる)ように共通のファイル形式に変換するものだ。
Acrobatのよいところは、閲覧するだけのソフト(Acrobat Reader)を無料で配布していることだ。これにより、誰もがPDFファイルを読む(見る)ことができる。Acrobatがバージョンアップして新機能(例えばフォントの埋め込み)を搭載すれば、Acrobat Readerもバージョンアップして、その新機能を使ったファイルでも読めるようにしている。

こうした「半分は無償公開する」というソフトは数多い。マルチメディア関連のソフトはたいていそうだ。そうしないと普及しないから、ということもあるが、デファクトスタンダードを目指すなら、ファイルの作り手、送り手側からは金を取るが、受け手側には負担をかけないのが礼儀、という思想があるからだろう。
エキスパンドブックもそうだし、最近発表された新しい圧縮ソフト「超縮」なども、解凍ソフトは無料で配布するらしい。
それなら、デファクトスタンダードになったとしても、納得できる。

しかし、ワープロソフトではそうした配慮があまりされてこなかった。
Wordのビューアは、Word Viewer97で止まっていて、バージョンが違うと図や表をきちんと再現できない。
「一太郎ビューア」というものも出ている。これは一太郎ファイルだけでなく、Word文書も開けるというふれこみなのだが、試してみたところ、Word2000のファイルは正しく表示されないものがあった。しかしまあ、これは他社のワープロ文書に対してだから、文句を言うのは筋違いというものか。
Wordに関しては、すでにWord2000が出てずいぶん経っているし、Word2002というのも出ているのだから、Acrobat Reader並みに、最新バージョンでもまともに表示できるビューアを、Microsoft社は一刻も早く無料配布してほしいと思う。

デジタルの世界では、ひとつのファイル形式や規格が、「世界標準」として一種の「権力」を持つことがある。
みんなが認める素晴らしい規格・性能であれば、誰からも愛される大物として、正々堂々と君臨するはずだ。黙っていても、安定政権が続くだろう。私腹を求めない君主(フリーソフト)であれば、さらに民の尊敬は集まる。
しかし、何かの拍子で、あるいは力ずくで天下を取った権力もある。使いづらく、不安定で、本当はこんなもの触りたくもないのに、すでにシステムとしてできあがってしまっているため、嫌でも使わざるをえない。おかしなところがいっぱいあるのに、みんなが使っているからという理由で、クレームも言えないようなムードがある。
あるいは、深く考えることもなく、気がついたときはそれしか知らず、他のものは使えなくなっていた。だって、初めてコンピュータに触れたときから「それ」が標準だと思っていたんだもの……。会社の上司からも、それがあたりまえであり、使いづらくても文句を言わず使えるようになれと命令されたし……。
そういうソフトは、「悪い全体主義」の手段になっているだけであり、永遠に尊敬を得ることはない。

全体主義国家とデジタル世界全体主義との違いは、全体主義国家の国民は亡命もできないが、デジタル世界なんて所詮はバーチャルなもので、ユーザーがその気になればいつでも、別の手段を得たり、外の世界に飛び出せることだろう。
あなたが毎日向かっているコンピュータの世界は、デジタル世界のほんの一部でしかないかもしれない。コンピュータは、隷属を強いる悪魔の拷問具ではない。そう見えたとしたら、何か認識が間違っているのかもしれない。ちょっと横を見れば、まったく別の解決法が隠されている可能性もある。
それに、どうしても嫌だと思ったら、電源を切ってしまえばいいだけのことだ。コンピュータがなくても、別に、すぐ死ぬようなことはないのだから。
古殿八幡神社の狛犬
 拙著『ワードを捨ててエディタを使おう』(SCC)のカバーとなり、「テキストエディタ」を布教し続ける狛犬
古殿八幡神社(福島県石川郡古殿町松川。昭和7年建立。彫刻師・小林和平)



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