たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2002年2月7日執筆  2002年2月12日掲載

天才・くりすあきらくんのこと

最近、「天才」という言葉をあまり聞かなくなった気がする。
かつては「○○の天才」というのが結構いた。「天才卓球少女愛ちゃん」とか(彼女もそろそろ「少女」ではないか……)。
今「天才」という言葉を聞くと、なんかダサい感じを受けてしまう。もうちょっとマシなキャッチコピーを考えられないのかしら、と。

天才という言葉には、無垢で、世俗を超越したイメージがあるが、現代では、子供がそうした育ち方をすることはとても難しくなっている。
この世に生まれ、初めて耳にする音楽は、サンプリング音源とMIDIで作られたデジタル音楽。本を読めるようになる前にテレビゲームの端末操作を覚え、人間くさい個性派教師との心の交流もないままに、塾や予備校で受験技術の習得に明け暮れる……。
ああ、これではいくら才能を持って生まれてきても、天才には育たないだろうなぁ。

英才教育を受けて国際コンクールで賞をとるクラシック演奏者などは、秀才かもしれないけれど、天才とはちょっと違う気がする。天才というのは、努力しても真似できない資質を、周りから歪められることなく奔放に開花させることができた人のことではないだろうか。
だから、メディアが「天才的……」とか「○○の天才登場」と報じるのに接すると、また誰かを無理矢理天才に仕立て上げ、売り出して、儲けようとしているのね、と勘ぐってしまうのだ。

本当の天才は、表舞台に登場しにくいかもしれない。天才の必須条件は「無垢であること」だろう。凡人のような出世欲や名誉欲がないので、ビジネスと連動しないことが多い。人類史上、天才のほとんどは、多くの人に知られることなく、ひっそりと死んでいったに違いない。

湯布院空想の森美術館(現在は「森の空想ミュージアム」と改名して宮崎県西都市に移転)には、「作者不詳の絵展」という常設展コーナーがあった。その名の通り、誰が描いたか分からない絵を展示してあるのだが、どれも「ほお~」と感心する「名画」ばかりだった。しかし、これらはもちろん、「お宝!なんでも鑑定団」に出しても二束三文にしか扱われない。ビジネスと連動しないからだ。

さて、本題。
天才と言えば、僕の友人・くりすあきらくんは、自ら「天才」と名乗っている、数少ない「真性天才」のひとりだ。
彼の肩書きはなんだろう。肩肘張って紹介すれば「詩人」「文章家」となるのかもしれないけれど、そうした肩書きをつけてしまうほど小さくはない。まさに彼は「くりすあきら」である、としか言いようがない。美空ひばりの肩書きを「歌手」としてしまうと、逆にちっぽけになってしまうのと同じように。

今から6年前の1996年3月、突然、不思議な手紙をもらった。


 たくきさん ぼくはうっとりしました
 うれしくなったけー はははーとわらいました
 こんにちわ ぼくはくりすあきらです



……そう始まる、平仮名だけの手紙を受け取ったときの衝撃は、今でも忘れられない。
以来、彼と文通するようになった。
あきらくんの手紙には不思議な魅力がある。この魅力の虜になったのは僕だけではない。絵本作家の田島征三さんやいわむらかずおさん、工芸家の稲本正さん、あるいはタレントの志村けんさんや石坂浩二さんなどなど、あきらくんの交友関係は実に幅広い。みんな、あきらくんの手紙に魅せられた人たちだ。

文通が始まって1年後に、彼が書いた『ありがとう』という詩に曲をつけるという大仕事を引き受けることになった。
僕は、自分のメロディーメイカーとしての才能には自信を持っているけれど(んまっ!)、このときばかりは悩んだ。なにしろ、天才詩人の代表作となるかもしれない名品に曲をつけるのだから。
あきらくんの詩は「本物」だった。曲をつけるにあたり、安っぽい小細工をろうせば、たちまちばれてしまう。それは作家としては最も「かっこわるい」ことだ。

『ありがとう』は、ボサノバ風の、お洒落で、あっさりした曲に仕上がった。その後、自分の作品集に入れ、インディーズながら、CDとして残すこともできた(歌は清水翠さん)。
800枚プレスしたのだが、全国のくりすあきらファンに口コミでじわじわ伝わった結果、3年半でついに完売した。

このコラムがよい例なのだけれど、僕は短い文章を書くのが苦手だ。ついだらだらと長く書いてしまう。詩や俳句は最も苦手。
その意味でも、天才詩人の名品にメロディーをつけるチャンスに恵まれたことは、本当に幸運だったし、この歌は僕にとっても生涯の宝物となった。なにしろ、現代に「天才」はそうそういないのだから。

CDを絶版にするのは忍びないので、つい最近、500枚増プレスした。
追加プレスのうち100枚をあきらくんに送ったところ、礼状が来た。



 たくきさん、CDきたよ。いっぱいきたのでびっくりしました。ありがとう。
 本、うれんのんですか。こまったのー。
(中略)
 どうしてたくきさんのおんがく、きれいなのに、にんきがでんのんかのー。と、はなしあいをしました。
 おとうさんが、たくきさんは、みらい人かもしれんでー。だいぶん、はやくうまれすぎたんかもしれん。といいました。
 おかあさんも、うんうんそうそうと、いいました。
 たくきさんが、しんだころ、にんきがでて、ゆうめいになるんかね。
(中略)
 ぼくが、いきとるあいだに、にんきがでてくれたらええのに。この、ありがとうはのー、 ぼくが、しをかいたんでー、とじまんをするのに。
(後略)


うう~~。ごめんよぉ、あきらくん。まあ、これも天才のさだめと思ってあきらめてくれぃ。

★『ありがとう』はインターネット上で無料公開しています。http://tanu.net/akira/に接続してみてください。

★あきらくんとの書簡集が『ありがとうの歌』として、ポプラ社から刊行されています(おっと、宣伝かぁ)。

★ついでに、最近このコラムが縁で知り合った、天才(かもしれない?)イラストレイター・tanukiさんの作品を、ときどき挿画としてこのコラムに入れさせてもらえることになりました。お楽しみください。

☆音楽や小説、絵などの著作物をWEB上で公開することは、いろいろな問題を含んでいますが、その話題はまた別の機会に。

leaping frog  (c) tanuki

●挿画: leaping frog (c)tanuki

 
★今回から、このコラムの読者のtanukiさんが、ときどき挿画を提供してくださることになりました。





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