たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2002年2月1日執筆  2002年2月5日掲載

蚊が飛んでいる献血車

経済の本質を説明するとき、「蚊のいる国といない国」というたとえ話が用いられることがある。
ここにA国とB国の二国がある。両国とも、人口も自然環境もほぼ同じ。唯一違っているのは、A国には蚊がいないが、B国には蚊がいっぱいいるという点である。
さて、この二国のうち、経済にとって、よりよい環境の国はどちらか?

答えはB国。
蚊がいるから、蚊取り線香が必要になる。殺虫剤も必要になる。かゆみ止めの薬も必要になる。蚊取り線香やかゆみ止めの薬を製造する工場で働く人が必要だから、雇用も増える。薬屋さんの儲けも増える。そうした分、金が余分に回り、A国よりも経済が成長する。

僕は愚かにして鈍なので、蚊のいないA国のほうがいいなぁと思う。でも、賢くて鋭い人たちは、B国には金儲けのチャンスが余計にある分、「いい国」だと思う。
賢い人たちは、蚊がいることに感謝しながら、せっせと蚊取り線香やかゆみ止めの薬を売って儲ける。蚊は嫌だろうって? なあに、どうってことはない。儲けた金で、蚊が入らない快適な超高級高層マンションに住めばいいだけのことだ。レジャーには、蚊のいる自分の国ではなく、蚊のいないA国に遊びに行けばいい。その金を保障してくれるよう、蚊にはなるべく多くの国民から、広く浅く血を吸ってもらいたいと思っている。

蚊取り線香なんてなくていいから、蚊がいないほうがいいと思う人と、蚊取り線香で儲けられなくなるから、蚊はいなくては困ると思う人とは、多分、一生すれ違ったままだろう。価値観の基準が違うのだから当然だ。

今回の「田中真紀子外相更迭事件」を見ていて、なぜかふっと、この「蚊のいる国、いない国」の話を思い浮かべてしまった。もちろん本質的には関係ないのだが、どこか似ているものを感じてしまったのだ。

「田中外相は更迭されるべきだったのか、そうではなかったのか」というアンケートで、世論はおよそ7対3に分かれているらしい。7は「外相が辞めるのはおかしい」と答え、3は「まあしょうがないんじゃないの」と答えた。
7のグループは3のグループに対して、「なんでこんな簡単なことが分からないのか?」と憤り、3のグループは7のグループに対して、「世の中、そう単純じゃないんだよなあ」と、苦笑している。
注意しなければいけないのは、3割の人が「この式に対する答えは正しい」と言っているわけではない、ということだ。つまり、「外相は間違ったことをした。故に、辞めさせられるのは当然」と思っているわけではない。
恐らく、3割の人たちはこう思っているはずだ。
「少なくともアフガン支援会議へのNGO出席問題に関して、外相は間違ったことはしていない。でも、それはそれとして、辞めさせられたのはタイミング的に仕方がない

さらに言い換えてみる。
この国に住む7割の人たちは、「血税という血を不当に吸っている役人たちに、まず血を吸うことをやめさせ、きちんと公正な仕事をさせろ」と考えている。
残り3割の人たちは、「血を吸っていてもなんでも、そういう人たちが仕事をしてこの国は今までうまくやってきた。アフガンみたいに、滅茶苦茶な難癖つけられて爆弾を降らせられることもないのはあの人たちのおかげ。だから、私たちが多少痒いのは我慢して、今まで通り仕事をしてもらいましょうよ」と考えている。

つまり、同じことを論じているようでいて、土台になっている価値観や判断基準がまったく違うのだ。話がかみ合うはずがない。

福田官房長官は言った。
「今度は外相として『いい人』を選びたい」
いい人とは、「仕事ができる人」という意味だろう。でも、これも恐らく、彼らが考えている「仕事」と、多くの人が考えている「仕事」では、中身が相当ずれているのだ。
蚊取り線香がたくさん売れればいいと思っている人に、「そもそも蚊がいなければいいのだ」と言っても話がかみ合わないのと同じように。
多分、彼らにとって「仕事ができる人」というのは、人々に血を吸われている痒さを気づかせない技術を持った人、ということなのだろう。

そうかそうか。でも、血を吸われる側として、せめて言いたい。
きちんと役に立ててくれる献血なら協力もするだろうが、蚊やブヨがぶんぶん飛び回っている献血車には乗りたくない、と。

さてさて。献血車の中で殺虫剤をまき始めた人は、やはり「非常識」なんだろうか?






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