たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2003年4月18日執筆  2003年4月22日掲載

電力不足より怖いもの

去る4月15日、東京電力が保有する17基の原子力発電所のうち、唯一運転を続けていた福島第一原発6号機が定期点検前倒しのために停止され、ついに「原発完全停電」に突入した。
電力不足が心配されると報道されているが、今のところ我が家の電気は停まっていないし、日本中で停電は起きていないようだ。

「原発完全停止」……なんとも感慨深いものがある。
ちょうど季候がいい時期とはいえ、東電の全原発が停まっても、すぐには停電にはならないのだなということが分かった。これだけでもちょっとした衝撃だ。
原発がなければ日本の電力はとうていまかなえないと言われ続けてきたのに、とりあえず今は停電していないのだから。
え? 本当に? 全部停まっているの? 一機も動いていないの?
でも、別に何も変わらない。世の中は昨日と同じように動いている。
反原発運動をしてきた人たちでさえ、意外だったのではないだろうか。

マリアの父親 カバー 11年前、僕が「小説すばる新人賞」をいただいた小説『マリアの父親』は、原子力エネルギーをはじめとする地球環境問題をテーマにした実験的小説だった。
後から聞いた話では、編集部内でも「娯楽小説とも言えないし、なんだか分からない代物」という反応が多く、候補作に残ったのは相当な幸運だったらしい。

受賞後は、「反原発ととられる小説を積極的に宣伝するわけにはいかない」と言われたりもしたが、同じ頃、広瀬隆の『危険な話』はベストセラーになっていたし、大々的に宣伝されてもいたのだから、環境問題を扱っていたから売りにくかったということはなかったと思う。要するにビジネスゲームにうまく乗れなかったということだろう。

本当に恥ずかしい話だが、今自分でこの本のラストシーンを読むと、涙がこみ上げてきてしまう。
今はもう、こうした小説は書けなくなってしまった自分の精神の変化に気づき、愕然とするのだ。中原中也風に言えば、汚れっちまった哀しみ。


このまま夏を迎えたとき、日本中のあちこちで停電が起きるのかどうか、僕には分からない。予想よりひどい電力不足に陥ってパニックが起きるのか、それとも何事も起きないのか。今は、どんな情報が入ってきても素直には受け取れない。
ひとつ言えるのは、もう嘘をついたりごまかしたりするのはやめて、どんな立場、どの現場の人間も、真剣に問題の本質を考えていかなければいけないということだ。
原子力は決して「安い」エネルギーではない。気が遠くなるほどの時間、廃棄物を保管し続けなければならないという現実だけでも、逃げずに直視しなければ。

教室で大学生たちに「原子力発電というのは、お湯を沸かしてその蒸気で発電タービンを回している蒸気発電だ」と説明すると、驚いている。原子力発電の仕組みを知らない学生のほうが多いのだ。
「紙おむつ」がパルプでできていると思っている人もいる。
言われてみて「へえ~」と思うことはたくさんある。まずはそのレベルから始めていくことが大切なのだろう。

例えば、「日本は資源の少ない国だ」ということがよく言われるが、本当にそうなのだろうか。
石油資源は確かにない。でも、石油よりもっと大切なものに恵まれている。
水、海岸線、森林。
石油はお金で買えるが、水、海岸線、森林は輸入するわけにはいかない。
石油の豊富な中東で工業が発展しないのは、工業用水がないからだ。
技術や原料や石油があっても、水がなければ工業は成り立たない。そうした基本的なことを、まずは子供たちに教えるべきだ。

日本の海岸線は約3万5000キロメートルあり、これは世界の海岸線の7.5パーセントにあたる。アラスカを除いたアメリカ本土の海岸線より長いという。
この長い海岸線に沿って、約3000の漁港がある。この「豊かさ」を子供たちに教えるべきだ。

日本が水に恵まれているのは豊かな森林のおかげだ。森がなければ水を保持できないし、水をきれいにできない。雑木、雑草などと呼ばれる植物はあたかも無価値のように見られがちだが、そうした植物がそこにあるからこそ、日本人の生活はかろうじて守られている。
この事実を、子供たちに教えるべきだ。

日本人は、こうした「豊かな自然資源」をあまりにも軽視していないか? 汚物の垂れ流しを許し、干潟を埋め立てるような行政を続けていてはいけない。
ガソリンスタンドに行くと、ガソリンは1リットル100円程度で手に入る。高額な税金をかけても100円なのだ。
最近では、人々はコンビニやスーパーにもっと高い金を出して水を買いに行く。500ミリリットルの飲料水を150円や200円で購入する。
中東から船で運ばれてきて、精製されるガソリンより、飲み水のほうが高い。中東の国ではなく、ここ日本での話だ。これがいかに危険な兆候か、気づかなければならない。


『マリアの父親』を書いたときは、そうした気持ちがあふれ、飛び交う情報を検証し続けていた。何が本当で、何が嘘なのか。嘘を「本当」にするためのさらなる嘘。本当ではまずいから嘘だということにされてしまう「本当」。
情熱が上滑りして失敗することもあった。
今でも、気持ちは変わらないし、あの頃より多少賢くなったとは思うが、行動する前に疲れてしまうことが多くなった。
小説にしても、「面白い」話を書けるようになった代わりに、失ったものも大きい。

停電は確かに怖い。
しかし、それよりもっと怖いのは、日々失っていく大切なものに気づかないことだ。
環境と精神。正確に言えば、汚れていない環境と汚れていない精神。
長期的な目で見れば、電力不足を救うのは技術や石油資源だけではなく、個人の志や哲学こそ大切なのではないか。
人間はずるいから、本当に困り果てないうちは、本気で問題に取り組もうとしない。自分が生きているうちはなんとかごまかせると思いたがる。
当面、石油が豊富に手に入るからこそ、いろいろな嘘もつける。
原発は二酸化炭素を出さないから地球温暖化防止に役立つと主張するキャンペーンがあるが、原発完全停止の今、復活した火力発電のせいで二酸化炭素が増えて大変なことになると騒ぐ人はいないようだ。逆に、現場では天然ガス発電を増やさなければと躍起になっていることだろう。
追いつめられて、だんだん本音と事実が見えてくる。嘘がばれてくる。多分、もう大きく逆戻りはしない。利権がらみの様々な闘争を経ながらも、全体としては、原子力エネルギー開発は収束していく方向に向かうと、僕は思っている。

「この星があなたの母。でも、あなたの父はそれを認めない」(『マリアの父親』)

書いてから10年以上経った今、僕は、この小説に込めた「志」を、再び噛みしめなくてはと、改めて心に言い聞かせている。
諏訪神社(長岡市)の狛犬
■巻き毛がチャーミング
諏訪神社(新潟県長岡市古正寺町) 昭和3(1928)年9月12日建立
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