たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2003年6月6日執筆  2003年6月10日掲載

世界がもし日本だったら

少し前、「世界がもし100人の村だったら」という「お話」が流行した。

世界人口の推定カウンターというものがある。World Population とか、World POPClock from US Bureau of the Censusとかを見てみると、どうやら現在、世界には約63億人くらいの人間が生きているらしい。
こういう巨大数は人間の生理としてピンとこないので、思いきって世界人口を100人と仮定してみたら……というのが「100人の村」の発想だったわけだが、チェーンメールが飛び交って大流行し、その内容を掲載した本はたちまちベストセラーになった。

復習の意味でざっと内容を紹介すると、こんなものだ。

「100人の村」は、

 57人がアジア人。
 21人がヨーロッパ人。
 14人が南北アメリカ人。
 8人がアフリカ人。

という構成。

 女性が52人で、男性が48人。
 70人が有色人種で、30人が白人。

 30人がキリスト教信者で、70人はそれ以外。
 11人が同性愛者。

……このへんまでは「ふうん」と読み進める。
性別を除けば、僕はすべての項目で「多数派」に所属しているのだなぁ。

さらにこう続く。

 70人は文盲。
 50人は栄養失調に苦しみ、1人が瀕死の状態。
 6人が全世界の富の59%を所有し、その6人ともがアメリカ国籍。
 1人は大学の教育を受け。
 同じく1人がコンピュータを所有している。

チェーンメールやWEBサイトの情報でこの「100人の村」を知った人のほぼ全員は、パソコンの画面でこれを読んだわけで、そうか、自分は100人の村ではたった1人の少数派なのだな、と知ることになる。
コンピュータを使っているというだけではない。生きることの基本中の基本、食うものがちゃんとあるというだけでも、世界の中では半分以下の確率で幸運なのことであると悟るわけだ。

「100人の村」のデータがどこまで正確なのかは深追いしないことにする(同性愛者の比率なんて、どういう資料があるのかしら?)。
このシミュレーションは、「だからあなたは幸せなのですよ。小さなことにくよくよしているのはばちあたりというものです。明るく生きましょう。弱者に思いをはせましょう」と教えているのだ、と言われた。

そうなのだろうか?
それでおしまいなのだろうか?

この逆の発想をしてみた人もいるに違いない。
世界がもし、自分と同じ環境・境遇だったら?
つまり、世界がもし「日本」だったら?

世界中の人間が(つまり、現在生きている約63億人の人間が)、今の日本人と同じような生活を享受していたらどうなるのか?
日本の人口はざっと1億3000万人。大まかに「世界の60分の1」と考えてみればいい。つまり、世界(地球)は日本の60倍になる。

日本で消費している電力の60倍を消費する地球。
日本国内にある自動車の60倍の台数を有している地球。
日本国内で消費している60倍の食糧を消費する地球。

……ありえない。
それは「不可能な世界」なのだ。
地球という土台は、今の日本が享受している60倍のエネルギー消費には耐えられない。
資源が足りないというよりも、そんな規模のエネルギーを使ったら、廃物・廃熱の処理ができないからだ。
同様に、60倍の食糧供給も不可能だ。遺伝子組み換え作物を作りまくって単位面積あたりの収穫量を増やしたところで無理なのだ。

これは、どういうことか?
日本人の生活は、世界人口の半分は飢えるという前提のもとで成り立っている。
他の国々で、多くの人間が短命な人生を余儀なくされるという現実のもとで成り立っている。
もちろん、「世界がもしアメリカだったら?」は、もっと無理なことである。

ところで、日本における出生率の低下という話題が毎年ニュースになる。結構多くの人が誤解をしているようだが、日本の人口が減っているわけではない。
出生率という言葉は、通常、2通りの使われ方をする。
ひとつは(人口千対)とカッコ書きされる出生率。
ある年に生まれた出生数をその年の10月1日時点での総人口で割ったものを1000倍した値。
おおまかに言えば、1000人の集団の中で、1年間に何人子供が生まれてくるかという意味になる。現在、日本の出生率(人口千対)は9.2前後。
もうひとつは「合計特殊出生率」と呼ばれるもので、一人の女性が、仮にその年次の年齢別出生率で一生の間に産むと想定される平均子供数の値。具体的には15歳から49歳までの各歳ごとの出生率を合計した数値。この「合計特殊出生率」のことを、単に「出生率」と言っていることも多い。
一説には、現在の人口を将来にわたって維持するには合計特殊出生率2.08が必要という。日本の現在の出生率は1.3~1.4の間で、危機的状況だと論じられているわけだ。

本当だろうか?

よく「一人と一人が結婚して二人になり、子供を作るのだから、その子供が二人以下だったら、人口はどんどん減っていくのは当然だ」と言う人がいる。
これは単純な勘違い。
生まれた子供が次に子供を産む頃に親が死ぬならそういうことになるが、生まれた子供の多くは、親が存命中に成人し、子供を産む。その時点で、親の親もまだ存命かもしれない。
つまり、人口が増えるか減るかは、出生率だけで決まるわけではなく、死亡率と関係している。生まれる人間が少なくても、死ぬ人間がさらに少なければ、全体で人口は増え続けていく。
現在日本では、出生率9.2に対して死亡率7.8くらい(2002年)。27秒に一人の割合で生まれていて、32秒に一人の割合で死んでいく。だから、全体としては、人口は増え続けている。

2000年のデータだが、世界の先進国における出生率と死亡率を並べると、以下のようになる。

アメリカ 14.7/ 8.7

フランス 13.2/ 9.1

ドイツ 9.2/ 10.1

イタリア 9.3/ 9.7

スウェーデン 10.2/ 10.5

イギリス 11.4/ 10.2

日本の 9.2/ 7.8 は、ドイツ、イタリア並みに生まれてきているが、世界で最も死なない国である、ということを表す数字であり、とりたてて異常とは言えないだろう。
(むしろ、アメリカの人口増加ぶりがかなり突出していることに注目したい。)

「もしも世界が日本だったら・出生率死亡率編」は、それほど無理なことではなく、むしろ理想的なものなのかもしれない。

理想といえば、人は自分にとっての「理想的な人生」というものを思い描く。
25歳くらいで結婚して、子供は2人。家族全員が健康で長生きして、80歳くらいまでは元気に暮らしている。
例えばこれがAさんの「理想」としてみよう。
では、「もしも世界がAさんの理想通りだったら?」
残念ながら、63億の人間がみんな、大体25歳で結婚して、子供を2人作って、80まで死なない……というような世界は不可能だろう(特に「80まで死なない」の部分が)。地球はたちまちパンクするし、それを支えるだけの食糧生産能力、汚染浄化能力がない。
80まで長生きして、子供を2人作るというパターンは、ある人たちにとっては理想的なモデルかもしれないが、人口動態的には持続不可能なモデルだ。

理想的な世界、理想的な地球の姿とはどんなものだろうか?
簡単ではない、ということだけは分かる。
自分たちが漠然と考えている「理想」や「幸福」の中身は、実現不可能なだけでなく、他の生き方をしている人たちにとっては迷惑であり、危険なものかもしれない。

現実を直視して、そのとき、その場所、その立場でどう行動することが、より他人を傷つけない生き方なのかを判断する。
社会が集団暴走しそうになったら、それを止める力として動く。
「世界」という巨大な複合生命体の中で生きる一個人としては、それくらいしかできない。
「100人の村」の先に見えてくる教えは、そういうものだったのではないだろうか。


真実の価値
■挿画 「真実の価値」 (c)tanuki


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