タヌパック短信 31

こまいぬくんと京都会議


 年が明けました。
 昨年はとうとう小説を出すことができませんでした。八百枚の大作を書き上げたのですが、今までの本があまりに売れないので、ついにどこも出してくれなくなってしまったのです。
 タヌが死んでしまったのを皮切りに、指を怪我して数か月まったくギターが弾けなくなったり、物が次々に壊れたり、呪われたような一年でしたが、今年は厄年も明けるはずなので、少しずつ巻き返しを図るつもりです。
 年の瀬は、京都会議のニュースを横目に、「演歌」を作曲したり、「狛犬絵本」のパイロット版を作ったりしていました。
 温暖化防止京都会議というのは、結局なんだったのでしょう。問題の根本を理解せずに、「このままでは南の島が沈んでしまう」といった情緒的な語り口や、「多少不便でも無公害自動車を開発、導入すべきだ」といったPR、果ては「エゴむき出しの政治ショーに終始した」というような結論で「分かった気」になった報道。
 どれも少しずつ違っている気がします。このシリーズの前に連載していた『狸と五線譜』で散々言い尽くしたことですが、環境問題を論じる場合、エントロピーという物差しでものを見ていくことが不可欠なのに、そうした視点が未だに出てきません。
 これ以上炭酸ガスを出さないために、テレビの電源コードはコンセントから抜いて「指示待ち電力」を節約しましょうなどと呼びかける番組があるかと思えば、一方では電気自動車をあたかも無公害カーであるかのような報道があったりします。
 同じニュース番組では、相変わらず、経済発展の行き詰まりに対して政府は責任をとるべきだという論調。経済発展=生産と消費の拡大であるなら、それこそが地球温暖化の根本原因なのに。
 なんだかもう、正面切っていちゃもんをつける気力もおきません。とことん追いつめられなければ、現代人は何もできないのでしょう。
 金融機関の破綻も話題になりましたが、銀行や証券会社がつぶれて解雇される人たちが可哀想だという情緒的な報道にも、僕たちのような自由業の人間の多くはさめた目を向けています。
 僕は山一証券自主廃業の第一報を、パソコン通信で知りました。まだ新聞報道される前のことです。
 書いていたのは僕と同年のフリーライターでしたが、彼はかつて山一に取材に行ったとき、社員から「フリーだかなんだか知らないが、いい加減な連中がいい加減なことを書く」というようなことを言われ、もう二度とあそことの仕事はしないぞと誓ったそうです。他にも、山一の社長の元運転手が「あの人はいつも後部座席に乗るなり、私の顔の横に土足を投げ出した」と漏らしていたという話なども出ていました。
 会社に所属していないというだけで、金融機関から人間扱いされなかった経験は、医師と弁護士を除く自由業者ならみんな持っています。
 意地悪な言い方をすれば、そう扱うことを教えられてきた社員が、ようやく人間の価値とは何かを考え直すきっかけを得たのではないでしょうか。
 そもそも、大企業の社員という名刺を持てなくなっただけで人生のすべてを喪失したかのような価値観って、一体なんなんでしょう。そうした人生観の蔓延こそ、「地球温暖化」の一因なんじゃないでしょうか?
 一人になったときに自分の力を信じられないような生き方、あるいは、会社がつぶれるまで自分の仕事に疑問を抱かなかったことのほうが僕には不思議で仕方ありません。
 テレビのコードをコンセントから抜くことや、電気自動車に見当外れな幻想を抱くことより、人間の幸せとはなんなんだろうということを考え直すことこそ、問題解決の第一歩でしょう。
 ……そんなことを思いながら、「狛犬絵本」のデモ版を作っていました。
 題して『こまいぬくんの旅』。
「やあ、きみがうわさのこまいぬくんか」
 チャーミングなきつねさんがでむかえてくれました。
「こんばんわ、チャーミングなきつねさん。なぜぼくのことを知っているんですか?」
「日本全国おいなりさんネットワークというのがあってね。きつねのなかまたちがいろいろなニュースをつたえてくるのさ。人間たちは、パソコンだの自動車だの機械にたよるけれど、ぼくたちきつねのなかまは、むかしから見えない世界でむすばれているのさ。こまいぬさんたちともむすばれているよ」
「すごいんですね」
「なあに、どうってことはないさ。人間たちも、大昔は見えない世界の神様と、少しは話をしていたものだけれど、どんどん機械にたよるようになってしまってね。今じゃあ、ほんとうに何も見えなくなってしまった。かわいそうにね」
 ……こんな感じの絵本を、林家しん平さんが描いたイラストと、僕が撮影した狛犬の写真をパソコンで合成しながら作っていたわけです。
 機械がないと何もできない人間……とほほ。
 狛犬絵本は小説以上に世に出すことは難しいかもしれません。でも、目下いちばん実現させてみたい企画です。
 それにしても、数百年後の人間にこんな思いを抱かせる狛犬を彫った石工たちの生き方を、少しは見習いたいものです。

■タヌパック本館の入口へ
■タヌパック短信の目次へ戻る
■次の短信を読む