◆日記 00/11/04




今日の放哉


黒い林檎

 前回から、日記を、@Niftyのサイトからtakuki.comのほうに移しました。今、あなたがお読みになっているこのファイルは、イギリスから送られています。
 数日前、文藝ネット(http://bungei.net)にて、拙作『黒い林檎』(未発表小説。620枚)全編を無料公開しました。
 それがどうしたといわれればそれまでなんですが、やはり、こういうのは、端から見ているよりも、本人はずっと「怖い」想いやそれなりの決意を持ってやっているわけで、懲りずに所感などを書いてみます。

 ここ数年、小説が出版できない状況が続いています。理由はいろいろありますけれど、ひとつはもちろん、出版不況ですね。今までは、売れている本の黒字のおかげで、私の本も出してもらえていました。売れている本というのは必ずしも同じ分野のものではなく、漫画であったり、ゲームの攻略本であったり、少女小説であったり、タレント本・芸能本・写真集であったり、いろいろです。
 そうした本が売れるおかげで、大人向けの文芸もなんとか本になり、その中には売れるものもあって、一旦売れた作家さんは、その後は比較的楽な展開をしていける……というような構図です。ですから、小説家は、売れるまではひたすら人間関係を円満にし、営業努力を続け、売れないかもしれない本を出してもらいながらチャンスを待たねばなりません。
 出版不況・文芸不振の傾向が著しくなってからは、状況はますます厳しくなっています。文芸雑誌も数が減りましたが、文芸誌の常連的な中堅作家でも、原稿料だけで食べていくのは相当難しいことです。「短編集は売れない」などということも言われ、短編・中編は本にしてもらえないことが多いので、本にならないまま消えていく作品も増えています。
 ここ数年は、「作家と作品の関係」というものをずっと考えてきました。そして到達した結論は、中途半端に「印税」にこだわるから前に進めないのではないか、ということです。

 LINUXというOS(コンピューターの基本ソフト)があります。フィンランドのリーナス・トーバルという青年が作り、内容を公開したこのOSは、今や、Windowsを脅かす存在になっています。彼は今、アメリカで小さなソフト会社を経営するプログラマーとして生活しているそうです。同じソフト会社の経営者でも、Windowsで大成功を収めたビル・ゲイツとは、すべての面で正反対の生き方と言えるでしょう。LINUXが今後いくらシェアをのばしても、彼のもとにライセンス料は一銭も入りません。
 作家とプログラマーをそのまま比較はできませんが、もしも作家が「印税生活への執着」を捨てたらどうなるのでしょう。
 作家を、「作品を本にして、それを売って生活する人」と定義したら、作品を無料公開する人間はもはや作家ではありません。
 しかし、作品を売って儲けるというのは、二次的な行為、あるいは結果にすぎないのではないかという気もします。(強がり?)
 例えば、宮沢賢治は、生涯一度しか原稿料を貰えませんでした。印税にいたっては、まったく手にしていません。彼の代表作は、ほとんどが彼の死後に世に出たものだからです。
 紫式部は「源氏物語」を書いて優雅な印税生活を送ったわけではないですし、そもそも、小説を書くことを金儲けの手段とは考えていなかったでしょう。
 そんなのは屁理屈じゃないの。時代がまったく違うし、彼女は宮仕えの身で、もともと生活には困っていなかったのだから当たり前じゃないか……と言われてしまうかもしれませんが、要は、「文章を売ることではなく、文章を他人に読んでもらうという原点」にまで立ち戻ってみたということです。

 活字離れの風潮は今後も続いていくでしょう。面白い作品でも、なかなか本にならない。本にならなければ、作家に金が入らないという以前に、作品が世に出ていかない。世に出ない作品は、存在しないに等しい……。
 作品の命を、自分の生活や欲やメンツより優先させるのもまた、作家という生き方かもしれません。そう思ったとき、無料公開の決意がつきました。気づかれない作品は評価されようがないという意味では同じなのですが、「気づいてもらえる」可能性が、ゼロからほんの少しは上がります。

 次に、「作家と作品の関係」ということを離れ、これから先の「文芸作品の形態」という点を考えてみると、「本」という文化を持ち続けるためにも、このような「ファイルでの無料公開」という方法があってもよいのではないかと思います。
 この作品だけでなく、私の小説は執筆されたときからデジタルファイルです。生原稿などというものはありません。生原稿では不特定多数の人たちに共有してもらえないからこそ、印刷物というものが生まれました。しかし、現代では、文章は最初からデジタルファイルであり、ファイルはそのままの形で、印刷物よりはるかに容易に、また広範囲に、共有できるものです。言い換えれば、テキストファイルである文芸作品にとって、「印刷」はもはやオプションのひとつにすぎません。デジタルで生まれた作品がデジタルのまま発表されるのは、極めて自然なことでしょう。
 
 一方、読者にとっては、作品ファイルが無料公開されることにより、自分で作品を自由に選べる権利とチャンスが広がります。前宣伝や伝聞情報に頼らず、自分の趣味や意志で読書ができます。「買ったけどつまらなくて最後まで読めなかった」「買って損した」ということがなくなれば、作品の自然淘汰も進みます。なぜなら、今までは、読んでみたけれど面白くなかったという本も、売れた時点で「売れた本」という評価が確定していたからです。このことは、文芸の世界が質を保ち続けることにもつながると思います。
 作品をファイルで無料公開することは、職業作家としては自殺行為だという意見が当然出てくるでしょうが、私はむしろ逆だと思うのです。
 アメリカでは、スティーブン・キングの新作がデジタルファイルで発表され、発表直後にはダウンロード数が50万本を突破したそうですが、日本では、たとえ人気作家が新作をデジタルファイルで公開したとしても、そこまでは反応がないでしょう。まだまだ文芸をディスプレイで読むという習慣が定着していませんから。
 でも、だからこそ、ファイルの形で無料公開しても、同じ作品が本になったときの価値が下がるとも言い切れません。並立は十分に可能でしょう。ファイルが無料公開されていても、本を買いたい人は必ず買います。ファイルの無料公開により、中身がある程度評価された作品に関しては、本という形でもまた売れていくはずです。気づかれないまま、評価されないまま消えていくよりは、よっぽど健全なことです。その意味では、ファイルの無料公開は、長い目で見れば文芸を救うことになるのではないかと思います。
 
 もしも興味を持っていただけましたら、ぜひ「文藝ネット」(http://bungei.net)をおたずねください。
 鐸木能光  

 以下は一括ダウンロードファイルに含まれる Read1st.txt(説明書き)からの抜粋です。

●『黒い林檎』の読み方

 一括配布ファイルには、QTView版とPDF版があります。
 QTView版は、Windows(95/98/2000/NT/ME)専用です。WEBブラウザ(Internet ExplorerかNetscape Navigator)に、QTViewプラグインをインストールするか、単体のアプリケーション版QTViewに読み込んでお読みください。エディタやワープロソフトには読み込めません。QTViewはarakenさんが作ったフリーソフトです。http://0ban.com/araken/ から無料でダウンロードすることができます。
 PDF版はAdobeのAcrobatを使って読んでください。こちらは印刷することも可能ですが、個人で楽しむ範囲を超えた印刷はご遠慮ください。

 【規約】

 οこの作品は、個人で楽しむ範囲内であれば、自由にファイルのコピーや印刷をしていただいてかまいません。ただし、WEBや印刷媒体を通じた不特定多数への再配布は厳禁します。

 οどういう形であれ、内容の改竄・編集・盗用を禁止します。

 ο知人・友人への紹介は大歓迎ですが、できればファイルを渡すのではなく、読者となる各人が配布サイトへ直接アクセスしてください。この作品は当面、文藝ネット(http://bungei.net)を通じて、無料公開しています。

 οメディアへの作品紹介も、もちろん歓迎します。配布サイトのURL(http://bungei.net)を必ず表記してください。bungei.net内の画像は、サイト紹介のためであればご自由に掲載していただいて結構です。

 οご感想などあれば、文藝ネット内の掲示板「倶楽部MAMIANA」に書き込むか、電子メールで、ringo@bungei.netへ送ってください。
 

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