日記 01/10/08




今日の放哉


「魂」ってなんだろ


ウサギ小屋と化している仕事場
ウサギ小屋と化している我が仕事部屋。部屋の主は誰なんだ。
 知らないうちに2か月も間があいていました。ひと月に1回以下の更新ペースでは到底「日記」とは言えないなあ。

 最近、水沢ミオンという人のサイト「妖精現実」(http://faireal.net)をよく読んでいるのですが、このサイトはいろんな意味で衝撃的です。
 例えば、いきなり「著作権放棄」という宣言が出てきます。

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>著作権放棄
>このサイトのほとんどすべてのコンテンツは、いかようにもご利用いただけます。
>引用、改変、翻案、転載、盗用など、商用(営利利用)、非商用をとわず、です。
>事前事後の確認やご連絡も不要です。ただし、このサイトが「原著作者」でない
>コンテンツについては、こんなふうに許可するわけにいかないので、例外です。
>詳しくは利用についての説明をごらんください。
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 だめ押しするように、こうも書かれています。
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>引用・転載・改変
>簡単にいえば「うるさいことは、いいません。好きにやってください」。当サイ
>トにいわゆる著作権があるすべてのコンテンツについて、無断利用、無断改変を
>許可します――つまり、自由に引用・利用・転載・盗作・転用などできます。商
>用(営利目的)でも非商用でも同じことです。事前事後の連絡も不要です。引用
>については、もともと著作権法に保証されたあなたの権利ですが、妖精現実の記
>事については、著作権法の制限を越えて利用してかまいません(適当に書き換え
>ても、要約しても、出典を明示しなくても、このサイトに書いてあることを、あ
>なたが自分で考えたふりして勝手に流用してもOK――いわゆる「公正な慣行」
>を考慮する必要なく、合理的な引用である必要すらない)。よほどのことでない
>限り、たいていのことは、OKなので、勝手にやってください。(これは、この
>サイトの記事に関することです。ほかのサイトのことは知りません)
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 盗むほどの価値がない内容なら別に気にしないんですが、このサイトには実に有益な(こういう言い方自体、「妖精現実」から見れば俗っぽくて、魂が汚れている証拠なのかもしれないけど(^^;;)情報や創作物が詰まっているんですね。アフガン情報をはじめとする世界情勢の見方、小説、フリーソフト、IT情報……。
 
 上の内容をそのまま受け取れば、このサイトに掲載されている小説(これが実に面白くて、一気に読んでしまいました)を誰かが自分の名前で発表しても、この人は「OK」と言っているんですね。
 その背景には、どうも宗教的とでも呼べるような(こういう書き方もこの人からすれば「人間社会のつまらない決めつけ」になるんでしょう)思想、信念があるようです。

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>あなたの真実を追求するということは,物質的なものや世間の評価への執着を捨
>てる,ということなのです(「執着を捨てる」というのは「得てはいけない」と
>いう意味ではありません)。
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 ある人はこのサイトを「インターネットが生んだ奇跡」と評しましたが、そうなのかもしれません。
 でも、「現実社会」では、ここまでの「著作権放棄」は、やっかいな問題を生じさせることでしょう。
 例えば、このサイトに掲載されている水沢さんの創作物が、彼女(多分?)の「魂」が反対しているであろうある種の経済活動(自然を破壊して利益を生む経済行為、プルトニウムのような処理困難な毒物を企業の利益のために生産する行為などなど)に利用されることもあるでしょう。
 彼女が書いた小説の一部を巧みに変えて、逆の主張を内包させた作品として利用されるかもしれません。そうした事態は、「著作権の放棄」という問題を超えて、やっかいなジレンマを生むに違いありません。
 もっとも、
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>あなたがあなたの中のいちばん澄んだ気持ちに誠実に従っている限り,たとえそ
>の結果がどうでようとも,あなたは光へ向かって歩いています。
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 ……という信念の持ち主としては、結果が自分にとって悲しむべきものになっても、それは「魂の声」に忠実に従ったためなのだから、仕方がないということなのかもしれませんが。

 自分のことにあてはめると、次のような一節は、簡単に読み流せません。
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>芸術家が創作の過程において,「私の心に照らすとAが正しいのだが,それでは
>世間受けはねらえない。Bの方が絶対に良い評価を得られる」というA・B選択
>の局面に立たされている場合にも,まったく同じことが言えます。Aを選ぶこと
>は地上での不成功をもたらすかも知れませんが,それこそが彼にとっての真であ
>り善であり美なのです。
>
>真・善・美は,その実相においては同じひとつのものです。それは「その人自身
>にとっての真実」ということなのです。
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 創作現場にいる人間、特にプロとして創作活動をしている人間なら、このテーマは常に心の中にあるでしょう。
 20代のときは、「まず成功が先だ」という気持ちが強く、音楽を創るときも、どうすればヒットチャートに入るのかを真っ先に考えていました。売れている音楽からは、好き嫌いにかかわらず、「なぜ売れたのか」という秘密を学び取ろうとしていました。
 今は違います。
 自分にとっての心地よい音楽、刺激的な音楽が変わってしまいましたし、その結果、自分が創る音楽は「売れる」音楽とは少し違うだろうと確信しているからです。
 もちろん、今よりは売れてもいいとは思っていますし、そのための努力(より多くの人に知ってもらう努力……知ってもらえれば、自分にとっての心地よい作品を共有する喜びも増える)も多少はしているつもりですが、20代の頃の「売るための努力」とはまったく違うものです。
 ですから、その部分ではそれほど深く悩んだりしなくなりました。でも、そもそも自分が創作活動をしているこの現実世界への失望や諦めの気分が強くなり、困っています。

 ユーミンの最初のアルバム『ひこうき雲』は、とてもよいアルバムでしたが、あまり売れませんでした。
 そこで彼女は、『ルージュの伝言』という、明らかに当時のユーミン音楽とは異色の作品をシングルで出し、ヒットを狙います。この曲はそこそこヒットして、以後、ユーミンはぐっと音楽活動がしやすくなりました。彼女がそれ以降創り出した傑作の数々は、もしかしたら『ルージュの伝言』のヒットがなければ生まれなかったかもしれません。
 私は、この『ルージュの伝言』に相当するヒット作品を出せないまま、40代後半になりました。今もなお、(音楽以外では)自分にとっての『ルージュの伝言』を出そうと努力していますが、そんなにまでして今さら創作活動を成功させる意味があるのか? という気持ちも強くなっています。

 死ぬまで悟りきれない私は、きっと、まだしばらくは『妖精現実』を睨みながら、共感と違和感の入り交じった気分を味わっていくのでしょう。
 蛇足ですが、私は「芸術とは独立した価値である」と思っていますので、魂が叫ぼうが叫ぶまいが、私にとって価値のある創作、心地よい作品はあります。澄んだ魂の命じるままに創った駄作より、背景が汚れていても、上質な作品のほうに価値を感じます。
 五木寛之の初期の小説に、ユダヤ人少女を全裸にして刺青をするなどさんざん玩んだ挙げ句に殺し、その少女の皮膚で「美しい」電気スタンドの傘を作り、そのスタンドが灯る部屋で、少女を殺したナチスの将校が、この世のものとは思えないほど美しいピアノを弾く……というシーンが出てきます。芸術性と人間性は乖離しているのだというテーマですね。
 多分、『妖精現実』に対して抱く違和感のひとつは、ここにあります。魂の声に従おうが従うまいが、私は自分にとって心地よい音楽を創りたいと思っています。

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