たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2003年9月5日執筆  2003年9月9日掲載

末續? 末続?

世界陸上パリ大会、後半はなんといっても末續慎吾選手。200mでの銅メダル獲得に日本中がわいた。
火星が大接近していて、これだけ近づくのは実に6万年ぶり、次の大接近は2287年だそうだが、日本人が陸上の世界大会スプリント種目でメダルをとるなんてことは、そのくらいのスパンに匹敵しそうだ。いや、火星は人類が滅亡していても2287年には確実に大接近するけれど、第2の末續は今後永遠に現れないかもしれない。
……というくらいものすごいことなんだけど、多分、日本人の多くは、松井が1試合4ホームランを打つほうが興奮するんだろうなあ。

で、末續選手の超弩級大快挙(「快挙」と言うだけではやはり物足りない気がする)についてはいろいろ書きたいことがあるが(スタートにいちゃもんつけられたこととか)、そのへんは全部すっとばして、今回は陸上とは全然関係ない方向に話をもっていく。
末續という姓、正確には、姓を表記している漢字の書体のことだ。
テレビでは「末續」と表記されているのがほとんどだった。この「續」という字、最初、読めなかった人もいるんじゃないだろうか。
「すえつぐ! やりました!」と連呼されているので、これを「つぐ」と読むことは分かるわけだが、この字が「続」という字である(同じもの)ということに、今なお気づいていない人もいるかもしれない。

「続」と「續」はいわゆる異体字の関係だ。「竜」と「龍」、「島」と「嶋」などと同じ。同じ字だけれど書き方が違う。
漢字と文字コードの話は、このコラムの第3回目「山一女(やまいちおんな)の孤独」でも書いた。過去においてまずい漢字字体定義や文字コード制定をしたために、今なお日本人は自国語の文字をコンピュータ上でまともに書き表せないというストレスを味わっているという話だ。今回の話もそれに通じる。

異体字問題は、戦後すぐの1946年11月16日に内閣訓令・告示により交付された「当用漢字表」に端を発している。当用漢字の制定は、乱暴に言えば、この表に収録された1850字以外の漢字は使うのをやめましょう、という趣旨のものだった。
その3年後、「当用漢字字体表」というものが公示され、しんにょう(「道」や「通」の部首)の上の点は2点ではなく1点にする、とか、「國」という字は「国」と書く、などと決められた。
当用漢字字体表は、当用漢字1850字についての字体(字形)を定めたもので、当用漢字以外の漢字については触れなかった。どうせ使わなくなる漢字なのだから関係ない、ということだったのだろう。

しかし、日本人はお上が考えていた以上に漢字を愛していたらしい。当用漢字表が交付されてからも、当用漢字以外の漢字を使い続けた。
では、当用漢字以外の漢字はどう書くのか。当然、字体表がないのだから、従来通りの字形で書くべきである、とみんなが考えた。かくして、「道」のしんにょうは1点だが、逗子市の「逗」のしんにょうは2点で表記する、などという変なことになってしまった。
印刷物の活字もすべてそうなった。「国」という字は新字体で表記しても、「掴(つか)む」という字は、手偏+「國」で表記した。
当用漢字1850字(1981年からは「常用漢字」1945字)は新字体、それ以外の漢字は正字体という両者併存期間が戦後40年近く続いたのだ。

ところが、このコラムを読んでいる読者が見ている「逗子」や「掴む」は違う。逗子の「逗」のしんにょうは2点ではなく、「道」と同じように1点のしんにょうだし、「掴」の旁(つくり)は「國」ではなく「国」となっているはずだ。
これは1983年に改訂されたJIS漢字コード(通称「83JIS」)で、常用漢字外の漢字字形をいきなり変えてしまったからだ。それだけでなく、JIS第一水準に正字体、第二水準に略字体(「檜」と「桧」など)と、異体字の両方が収録されている漢字のほとんどについて、第一水準、第二水準の収録を入れ替えてしまった。
これにより、印刷業界やワープロ、パソコンメーカーは大混乱に陥った。これを「83JISの乱」と呼ぶことにしよう。
なにしろ、今まで「檜山」と入力してあった文書が、新しいワープロやパソコンに読み込んだら「桧山」と表示されてしまうのだ。同じファイルなのに、新しいプリンターで印刷したら字が変わってしまう。たまったものではない。

そもそも、当用(常用)漢字以外の漢字はどう書くべきかをきちんと決めておかなかったからこんなことになった。当用(常用)漢字表の是非はさておき、もし、「当用(常用)漢字は新字体で、それ以外の漢字は正字体で表記する」という原則をきっちり決めておけば、「83JISの乱」のような暴挙は防げただろう。
また、もし、常用漢字以外の漢字の書体を変更するのであれば(例えば、旁が「國」の漢字はすべて旁を「国」と改めるとか、あらゆるしんにょうは1点で表記するとか)、十分な議論を尽くしてからきちんと決めるべきだった。
ところが当用漢字表公布から「83JISの乱」まで40年近くも時間があったのに、なんとなくうやむやになっていた。いや、印刷業界では「常用漢字以外は正字体」が定着していたし、「掴」などという字体の活字やフォントはそれまで存在していなかったのだから、社会的にはほとんど「認知済み」「解決済み」の問題だったはずだ。
「83JISの乱」は漢字廃止論者による一種のクーデターという性格が強いと思うのだが、そのクーデターをやすやすと受け入れてしまったことが信じられない。

さて、末續の話に戻ろう。
末續の「續(=続)」は、「続く」の「続」だ。これは常用漢字で、小学校4年生で学ぶ。だから、常用漢字は新字体で表記するという原則に従えば「末続」と表記することになる。
インターネット上ではどうだろうと調べてみた。GOOGLEでの検索では、「末續慎吾」が約1150件、「末続慎吾」が約4160件で、新字体のほうがずっと多かった。
ところが、テレビでも紙メディアでも、「末續」としているほうが多いようだ。そのへんが不思議だなあと思う。日本人は、姓名に関する漢字の字形についてはものすごく寛容なのだ。本人が主張すれば、俗字とされている「つちよし」(吉野家の看板などに使われている「土+口」の「吉」。これは異体字ではなく、間違った字とされている)も、極力努力して表記しようとする。

当用漢字表が公布された1946年11月16日以降、生まれてくる子供には当用漢字以外の漢字で名前をつけることを禁じられた。最初の「人名用漢字別表」が1951年に制定され、当用漢字以外で人名に使ってもよい漢字92字が制定されるまでの約5年間、日本には子、和、一子、子、作、夫……といった名前の子供は一人も生まれてこなかった。親がどんなに望んでも、こうした名前をつけることは許されなかったからだ。
現在こうした名前の人たちは、1646年以前か1951年以降に生まれているはずだ。

1951年以降も、子、子、太……などは生まれてくることを許されなかった。こうした名前が許されるのは、次の人名漢字追加の1976年(28字追加)まで待たなければならなかった。
ネット上で「翠」や「梨花」という名前の女性と知り合ったとしよう。それが本名なら、彼女は27歳以下か57歳以上である。
1990年にはさらに118字加えられた。
ネット上で「昴(すばる)」という名前の男性と知り合ったとしよう。それが本名なら、彼は13歳以下か57歳以上である。
(そのへんのことは、拙著『テキストファイルとは何か?―知らぬでは済まぬ電脳社会の常識 』に詳しい)。

お上の「漢字行政」に対する国民の怒りと反発は、人名漢字の不自由さという点に集中した。一揆こそ起こらなかったものの、恨みは相当深いものだったに違いない。そうした背景があるからこそ、常用漢字である「続」を含む「末続」という姓でさえ、「末續」と敢えて正字体で表記しているメディアが多いのかもしれない。

しかしまあ、末續の「續」は、JIS漢字として生き残っているからこそ、こうしてShift-JIS文字コードを使っているコンピュータ上でも書き表せる。森鴎外の「鴎」は、いくら正字体で表記しようとしても、WEB上では画像を作ってはりつけるなどしない限り無理なのだ。早く、UNICODEが完全普及してほしい。
(03/11/18 追記:その後、HTML内なら、Unicode文字を数値表記すると可能だということを知った。 「森鷗外」←ほらね。)

ところで、僕の姓「鐸木」の「鐸」は、なぜか83JISの乱を無事くぐり抜けている。
「鐸」という字は、「○○遺跡から銅鐸が多数出土」などという場合と、「新聞は社会の木鐸である」というフレーズ以外ではまず使うことがない。それなのになぜかJIS第一水準漢字に入っている。
異体字は「鈬」だが、「鈬」は1978年のJIS漢字制定時からずっとJIS第二水準で、83JISの乱のときも、水準入れ替えの被害を免れた。おかげで僕は檜山さんや壺井さんのような悲劇にあわずに済んだのだが、実に不思議だ。単純に見逃されたのか、それとも何か意図があったのか。

こんな字がなんでJIS第一水準? という字は他にもある。「璽」という字(区点コード02805、Shift-JISコード8EA3で、れっきとしたJIS第一水準漢字)。読めますか?
音読みで「ジ」または「シ」と読む。訓読みはないはず。
どういうときに使うのか。戦前生まれのかたならお分かりのはず。分からない僕ら戦後世代は、GOOGLEで「教育勅語」を検索してみよう。答えはそこにある。



仮面の女神
●仮面の女神(縄文時代の土偶)
尖石(とがりいし)縄文考古館(茅野市)所蔵
この写真は十日町市博物館に展示されているレプリカ
詳しくは→こちらの日記
(c) Takuki Y. http://takuki.com



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