たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2002年12月 未掲載

ロボコンストレス 顛末記


12月9日に「ロボコンストレス」が掲載されるとすぐ、賛否両論のメールが殺到した。
非難のメールのほとんどは、
「参加者たちの苦労を取材もしないでいい加減なことを書くな」
「謝罪しろ」
という内容。
送ってきたのは、生徒の母親とおぼしき女性、参加した生徒、ロボコン参加者OBなどだった。
中には節度のあるご指摘もあった。

ロボコンぐらい、楽しんでやって欲しい。テレビで失敗を放映されようが、気にしな いって素晴らしいと思います。本当の重圧は彼らが仕事を始めてからやってくるので す。
(38歳・会社員・女性)


確かにその通り。
一方、「そうだそうだ」というメールも多かった。

今年だけでなく、年々、レベルが低くなっている。それに対して、NHKの中継は
「努力が凄い」とか、「よく頑張った」とか、高校野球で良く使う、褒めごろし。
ダメなものはダメと何故いわないのか。
中継のNHKに最大の責任あり。
高校野球もロボコンも、NHKは学生に甘すぎる。
(62歳・会社役員・男性)

同じようなのが私が教えていますPolytechnicに留学に来ます。
そのような学生をよこさないでほしいと言っても、そのような学生を問題とは見ていない先生に、大いに問題を感じます。何がよい、何が悪い、が、自信を持って言えない先生が多いのでは。困ったことです。
できないということを恥ずかしいと思わなくてよい、というのはとんでもない話です。
(63歳・教師・男性。原文はすべてローマ字だったのを漢字仮名混じり文に変換



ロボコン「関係者」からは、詳細な内部告発?のような情報や、さらに激しい抗議のメールもきた。
プロのアドバイザーをつけて参加している学校は総じて出来がいいとか、NHKが設定している条件が悪すぎる、指定している材料が高価で実証実験できない、などなど。
ロボコン参加者のメーリングリストやら掲示板やらでは「鐸木能光というふざけたやつが、ロボコンの実体をろくに知りもしないでいい加減なことをasahi.comに書いた。謝罪させよう」というような盛り上がりもあって、それをなだめることに尽力された関係者もいたようだ。
お騒がせして申し訳ないとも思うが、そんなに大騒ぎされることに対しては、今なお違和感を覚えている。
そんな中で、真剣なメールをくださった何人かとは長々とさらにメールのやりとりが続いた。
相手方の了承を得たものだけ紹介してみる。


たくき様
約10年程前にロボコンに参加したOBです。今でも現役学生と交流があり、今年も大会を見に行ったので、コラムを興味深く拝見させていただきました。
読み終えて共感出来る点と納得できない点がありメールさせていただきます。

「共感できる点」


 ・ロボットが動かない点、学生の態度について
 私自身、はじめて参加した年はロボットがトラブルで動きませんでした。
 昔から、大会でロボットが動かない、製作が間に合わないということはありましたが、今年はとうとう、重量オーバーで試合に参加できなかったロボットもあると聞きます。
 年々大会当日に動かないロボットが増えているのは残念でなりません。
 TVで動かなくても一生懸命やったからそれで良しという学生を見ると、本当にそれで満足なの?と思います。ロボコンはアイディア重視であるから結果や完成度よりプロセスが大事だと言う学生もおりますが、これは主旨の捉え方が違っています。
 結果に至ったプロセスを含めてトータルに評価するのであって、決して結果を求めずにプロセスのみ重視しているわけではありません。ロボット製作が大会に間に合わないのであればその作り方におかしいことがないか考える必要があります。また「ロボコン」に期限はありますが、「ロボット作り」に期限はありません。大会後も改良を続けて納得できる形にして終了する義務があると思います。こうしたことを行っていけば連続して動かないということは減っていくのではと思います。

「納得できない点」


・「模範作品」を見せる点
 これは全く納得できません。ロボコンの醍醐味は答えが用意されていない、答えは無数にあることにあるのです。
 是非、一度この本(『ロボコン博士のもの作り遊論』自在研究所長 森 政弘 著)を読んでみてください。筆者はロボコンの発足者の東工大の名誉教授の方です。そもそもロボコンを開催する意義、目的は「もの作りを通じて人づくり、心を育てる」こととあります。いわば教育です。
 従来の教育、授業は教える側が答えを知っていて、それを解く為の手法を指導するものです。受身であるため教わる側にとってはつまらない物になりがちです。しかしロボコンでは決まっていることはルールのみであり、答えは終わってみないと誰もわからない、だからこそ、学生は興味を持ち、夏休みも取らずに夢中になるのです。
 開催側はこうあって欲しいとレールを敷いても、学生側はそれ以上の結果を別のレールを通って出す。だからこそTVを見ていても面白いのだと思います。
 よって「模範作品」を提示することははじめから答えを示すことであり、ロボコンの目的に反することであり今以上に学生のもの作りへの興味をそいでしまう危険性があると思います。

 最後に過去の大会に比べて最近は自動化させたり、会場が立体になっていてルールが年々難しくなっています。大会は歴史を重ねていますが学生は15年ずっとやっているわけではなく少し可哀相だと思う気持ちもあります。
 第一回大会は乾電池2個を使って走るというルールでした。是非昔のシンプルなルールに戻って欲しいと思います。
 これからも是非ロボコンに興味を持ち続けていただき、また応援して頂けたらと思います。長文失礼いたしました。



たくきです。
大変にていねいなメールをいただき、恐縮しております。
実は、今週はほとんど『ロボコンストレス』の後始末に追われていまして、毎日、返事を書いたり、考え込んだりしています。
これだけ反響の大きかったことは、過去にありません。
ロボコンの参加者やOBたちの間では、「ふざけたことを書いたやつがいる。謝罪させろ」という騒ぎになっているようで、実際に「謝罪しろ」「どういうつもりだ」というメールが毎日届いています。
中には冷静に書いてあるものもあり、そうしたメールには、私の反省点も込めて長文の返事を書いています。

>「共感できる点」
>・ロボットが動かない点、学生の態度について

実際に参加されたかたからこうした「共感」をいただくとは思っていませんでした。
なにしろこのところずっと「謝れ」という、ほとんど脅迫じみたメールばかりでしたから。
現役学生を指導する立場の人からも「どういうつもりなのか回答を求む」というようなメールが来ています。

  
>「納得できない点」
>・「模範作品」を見せる点
>  これは全く納得できません。ロボコンの醍醐味は答えがないことにあるのです。

なるほど。
そういう考え方は大切ですね。
とにかく、今年のロボットがあまりに動かないのを見ていて、どうすれば低予算、手造りでも確実に形にできるのかを見せてあげないと駄目なんじゃないか、と思ったのですが、ロボコンの思想には反しているのでしょう。初心は「ゼロからの出発」「プロにはできない発想」なんでしょうね。
模範解答というのではなく、リタイヤしたエンジニアたちに、もう一度若いときの気持ちに戻って、はしゃいでもらえたら楽しいだろうな、という考えで書いたのですが、危険性は大きいかもしれませんね。
(中略)

貴重な情報とご意見をありがとうございました。



他にもたくさんメールをいただき、たくさん返事を書いた。
以下はその中の1つだ。

 XXXX様
 
 はじめまして。鐸木能光です。
 メールありがとうございます。
 今回は苦情や反論が多いだろうなとは予測していましたが、案の定、すでにいくつもの反響をいただいています。
 現在のところ、子供の母親と思われる女性から1通、現場に参加したことのある学生から3通(あなたが3通目です)、フィンランドの教師(日本人)から1通、その他2通。
 asahi.comに送ってきたものに関しては、きちんとした内容のものには返事を書きましたが、読者フォーラムで紹介されるかどうかは分かりません。
 僕のところに直接送られてきたメールに返事を書くのはこれが初めてです。
 
 書き方がまずい部分があったなという点は反省しており、来週火曜日掲載のコラムで述べています(原稿はもう送ってあります)。
 学生さんたちのメールはどれも、「現場を知らないのに偉そうなことを言うな」「我々の努力を冒涜している。謝罪しろ」というような内容でした。あなたのように節度のあるメールはこれが初めてでしたので、こうして返事を書いています。

>現場の人間としては恐縮しています。特に、どんな苦評であれこの様に
>取上げられているのは正直嬉しいです。


 僕が逆の立場でも、多分こう感じると思います。
 文章を書く仕事をしていると、批判にさらされるのはしょっちゅうで、中にはまったく的はずれな批判や、誤解に基づく反論も多数あります。
 小説作品でも、こちらが伝えたいテーマにはまったく触れられず、そのテーマを娯楽として加工するための部分、しかも自分にとってはどうでもいいような問題をとりあげて、なおかつ好き嫌いを元に攻撃されることがよくあり、悲しい思いを何度もしてきました。
 でも、基本的には、それでも「読んでくれたんだな」「批評を書くだけのエネルギーを相手に沸き起こさせたのだな」ということには感謝しています。完全に無視されてしまうというのが、人間としてはいちばん哀しいことですから。
 
 また、

>「動かないのが情けない」結構です、と言うのがNHKの本音です。ABU大学
>ロボコンが確実?に動いているので高専ロボコンはちょっと動かないくらいのハラハラ感が宜しいら
>しいです。


 というあなたの冷静な目に共感を覚えます。
 メディアはそこまで計算して番組を作ります。それを承知で、今回は「うまくのせられて」、意地悪オヤジ、嫌な視聴者役をやってみました。そうした役回りを引き受ける大人が消えてしまったように思うからです。
 番組的にはあれでいいんでしょう。実際、僕も「なんなんだこれは」と言いながら最後まで見て、ああやって文章にしているんですから。でも、NHKですから、揶揄するオヤジ役は用意していません。
 かつて『お笑いスター誕生』に出ていたタージンは懐かしかったですが、あまりはまっていなかったし。本当は、ビートたけしあたりが禿げ鬘に焼酎の瓶でも持った例の格好で「だめだこりゃ」「おまえら、うちの現場で鍛え直してやる」くらいのジョークを飛ばすくらいのラフさがあればいいんですけれどね。
 文章もそのくらい崩してしまったほうがよかったのかもしれないと思いますが、それはそれで、「不真面目だ」と激昂する人が出てくるかもしれません。
 
 現場の苦労は容易に想像がつきますよ。
 かつて、ロボコンに参加していた高専の学生と何度もメール交換をしていたこともありますから、夏休み返上でやっていることも、どれだけエネルギーを使っているかも聞かされています。
 
 でも、どんな人間も、人生の中でその程度の苦労や失敗は重ねてきています。それは当たり前のことで、何も特別なことじゃない。ロボコンは、むしろその努力が目に見えやすいだけに、人の心をとらえやすいんです。少なくとも晴れ舞台は用意されているし、努力の結果を確実に「見てもらえる」。
 世の中、誰にも知られることなく努力し、その努力が報われず、結果も残せない……ということのほうが多いんです。
 
 今の大人たちが若い人たちに感じる違和感は、その苦労をしようとしない者が増えていること、あるいは苦労を特別なものだと感じていることなんじゃないでしょうか。
 成功の構図がシンプルになってしまい、努力をしなくてもメディアの力や幸運により脚光を浴びる人間も増えています。それを見ているから、普通の努力を特別なことのように感じてしまうのかもしれません。

 社会では、努力に対する評価はしてくれません。結果だけです。
 その点、教育現場はいささか特殊で、一般社会との接触が少ない分、教師たちもまた、社会の厳しさという洗礼を受けずに、次第に感覚がずれてくる危険性を秘めているのかもしれません。

 ロボコンはアイデアが勝負で、完成度は二の次だという意見があります。NHKもそう思っているはずですし、僕もそれを楽しんでいます。
 つまり、これは「言わずもがな」の部分です。
 それを全部承知の上で、あえて「でも、動かなけりゃロボットでもなんでもないじゃん」と言ってやる大人がいない。それが不満です。

> これからも是非高専ロボコンをよろしくお願いします。

 はい。ファンですから。
 もちろん、毎年楽しみにしていますよ。

XXXX様

たくきです。なんどもメールをいただき恐縮です。

今日は、知人の娘さん(中学1年生)がギターを始めたいというので、新大久保のクロサワ楽器まで買い物につき合ってきました。予算は2万円ということだったので、選択肢は少ないだろうなと予測していたんですが、幸運なことに、先月、6万円のアントニオ・サンチェス(スペインの工房。この工房で作るギターとしてはこれが最低のランク)を買ったオーボエ奏者が、ほとんど弾かない内に「もっといいものに買い換えたい」と持ち込んだ「中古」(実際には新品と同じ)が2万8000円(ハードケースつき)という価格で出ており、それを薦めて、買わせました。多少予算オーバーでしたが、非常によい買い物でしたね。僕が最初に買ったギターは3500円でした。時代が違いますが、ギターの値段は今もそんなに変わっていません。2倍としても7000円。それに比べたら、いきなりスペイン製のちゃんとしたギターを持てるなんて、幸せだなあと、羨ましく思ったりもして……。

閑話休題。さて、なんだか調整役のようなことをさせてしまっているようで恐縮です。

> 昨日は後輩達といろいろ話をしました。かなり単に怒っているだけで取上
>げられてること事態が『関心』を持ってもらってるという事に気付いてない
>人達が情けない事に多かったです。


多分、話している内にどんどん悪感情や怒りだけが増幅されていくような状況なんでしょうね。
今回のことでいちばん驚いたのは、現代の若者が、思っていた以上に「打たれ弱い」ということです。運動会の徒競走で順位をつけないだとか、相対評価から絶対評価へというような教育現場の変化が影響しているのか、それともやはり親が叱らなくなったのが原因なのか……。しばし考え込んでしまいました。

実は、今回のコラムには、「よく言ってくれた」というメールもいくつか来ています。そういう反響はまったく予想していなかったことなので、僕としてはむしろちょっと困っているんです。

「結果はどうであれ、努力は評価されなければいけない」これは確かに素晴らしい教育理念で、正しいことですが、その一方で「しかし、社会は努力に対してではなく、結果に対してのみ評価を下す」という事実を一緒に教えていかなければいけないのではないか? その部分がどんどんタブー視されるようになり、大人だけでなく、教育を受ける子供たちが錯覚してしまっているように感じていました。その違和感を表明する場として、ロボコンの風景を取り上げたわけです。

ロボコンという分かりやすい「題材」を使ってそのことを書いてみただけで、テーマはロボコンそのものではありません。ロボコンをやっている連中は、むしろ僕としては好感を持って見ている青年たちなわけです。だから、「そうだそうだ」という反応があると、逆に「まあ、そこまで言わなくても……」と思ってしまうんですね。

フィンランドのPolytechnic I.D. で教えている先生からは、
「できないということを恥ずかしいと思わなくてよい、というのは、とんでもない。そのような学生を問題だと見ていない先生に、大いに問題を感じます。そういう学生がこちらに留学してきて自分も困っている」というようなメールが来ました。やっぱりそうか、という思いと同時に、でも、ロボコンに出ている連中は、一般の学生よりはずっとまともだろうなあと、今度はフォローしたくなるわけです。

間違えないでほしいのは、ロボコンを馬鹿にしたり、ちゃかしたりしているのではないということ。ロボコンが好きだからこそ、「だめなものはだめでしょ」「それを妙に感動物語に仕立てようという演出は不要でしょ」と言いたいわけです。分かるかなあ? まあ、今は分からなくても全然かまわないけど。

話はちょっと違いますが、岡山県の高校サッカー全国大会への選抜決勝で、審判の誤審から優勝校のエースストライカーが退部するという事件があったそうです。これなんかも、逆の意味で、大人が教育の現場できちんと責任を取れない例だと思うのです。

ロボコンを毎回つぶさに見ているわけではないですけど、以前に比べるとちょっと感動がなくなってきています。単純に、「甘くなった」んじゃないかという印象です。謝罪しろというメールがきて、ああ、やはり思い違いではなかったなと分かりました。

普通の大人の感覚だと、「ああ、いいなあ。俺たちもあんな時代があったよなあ……」という感じでしょう。お粗末だなあという感想を言わないのは、どうせ社会に出れば嫌というほど鍛えられることを知っているからです。しつこいようですが、努力に対してお金を払う人はいません。形になった「成果」に対してのみ、お金を払います。大人は否応なく、そうした世界に生きています。学生時代はそれを考えなくてもいいから、いっぱい失敗すればいい。大人は、そのことを知っているからあえて言わないんです。言うのは野暮ってもんだろ、ということですね。

僕はその野暮なことをやっているわけですが、これが愛情から出ていると理解されないのは仕方ないとしても(当然、そんなこと期待していないし)、いわゆるあなたがたの言葉で言う「逆ギレ」に対しては、他にちゃんと教えるべき人たちがいるように思いますので、これ以上深入りはしません。20年後、こんなこともあったっけと思い出し、そのときに、あのときとは何か違っている自分を見つけてくれればいいと思っています。

(後略)
 

ここに掲載したのはほんの一部で、2週間以上にわたって、毎日途切れることなくメールが行き来していた。
……という顛末記であります。
  目次へ目次へ     次のコラムへ次のコラムへ

★タヌパック音楽館は、こちら
タヌパックブックス
★狛犬ネットは、こちら
     目次へ戻る(takuki.com のHOMEへ)

タヌパック書店