たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2002年12月12日執筆  2002年12月16日掲載

あの頃の気持ち



高校2年生のとき、担任の先生の発案で、グラウンドの隅に「タイムカプセル」というものを埋めた。
密閉容器(といっても大きなポリバケツか何かだったと思う)の中に、今、この時間を自分が生きているという存在証明になるような小物(日記とか写真とか美術の時間に作った作品などなど)を入れて校庭の片隅に埋めて、大人になってからみんなで集まり、掘り出そうというものだ。
1972年のことで、28年後、西暦2000年になったらこれを掘り起こすためにみんなが集まるという話だった。

何年か前から、この「タイムカプセル」のことが気になっていた。なかなか招集がかからないからだ。
2000年じゃなくて、2001年だったのかなぁ。それとも「30年後」だったのかなぁ。30年後だとしても、今年でもう30年だよなぁ。どうなっているんだろう。

先日、25年ぶりくらいで高校の同期会に出た。高校2年のときの同級生で、今では母校で教頭をしている友人も来ていたので、このタイムカプセルのことを訊いてみた。
すると、「ああ、あれはグラウンドを整備したとき掘り起こされて、そのままどこかに破棄されちゃったんだ」という返事。
あまりに呆気ない結末だ。
工事で間違って掘り起こしたとしても、そのまま破棄された、はないだろうに。

でも、今となっては、別に怒ったり悲しんだりする感情もあまりわかない。20歳そこそこくらいのときに知ったら憤慨しただろうに、やはり歳をとってしまったのだろうか。

高校2年のとき、僕は学校で毎日のように教師と衝突していた。髪を切れ、切らないという問題だ。
「よしみつが髪を切るまでは、体育の授業は全員1時間中ランニングだけさせる」というような圧力もあり、教室の中でもどんどん孤立していった。
担任ともそのことで当然ぶつかり、毎日、学校へ行くのが嫌で嫌でたまらなかった。

髪を切る、切らないを巡るトラブルは高3になっても続き、高校最後の文化祭では、コンサートの出場資格を得るためのオーディション1位になったにもかかわらず、「メンバーに髪を伸ばしているやつがいる」という理由で、僕のバンドはステージに立たせてもらえなかった。
僕らのバンドは高1、高2と連続してオーディション1位となっていて「オフコースの在学中よりずっとうまい」と言ってくれる先生もいた(おいおい、こんなところで自慢かよ)。
受験勉強で高3の文化祭などは参加しないのが当たり前という風潮の中、最後だから出ようと他のメンバーを説き伏せての出場だっただけに、リーダー格の僕の髪のせいでステージに立てなくなったことはショックだった。
その後も僕は結局髪を切らず、最後は「髪を切るまでは卒業させない」ということになり、卒業式にも出てはいけないと告げられた。
「たとえ大学に合格しても、おまえが髪を切らなければ卒業できないんだから、大学にも行けないぞ」とすごむ教師もいた。

馬鹿みたいに思えるかもしれないが、30年経った今でも、髪を切れと脅される夢をよく見る。不思議な夢で、大学を卒業しているのに、なぜかもう一度高校に戻り、毎日学校に通わなければいけなくなっている。僕は見知らぬ後輩たちの中に混じって、一人で通学している。そこでまた「髪を切れ」と言われ、教師と対立しているのだ。そういう夢を、卒業後30年間にわたって何度も見た。
なぜ単純に高校時代の夢ではなく、大学を卒業してからまた高校に戻っているという夢なのかはよく分からない。行く必要など何もないのに、夢の中では、ムキになって、1日も休まず学校へ通い続けている。何かをやり残したという気持ちが強いのかもしれない。

ちょっと話が脱線したが、とにかく、タイムカプセルの発案者だった担任・H先生とは、「髪の毛問題」をめぐって、ひどく折り合いが悪かった。卒業後も、用事があって母校に戻ることが何度かあったが、彼とだけは絶対に顔を合わせないようにしていたほどだ。
しかし、さすがに30年経てばそんな気持ちも消える。タイムカプセルを掘り起こすのがいいきっかけになって、笑顔で再会できればいいなと思っていた。
カプセルそのものが、もうなくなってしまっていると知ったとき、最初に思ったのは、これで、H先生と再会できるチャンスが消えてしまったな、ということだった。

30年経って、今、僕は子供たちに自分の経験を伝えていく立場になっている。
スタンスは、「策を弄さず、自然に接する」ということだ。
自分が子供だったとき、いちばん嫌だったのは、大人に脅されたり、おだてられたり、踊らされたりしていると感じるときだった。ここで大声を出して威嚇すればおとなしくさせられるという教師の「テクニック」が見えてしまったり、おまえは他の連中とは違って特別なんだと吹き込まれ、いい気にさせられて操られたり……そういうのがいちばん嫌だった。

高校時代、国語のU先生という名物教師がいた。
油染みとフケがこびりついた背広を1年中着て、背中を丸めて歩く。
毒舌で、生徒が質問に答えられなかったり、間違えたりすると、容赦なく「馬鹿!」「おまえ、よくそれでこの学校には入れたな」「もういい。馬鹿を相手にしているとこっちまでおかしくなる」などなど、罵声を浴びせる。
必死に考えて答えても「くだらん!」「平凡だな」「駄目なもんは駄目だ」などなど、歯に衣着せぬどころか、傍若無人に近かった。何がどう駄目なのか、説明してくれないのも困った。挙げ句の果てには「おまえらみたいな馬鹿には、授業なんかしていても意味がない。やめた」と言って、本当に教室を出ていってしまう。
かと思うと、機嫌のいいときは1時間中でも、好きな谷崎潤一郎の作品論を楽しそうに喋りまくっていたりする。
1時間目の授業で、教室に入って来るなりニタッと笑い、「昨日、ト×コ(これは今では禁句。現代では「ソ○プ」という)に行ってきたんだ。あ~さっぱりしたぁ」などと言い放ち、生徒たちを唖然とさせたこともある。

U先生は生徒たちの間では人気がなかったが、僕は嫌いではなかった。授業中、僕がくだらない思い出し笑いをしたのを、自分が馬鹿にされたのと勘違いされ、廊下に出されたこともあったが、そのときも、恨む気持ちはなく、誤解されたことがただただ哀しかった。
高3のとき、U先生が授業中、ふとこんなことを口にしたことがあった。
「大学に行ったら、一人だけで東京の街をあちこち歩き回ってみろ。どこでもいい。目的なんかいらない。その代わり、絶対に一人で歩け。友達とか恋人と一緒になんてのは駄目だ」
僕はその言葉を忠実に実行した。学生時代、普段は行きそうもない場所にひとりでよく出かけて、歩き回った。それは後に、小説を書く上での貴重な体験になっている。

U先生には僕もずいぶん「馬鹿!」と怒鳴られたものだが、彼の言動には少なくとも嘘や計算はなかったように思う。

大学在学中、群像新人文学賞に応募して3次予選を通過してから、最初の小説『プラネタリウムの空』を出版するまでに15年かかった。
書店に並んだデビュー作を見ながら、U先生ならどう評価するだろうと考えた。あの劣等生のおまえが、よくもまあ小説を出版してもらえたものだと誉めてくれるだろうか?
いや、多分「くだらん!」と片づけられるだろうなぁ。すぐにそう思った。
実際、彼の美意識からすれば、僕のそのときの小説など、薄っぺらな「トレンディードラマ」もどきみたいなもので、文学としてはまったく評価するに値しないものだったろう。
U先生がどれだけの実力を持っていたのか、僕には分からない。でも、「馬鹿!」と罵倒されたときには、自分にはまだまだ知ることのできない文学の深みがあるのだろうと、漠然と意識したし、その気持ちは今なお変わらない。


ところで、先週の『ロボコンストレス』について、過去にロボコンに参加した若者複数から抗議のメールをいただいた。
現場の苦労や実体を知りもしないで、よくああいうことが書けたものだ。謝罪しろ、という内容だった。

反省点は確かにある。まず、タイトルがよくなかったし(「ストレス」という言葉で、シリーズタイトルと揃えようとしたのだが、これだけを見れば嫌な印象になりそうだ)、表現もまずいところがあったと思う。その点は率直にお詫びしたい。

だが、基本的な部分では、別に間違ったことを書いたとは思わないし、謝罪しろと言われる筋合いのものではない。
権力に対しての苦言は、自分が危機にさらされることを覚悟の上で書く。若い世代への苦言は、憎まれることを予測しながら書く。これは似て非なるもので、少なくとも、愛情を持っていなければいちいち「駄目じゃん、こんなんじゃ」とは書かない。

あんたは分かっていない。本当はこうなんだよ、と指摘してくる気持ちはありがたいのだが、許せない、謝罪しろ、と結ばれている点には、どうしても違和感を持ってしまう。
こうした違和感を持ったときは、必ず自分が逆の立場だったらどうだろうと想像してみることにしている。
カチンときただろうこと、傷ついたことは容易に想像できるし、それは承知の上での憎まれ役だ。でも、どう想像しても、「謝罪しろ」という発想にはならなかった。
学生時代、くだらないことで対立していた教師を相手にしていたときも、闘ってやる、負けるもんか、今に見ていろ、という気持ちは漲っていても、謝罪しろという方向に考えることはなかった。それって、むしろ汚れちまった大人の発想ではないのかなぁ。

大人と子供が対立するのはいつの世でもあたりまえのことだ。それによって双方が何かを学び取り、社会も変化していく。
もしかして、今はそういうあたりまえのことがきちんと行われず、うまく機能していないのだろうか?
だとしたら、これまた、子供たちばかりではなく、大人の責任こそ大なのだろう。

[子供のときの気持ちを、大人は忘れるとよく言われる。
タイムカプセルに何を入れたのか、まったく思い出せない。確かめる術も、もうなくなってしまった。]

突き落とされた子獅子
■山の上の親獅子から突き落とされ仰向けになった子獅子

護国神社・栃木県栃木市泉川町。建立昭和13(1938)年8月。彫師・関澤眞
(全体を見たいかたは→http://komainu.netへ)



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