たくき よしみつ デジタルストレス王(キング) 鐸木能光

2007年6月25日執筆

日本語を読めないお役人

 5000万件(!)を超す納付データが誰のものか分からずに宙に浮いているというミスが発覚した社会保険庁。
 約5000万件のうち、2800万件が受給年齢に達している人のデータ、残り2200万件がこれから受給される人たちのデータだというのだが、ということは現在受給されている3000万人の大半は少なく給付されているということになるらしい。
 あんまりにもひどい話なので、にわかには想像がつかない。
 そもそも、これほど大量のデータミスがただの「うっかり」や「人為的ミス」で起きるはずがない。当初は、名前の読み方を間違えてどうのこうのという説明だったが、最近になってようやくもう少し別方向からの説明が出てきた
 1979年に、社会保険庁は年金記録において氏名の「カタカナ管理」を導入した。その際に、漢字の一般的な読みをカタカナに変換するプログラムを自主開発(というような偉そうなものでもないだろうが)し、実際の読みとは無関係に氏名をカタカナに変換していたというのだ。
 例えば「山」は「ヤマ」、「崎」は「サキ」(ザキと濁らない)という読みに固定させるので、山崎さんはすべて「ヤマサキ」さんになる。「裕」は「ユウ」で統一されるので「裕子」は「ひろこ」だろうが「ゆうこ」だろうが関係なくすべて「ユウコ」になる。
 これをやるならば、変換後の「ヤマサキユウコ」はもはや氏名ではなく、「氏名の文字から変換されたコード」ということになる。だから、窓口に「やまざきひろこ」さんがやってきて「やまざきひろこです」と名乗っても、担当者はそこで姓名の字形を確認し、このプログラムで「変換」した結果の「コード」である「ヤマサキユウコ」で検索をかけて拾い出せばいいだけのことだ。「私はヤマザキヒロコで、ヤマサキユウコじゃありません!」と怒る人がいっぱい出てくるだろうが、「これはお名前ではなく、あなたのお名前に割り付けられた符号です」と説明すればいいだろうし、そもそもこの「コード」は事務手続き上の符号なのだから、本人に知らせる必要もない。
 それなのに、なぜ5000万件のデータが宙に浮く事態が起きるのか?

 年金記録は、1957年までは手書き台帳だったものを、それと並行してパンチカード式データを作り始めたという。さらに、1962年からは、そのパンチカードのデータを磁気テープへ記録するようになった。
 これらのデータは漢字1字に対して4桁の数字(例えば「崎」は「3451」)といったものだった。この方式で、1979年までに約5400万件の氏名が数字符号化を完了したという。
 で、1979年からコンピュータにデータを移す際、今まであった4桁数字符号化方式から、カタカナ入力方式に変更したという。この変更が理解できない。
 もともと日本の戸籍や住民票には「読み」のデータは存在せず、極端な話「一郎」を「たろう」と読ませても通用させてきた。読みによる同定は困難だ。
 従来の方針通り、姓名の同定に字形を用いるのであれば、せっかく作った5400万件の字形符号化データがあるのだから、その文字コード(符号化方式)を一括変換すればいいだけのことで、どんなに数が多くてもあっという間にデータ処理は完了するはずだ。
 それなのに、なぜ意味のない「カタカナ入力」などという方法を採ったのか?
 推測するに、日本人すべての姓名を漢字で完全再現するだけの文字コード、フォントがなかったため、カタカナだけで処理しようという無理なことを考えたのではないだろうか。しかし、すでに漢字字形の符号化(4桁数字方式)は終了していたわけで、そのデータをみすみす無駄にするようなことをするとはどうしても思えない。
 カタカナ「コード」が、データにオマケとしてくっつくだけであればなんの問題もなかったはずだ。

 5000万件以上ものデータが誰のものか分からなくなった原因は、1997年の基礎年金番号導入以前の年金記録が、入力ミスにより不完全だったためと説明されているが、5000万件ものデータ入力ミスがあったということなのだろうか?
 本当にそうだとしたら、当初の4桁数字による文字の符号化の際にもことごとくミスが出ていたことになるが、オペレーターがデータのほとんどを打ち間違えるほど未熟だとは思えない。
 どこかの時点で、管理責任者が「もう漢字に悩まされるのは嫌だ! 漢字のデータなんて全部破棄して、カタカナに統一してしまえ」というような狂気の命令を発動したのではないだろうか?
 で、さらに信じられないのは、1985年9月に、社会保険庁(当時の長官は正木馨氏)が課長名で都道府県の年金担当者に「入力済みの原簿(手書き年金台帳)は全て破棄せよ」と通達していたという話
 結果、現在では原簿の多くが破棄されていて存在しない。ということで、原簿に戻っての照合作業は永遠に不可能となってしまっている。

 理由がどうであれ、普通の企業や団体は、こんなお粗末なことは絶対にやらないだろう。銀行が「すみません、当行の預金データのほとんどが間違っていることが分かりました。お客様の正確な預金残高が分かりませんので、過去20年分の通帳をお持ちの上窓口においでください」なんてことを言ったら、どういうことになるか。それと同じことを国がやっているのだから、もはやこの国は、近代国家としての基本的な機能さえ果たせない、国家の体をなしていないと言われても仕方ない。




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