たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2003年1月15執筆  2003年1月21日掲載

鬼が作った国・日本

先週に引き続き、日本人のルーツと、日本古代史の謎について書いてみたい。(なんだかどんどん路線が怪しくなってるぞ)

わが書斎の本棚には、「ある種の」本が相当数並んでいる。どういう種類の本か、説明するのは難しいので、パッと目に入ってくる背表紙にある書名と著者名を列挙してみよう。

魔と呪いの系譜修験道(滝沢解)、日本妖怪異聞録(小松和彦)、銅鐸と女王国の時代(松本清張・編)、古史古伝入門(佐治芳彦)、エミシ研究(田中勝也)、縄文人国家=出雲王朝の謎(関裕二)、出雲という思想(原武史)、鬼の棲む国封印の日本史(三浦竜)……。

まだまだいっぱいあるが、どういう「路線」かは、なんとなく分かっていただけると思う。
(特に意識して買ったわけではないのだが、いつの間にか結構たまっているなあ……。)
大型書店に行くと、「この路線」の本がずらっと並んでいる一角を見つけることもできる。表向きの日本史とは違った歴史観を持って、古代から脈々と続く「裏の日本史」を見つめている人たちは結構たくさんいるという証拠だ。

この中に、『鬼が作った国・日本』(小松和彦・内藤正敏)という本がある。(あると書いたが、実はぐちゃぐちゃの書棚のどこかにあるはずで、現在は行方不明。)今回のコラムタイトルはこの書名をそっくり借用した。
この本についてのよくできた説明はケノさんのサイト「モナ丼」このページにある。

ここにも書いてある通り、「鬼」は単に空想上の生き物ではなく、表の政治権力から抹殺された者たちのシンボルでもある。
さてさて、ここからが先週の続きになる。

大和朝廷による列島支配は、いくつもの怨嗟を生んだ。
1万年続いた縄文の文化や精神風土を変質させていったことによる「縄文の血」の抵抗。あるいは、初期の支配者層同士の権力闘争の果てに生まれた「消し去られた支配者グループ」側からの恨み(「出雲」というキーワードでこれを表す人たちもいる)。別の言葉で言えば「まつろわぬもの」「闇の世界に棲むもの」。
こうしたものが集結して「鬼」が生まれた。

鬼は、もともと日本にあった原日本的な精神の叫び、あるいは、権力を取り損ねた一族の怨念の象徴とも言える。決して単純な悪ではない。
青森県の鬼沢村には、山から下りてきた鬼が灌漑用水を切り開き、飢饉で弱っていた村人たちを助けたという伝説がある(村の名前もそこからついている)。
大江山の鬼・酒呑童子は鬼の世界では超有名人?だが、絶対悪ではなく、どこかダークヒーロー的な扱いをされている。
最近ブームになった陰陽師も、当然鬼の系譜から生まれている。
鬼の存在はマイナスではない。むしろ、「鬼的なもの」が歴史の底流にずっと存在し続けていたことが、この日本という国のユニークさであり、強さなのだろう。

ところが、最近の日本には、この「鬼」的な緊張感、複雑さが足りない気がする。
支配者と鬼の暗黙の対峙ではなく、支配者と従順な一般大衆という単純な図式になってきている。そうした単純構造の世界には、魅力的な文化は育たないし、権力者の暴走を止める力も働きにくい。
つまり、この国から「鬼」が完全に消えて、単純な支配構造が完成してしまったときこそ、日本という国は一気に弱体化し、歴史のうねりを乗り切る力を失うのではないか。

ここ数年、縄文というキーワードが注目されているのも、そうした漠然とした危機感を抱いた人たちが多いことを物語っているのではないだろうか。
別に縄文時代をとりたてて美化するつもりはないのだが、アメリカ幕藩体制下にあり、かつ、北朝鮮という爆弾をすぐそばに抱えた現代の日本が、したたかに、柔軟に生き延びていくための重要な隠し味、栄養剤、活力源が、縄文の再認識であり、「鬼パワー」なのではないかと、勝手に感じているのである。

(「鬼」と「縄文」をキーワードにした遊び場「縄文村」を作りました。お遊びにいらしてください。http://jomon.org



男根に龍

■巌鬼山神社で見つけた変なもの



小説『鬼族-KIZOKU-』の取材のために訪れた巌鬼山神社(青森県)で、こんなものを見つけた。江戸期の狛犬の台座にくっついていたもの。よく見ると、男根に龍が巻き付いている。なんじゃこりゃ? 想像を膨らませたあげく、小説の中にも登場させてみた。




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