タヌパック短信 30

●狛犬は生きている(2)

 狛犬なんて、みんな同じでしょう?と言う人のために、今回はふんだんに写真を用意しました。
 まず、前回書いた、遠野市倭文神社の「呼び止めた狛犬」。

 この狛犬は相当古いものです。翌日、近くの六神石神社という、やはり山の中の神社にこれと同じタイプの狛犬がいましたが、そちらは宝永七年(一七一〇年)という年号が刻まれていました。倭文神社の狛犬のほうは一見してそれよりもかなり古いので、もしかしたら一六〇〇年代のものかもしれません。腹の下がくり抜かれていないなど、技巧的には稚拙ですが、それだけに味わいもあります。
 次は、新潟県の大和町(先日町長の汚職事件で有名になりましたね)八海山の麓にある大前神社で出逢った狛犬。文久元年のもので、ミッキーマウスのような大きな丸い耳とボールのような目が特徴です。獅子(ライオン)を見たことがなかった昔の日本人は、想像をたくましくして様々な風貌の狛犬を彫っていたのでしょう。
 次は、大分県国東半島で見つけた日本一唇の厚い狛犬。これはもう、笑うしかありません。
 最後に、僕が今いちばん興味がある弘前市の石工・山内三次郎の作による日本一「犬顔」の狛犬。青森県弘前八幡宮前の道路脇にいます。山内三次郎の狛犬はこの他にも岩木町・羽黒山神社に非常にユニークなのがいまして、僕が知る限り、狛犬史上最もオリジナリティのある石工です。
 他にもたくさんご紹介したい狛犬たちがいるんですが、それを始めたら永遠に終わらないのでやめておきます。
 僕が今まで撮影した狛犬は、せいぜい三百対あるかないかだと思いますが、なんと日本全国三八〇〇社の神社を回ったという強者が、落語家の三遊亭円丈さん。
 円丈師匠とはインターネットを通じて「狛犬仲間」になり、今では毎月行われている「日本参道狛犬研究会」定例会で、狛犬談義を重ねています。
 円丈師匠は名門三遊亭の実力派ですが、創作落語にこだわり続けてきた個性派・反体制派の人。彼の話は本当に面白く、いつも感心してしまいます。
 他に、林家しん平さんもこの狛犬研のレギュラーで、今、しん平さんのイラスト+僕の写真&文章で『こまいぬくんの旅』という絵本を作る極秘計画が進行中です。
 仏像と違って、狛犬(特に雨ざらしの参道狛犬)には、自然と一体になっている美しさ、気高さがあります。
 仏像は人間たちに金を積まれ、「○○してください」という御利益を期待されているところが馴染めません。金箔を貼ったり、巨大な像であるほど御利益が大きくなるような錯覚を与えるあたりも嫌いです。
 日本人にとっての「神様」というのは、もっと根源的な、大きな存在だったはずです。アイヌの「カムイ」はそれに最も近いと思いますが、縄文時代には、みんな「自然の偉大さ」という神様と共存していたのではないでしょうか。その神様が忘れられ、権力者が人々を宗教的に支配しようと、巨大な仏像や寺社を建立したときから、現代の下品な生活や価値観が既に芽生え始めていた気がします。
 狛犬は人から何も期待されていないところがいいのです。誰も狛犬をちゃんと見ていないし、狛犬の存在に気づきもしない。最近の若い人は「狛犬」という言葉すら知りません。
 狛犬を見つめるゆとりが戻ってきたとき、人は忘れていた大切な何かを思い出すのではないでしょうか。
 決して大袈裟でなく、こじつけでもなく、僕はそう考えています。だから、今いちばんやってみたいのは、絵本「こまいぬくんの旅」です。来年あたり、ぜひ実現させてみたいものです。







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