総選挙が終わった。
なぜ解散するのかきちんとした説明がないのに、与党も野党もずっと前から正確な日程を知っているという不思議な選挙だった。
本格的2大政党時代が到来するであろう最初の選挙と言われたが、結果は自民党が民主党に60議席の差をつけた。
比例区では民主党が勝っている。しかし全体では60議席負けた。投票率が低かったからなどとも分析されているが、実はもっと大きな原因がある。
民主党の「一兵卒」小沢一郎氏は、選挙前にこう言っていたそうだ。
「自民党が勝っても負けても、公明党の与党内における発言力が高まる」
実際、その通りになった。
自民党単独で獲得した議席237は、解散時議席数247より減ったが、公明党は31議席から34議席に増やした。保守新党は党首が落選し、消滅した。与党内での公明党の発言力・影響力はますます大きくなった。
公明党は昔から「選挙上手」と評される。今回の選挙でも、小選挙区立候補者10人のうち9人を当選させた。勝率9割である。
このまったく逆の選挙をしているのが日本共産党で、小選挙区に300人(全選挙区)立候補させ、当選ゼロである。
今回の共産党の当選者9人は全員が比例区でのものだ。
他の党と違って、共産党は最初から比例区候補者の順位付けを明確に決めている。
つまり、共産党の候補者の当選可能性はあらかじめ決まっている。比例区のみの候補者で名簿の1位登載者は、そのブロックで共産党が議席を1つ確保した時点で自動的に当選する。
比例区では、党が獲得した票数に従って名簿登載順に候補者が当選していく。重複立候補者でも同じことで、選挙区で何位であろうが関係ない。惜敗率(当選者の得票率に対する落選候補者の獲得票の割合)が99パーセントの惜敗であっても、比例区の名簿登載が下位ならば復活当選はできない。逆に、名簿順位が上位なら、惜敗率が悪くても(その選挙区での有効得票数の10分の1以上をクリアしてさえいれば)当選となる。
名簿登載順位が上位であれば、選挙をやる前から当選が決まっている。
東京18区の鳩山邦夫候補(自民)がよい例だ。
得票数 候補者名 所属政党 当落(○が当選、△は比例区復活当選。×は落選)
139,195 菅 直人 民主 ○
83,337 鳩山邦夫 自民 △
16,010 小林幹典 共産 ×
比例区で復活当選した鳩山氏の惜敗率(当選者の得票数に対しての獲得票数の割合)は0.5987で、60%を切っている。この惜敗率は、東京比例区の自民党重複候補者24人中23位である。
ちなみに22位の東京19区松本洋平候補の惜敗率は65.0%で、惜敗率60%を切ったのは東京6区・越智隆雄候補=59.7%と鳩山候補の2人だけだ。当然、本来なら当選はありえないが、鳩山氏は自民党が提出した比例区名簿の2位に単独記載された時点で、投票の結果には関係なく、すでに当選していたのである。
自民党が鳩山氏を他の候補者とは別格で上位に記載したことは、鳩山氏が菅代表に勝てるとは思っていなかったことの証明だ。要するに、鳩山氏は、選挙区で負けることは予測済みで、民主党・菅代表の票を減らすことを目的に送り込まれたのだ。
当落は比例区の名簿登載順位でほぼ確定している。選挙区では、自分が当選することが目的ではなく、当選しそうな候補と刺しちがえて引きずり下ろすことを目的に戦う。
……実は、各選挙区で共産党がやっている選挙は、結果を見ればこれに近いのである。
例えば、大阪13区の結果はこうだった。
97,311 西野陽 自民 ○
65,164 岡本準一郎 民主 × 惜敗率 0.6696
33,446 吉井英勝 共産 △ 惜敗率 0.3437
共産党の吉井候補は最下位だが、比例区近畿ブロックで復活当選を果たしている。これは吉井氏の名簿登載順位が3位だからだ。共産党は近畿ブロック比例区では3人分の議席を確保したため、自動的に3位の吉井氏までが当選となった。
他の政党では、同じ順位に複数の重複立候補者を並べて、惜敗率の高い候補者から順に当選できるようにしているが、共産党だけは重複立候補者にも最初から厳然と順位を決めている。
次の表は、近畿比例区に共産党が立てた重複立候補者(名簿順)と、惜敗率である。
名簿順位 | 候補者名 | 選挙区 | 惜敗率 | 惜敗率での順位 |
1 | 石井郁子 | 大阪2 | 38.0% | 4 |
2 | 穀田恵二 | 京都1 | 60.7% | 1 |
3 | 吉井英勝 | 大阪13 | 34.4% | 6 |
4 | 山下芳生 | 大阪5 | 40.8% | 3 |
5 | 平松順子 | 兵庫2 | 35.4% | 5 |
6 | 佐藤真理 | 奈良1 | 25.1% | 7 |
7 | 川内 卓 | 滋賀1 | 23.2% | 10 |
8 | 下角 力 | 和歌山1 | 45.1% | 2 |
9 | 吉田早由美 | 京都5 | 23.6% | 8 |
10 | 庄本悦子 | 兵庫8 | 23.7% | 9 |
ご覧のように、もしこの10人の比例区重複立候補者たちが全員1位で名簿登載され、惜敗率順に当選していたとすれば、吉井候補は惜敗率6位だから当選はしていなかった。共産党候補者の当落は、選挙をやる前から党によって(組織内での地位順に従って?)決められているのだ。
吉井氏の当選を決めたのは選挙区の33446票ではない。近畿比例区の共産党票(992142票。得票率10%)と党の決定(名簿登載順位)である。
つまり、吉井氏はこの大阪13区という選挙区に出ていてもいなくても当選したのである。
では、吉井氏が選挙区で獲得した33446票はどんな意味を持つのだろうか。
吉井氏が選挙区に立っておらず、比例区のみの立候補だったら、この3万票あまりはどこへ流れただろう。
仮に33446票が全部、民主党・岡本候補に流れたとすれば、岡本氏はトップ当選になる。
全部流れなくても、大半が流れて西野氏に肉薄すれば、岡本氏は比例区で重複立候補しているから、惜敗率で拾われ、復活当選した可能性がある。
結果を見れば、吉井候補は民主党・岡本候補を落選させ、自民党・西野候補を当選させるための「刺客」として機能している。
こうした現象が、全国の選挙区で見られる。
選挙区に共産党の候補者が立っていなければ、共産党候補に入った票が全部民主党に流れたというのは暴論かもしれない。しかし、公明党、自民党には流れなかっただろうことは容易に想像できる。
言い換えれば、もし共産党が公明党のように小選挙区での候補者を絞り込み、比例区中心に戦っていたら、与野党の新しい勢力図は大きく違っていたはずなのだ。
小選挙区では、自民、民主、共産という3人で争った選挙区が多い。
例として、石原都知事の三男・石原宏高氏が立候補したことで注目された東京3区を見てみよう。
122,181 松原 仁 民主 ○
113,494 石原宏高 自民 ×
22,615 大貫清文 共産 ×
結果はこのように、現職の民主党松原候補が逃げ切り、石原候補は比例区復活もできなかった。このことは大きく報じられたので、多くの人は「石原都知事の息子が負けた」という結果だけ印象に残っただろうが、実際には松原候補と石原候補の差は8687票で、1万票なかった。
石原候補の惜敗率は0.9289であり、自民党の東京比例区候補としては次点落選だった。東京比例区で最下位当選した東京5区・小杉隆氏の惜敗率は0.9301だから、その差はわずかに0.1パーセント。石原候補があと150票取れば当選していた。あるいは、松原候補の票が160票少なくても、石原候補は復活当選していたのである。
そうなっていた場合、22615票の共産党票は、石原候補の強力な応援票として機能したことになる。
さらに興味深いのは、公明党候補が勝っている選挙区でのシミュレーションだ。共産党票が自民党に流れることは考えにくいが、それ以上に公明党に流れることはないだろうからだ。
例えば東京12区。
98,700 太田昭宏 公明 ○
95,110 藤田幸久 民主 △
30,251 山岸光夫 共産 ×
共産党票が全部「非与党」つまり、この区では非公明として機能していれば、民主党・藤田候補は12万5000票あまりを獲得して楽々当選。重複立候補していない公明党・太田候補は落選する。この区では、共産党票が確実に自公保連立政権を助けた結果となっている。
藤田候補は比例区で復活当選したが、藤田候補がこの区で勝っていれば、この比例区の1議席は別の民主党候補にスライドして渡っていたわけで、自動的に民主党はプラス1議席となる。公明がマイナス1、民主がプラス1だから、この選挙区だけで、与野党の議席差は2議席縮まる。
次に神奈川6区を見てみよう。
82,269 上田勇 公明 ○
81,733 池田元久 民主 △
30,689 勝又恒一郎 無所属 ×
15,854 上田恵子 社民 ×
13,538 藤井美登里 共産 ×
ここは5候補が立ったので単純には考えられないが、1位の公明党・上田候補と2位の民主党池田候補の差はわずか536票である。
最下位の共産党藤井候補の獲得した票13538票のわずか4パーセントが池田候補に流れれば、重複立候補していない上田候補は落選していた。ここでも結果としては共産党票は公明党候補を強力にバックアップして1議席をプレゼントし、民主党から1議席を奪った形だ。
以下、公明党が勝った選挙区をすべて見てみよう。
大阪5区
92,350 谷口隆義 公明 ○
85,334 稲見哲男 民主 △
37,694 山下芳生 共産 ×
大阪6区
101,292 福島 豊 公明 ○
75,098 村上史好 民主 ×
28,789 太田乙美 共産 ×
大阪16区
74,718 北側一雄 公明 ○
63,867 樽井良和 民主 △
23,434 菅野泰介 共産 ×
兵庫2区
83,379 赤羽一嘉 公明 ○
80,061 泉 房穂 民主 △
29,510 平松順子 共産 ×
兵庫8区
94,406 冬柴鉄三 公明 ○
79,492 室井邦彦 民主 △
22,328 庄本悦子 共産 ×
17,850 北川れん子 社民 ×
沖縄1区
58,330 白保台一 公明 ○
52,374 下地幹郎 無所属×
27,209 島尻 昇 民主 ×
19,528 赤嶺政賢 共産 △
公明党が勝った9選挙区のうち、兵庫8区、沖縄1区を除き、他すべては、共産党が候補を立てていなければ(共産党票が非公明に流れていれば)公明党が当選しなかったと思われる。兵庫8区は社民党候補も立っているので単純には言えないが、この区も「立たない」という消極的選挙協力をしていれば、公明党候補は落選しているはずだ。言い換えれば、公明党の小選挙区勝利9議席のうち8議席分は、共産党にプレゼントしてもらったとも言える。これだけで、与野党の議席差は16議席縮まる。
全国で、こうしたことがどれだけ起こっていたのかを調べてみた。
まず、選挙区を当選者と次点落選者の組み合わせによって以下の5パターンに分けてみた。
○は当選。×は落選。△は比例区重複立候補による復活当選である。
A. 与党○ 野党×
B. 与党○ 野党△
C. 野党○ 与党×
D. 野党○ 与党△
E. その他(無所属候補が当選したり有力対抗馬になっていた選挙区や、与党が勝利したが、対立候補が複数いて共産党票の流れ方が読めない選挙区はすべてここに入れた)
結果は以下のようになる。
A 与党完全勝利 ……97
B 与党勝利・野党は比例区復活 ……69
C 野党完全勝利 ……69
D 野党勝利・与党は比例区復活 ……35
E その他 ……30
Cは、共産党候補がいてもいなくても、与野党逆転には直接関係がない。
Eは、図式が単純化できないため、外した。
Dは、
1)共産党票が追加されれば与党候補は惜敗率が下がり、比例区での復活当選ができなかった
2)惜敗率が下がっても、なおかつ比例区復活を果たせた
……という2通りが考えられる。
誰が残って誰が落ちたのかを知るためには、個々の惜敗率を算出する必要があるが、全体としての数がどうなるかは、
Aと
Bの結果からだけでも導き出せる。
そこで、
Aと
Bについて、もし共産党票が対立野党候補(ほとんどの区では民主党候補)に流れたらどうなったかを試算し、結果を分類してみた。
まず
A(対立構図が単純で、与党が単独勝利した選挙区)では、
1)共産党票を2位の野党候補の票に足すと、当落が逆転する
2)足しても逆転はできないが、2位候補が比例区復活する可能性が出てくる
3)足しても逆転できず、差がありすぎて2位候補が比例区復活する可能性もない
という3つのケースがある。それぞれA1、A2、A3としよう。チェックしてみると、
A1 ……13
A2 ……41
A3 ……43
であった。
ここでまず、A3(与党圧勝)は今回の確定議席数に影響を与えないので、除外する。
A2は、共産党票を足した結果2位の野党候補が当選までは届かなくても比例区復活する可能性が出てくる。しかし、これはDと同じで、誰が復活するのかを知るには惜敗率計算が必要だ。
はっきりしているのはA1である。2位の野党候補が1位になるのだから、単純に野党議席は今より13増える。増えた13議席分は当然、与党の議席が減るわけで、この時点で、与野党の比率は、275-13対205+13。すなわち、262対218になる。
Bの選挙区(与党候補当選、対立野党候補は比例区で復活当選)では、共産党票が2位の野党候補に加算されていれば、
1)順位が逆転した
2)順位は変わらない
の2つのケースがある。それぞれ、B1、B2とすると、
B1 ……44
B2 ……25
となった。
B2については選挙区当選者が変わらないのだからここで確定である。
B1については当落がひっくり返るのだから、比例区復活した野党候補は選挙区での正式当選になり、その分、比例区当選者枠が増える。
比例区は別に投票をしていて投票数が確定しているのだから、単純にここでひっくり返った44議席については、野党側のプラスになる。
さっきの262対218にこの44をプラスマイナスすると、218対262となる。
完全な与野党逆転だ。
与党
218 対 野党
262
そんな馬鹿な、と思われそうだが、この結果は、比例区の得票率分布にもそう矛盾していない。
共産党が公明党のように小選挙区に出馬させる候補者を絞り込んでいれば、今回の選挙では野党が圧勝した。これは、数字から見て間違いのないことだ。
インテリが多いと評判の共産党。こうした結果を共産党幹部たちは事前に十分承知しているはずだ。それでも全小選挙区に候補者を立て続けるのはなぜ?
理由を考えてみた。
1)候補者を立てて積極的に選挙運動することで、党の政策を訴えていきたい。それが党のイメージアップや浮動票獲得にプラスになると考えている。
2)自公保連立政権の退陣よりも、民主党の躍進を阻みたい。
3)以前からずっとそうしてきたから、今さら変えられない。
1)だとすれば、恐らく目論見は外れている。共産党が小選挙区に候補者を乱立させず、比例区に絞った選挙戦をしかけてくれば、無党派有権者たちはむしろ「共産党はやる気だ」「共産党は本気で政権に絡もうとしている」とみなす。今まで、政策には共鳴しながらも、共産党に入れることは「死に票」だと考えて投票しなかった無派閥層の中に、比例区で「共産党」と書く人が出てくるかもしれない。
これこそ「開かれた政党」として大きくアピールする有効な戦略ではないか。
そうなると、2)が本音なのではないかと勘ぐりたくなってくるが、これもよく考えてみれば逆効果だとすぐに分かる。
もし共産党が小選挙区への候補者を絞り込み、結果として民主党が自公を追いつめた場合、選挙後の政局を左右するのは共産党である。発言権や影響力は今よりずっと大きくなる。
自民党に対する公明党と同じだ。
もし、公明党が共産党と同じように300選挙区全部に候補者を自動的に立てていたらどうだったか。その場合も、自民党は大敗していたはずだ。
公明党は今回の選挙で、実際の議席数以上の力を握ったと言える。
公明党は、「候補者を立てないことにより選挙に勝った」のである。
そこまで分かっていて、なぜ共産党は実戦的な選挙戦を放棄するのか?
結局のところ、3)がいちばん大きいのではないだろうか。
中選挙区制のときから、「ここで野党が共闘できていたら……」と思うことは多々あったが、「党のメンツもあるし、無理なんだろうな」と諦めムードで眺めていた。
小選挙区制になり、当落の構図は極めて単純化した。もはや勝ち目のない候補を立てることは、与党延命に力を貸すこと以外のなにものでもなくなった。小選挙区制を許してしまった時点で、野党は新しい戦い方を余儀なくされたのである。
選挙協力は野合ではない。政治を変えるための必要不可欠な戦略である。意地だけで勝ち目のない候補者を立てることは、優位に立つ与党候補者の思うつぼなのだ。
今回の衆院選は、小選挙区制が導入されて2度目の選挙である。もう言い訳はできない。
共産党員は、公明党・創価学会員同様、結束が固い。小選挙区に候補者が立っていようがいまいが、比例区では「日本共産党」と書く。よって、比例区での当選者が減ることにはならない。民主党が政権をとっても、共産党議員が減るわけではない。
共産党が結果的には自民党政権を延命させている本当の理由は、与野党が逆転し、政局が激変する中で「野党らしい野党」であり続けることより、今のまま、つまり自民党政権下で「我こそは野党らしい野党だ」と言い続けているほうが「楽」だからではないのか。
よりよい社会につながるかもしれない現実的な道を探る努力をせず、組織の中で決められた既定路線を守るだけという姿勢は、官僚の世界と同じだ。柔軟性のない組織は、権力を握った途端に腐敗する。過去、世界にいくつか誕生した共産党政権は、そうして退廃の道をたどった。
これだけはっきりと数字に表れている以上、共産党が次の選挙でまた同じことを繰り返せば、多くの国民から見放される道を突き進むことになるだろう。
議会制民主主義を通じて改革を進めていくと表明している以上、「現実的な戦い方をする義務」があるはずだ。
どんなに立派な理念を掲げても、実際に選挙のたびに与党政権を守る壁として機能してしまうのであれば、多くの国民からはどんどん無視されていく。何を言っても説得力がなくなる。このままでは社民党と同じ道を歩むことになるのではないか。
政策を変えたり、他党と手を組めと言っているのではない。野党として逃げずに戦いなさい、と言いたいのだ。
その方法ははっきり見えている。今の戦いは「逃げている」としか思えない。逃げずに、共産党が言うように「野党らしい野党」として、生き延びてほしいと思う。
「比例区は共産党。選挙区は自由」
党幹部がこう決定するだけで、日本の政治地図は、今すぐ変わる。
まずは新しい政治地図を作り、その中でなおかつ「野党らしい野党」として戦っていくことこそ、今の共産党の使命ではないだろうか。
共産党が全選挙区に候補者を立て続ける限り、与党は安泰だろう。自民党も公明党も、共産党にはずっと今のままでいてほしいと願っている。選挙区で共産党候補の選挙カーとすれ違うときなどは、社交辞令ではなく、心の底から「ご健闘をお祈りいたします」と応援していることだろう。
次の衆院選挙がもし同じ選挙制度、同じ体制で行われるなら、与野党逆転を決める最大要因は、天気でも、若者の政治離れ度合でも、公明党の結束の強さでもない。
共産党が全小選挙区に機械的に候補者を立てるかどうか、にかかっている。