↑向かいのおばさんがカジカの串刺しを大量にくれた。
さっそくカジカ酒にして呑んだ。美味だった。↓

 

■田麦山日誌98 4/20


98/04/20

   向かいの大淵さん(この集落の半数以上は大淵姓である)のおばさんがカジカの串刺しを持ってきてくれた。魚野川で釣ったものだという。
 カジカ酒にすると旨いというのだが、お向かいの大淵さんちは、雪国では珍しく全員下戸なんだとか。旨いというのも体験からではなく「旨いと言われている」という伝聞に近い。
 カジカ酒では一昨年、手ひどい体験をしている。ヨジラさんたちが遊びに来たとき、魚野川の簗場(川口男山漁場というのだが)でカジカ酒を頼んだのだが、これがひどい代物で、生臭いだけ。みんなでちょっとずつ回し飲みしたのだが「金魚鉢の水を呑んでいるみたいだ」という意見で一致した。
 その悪夢の再現かと思われたのだが、まったく別世界であった。旨いじゃないか!
 そうだよな、こうじゃなきゃ、誰も呑まないはずだもの。あの男山漁場で出したカジカ酒はなんだったんだろう?

 本日、今年最初の越後狛犬探訪を決行。
 小千谷市の南東端・川井、岩沢地区の神社は全滅。そのまま南下して十日町に入っても、まだ見つからない。新潟県の狛犬率は非常に高かったはずなのに、このへんの地区は貧しいのかなあ。
 下条で信濃川を渡り、中魚沼郡川西町に入ると、俄然狛犬率が上がった。
 県道326号線沿いに、三嶋社、熊野神社、諏訪神社と連続ヒット。でも、熊野神社も諏訪神社もまだ雪がこいを外していなくて、ビニールやずたぶくろを頭からすっぽりかぶせられている。これじゃあ全然分からないじゃないか!
 こんないい天気なのに、いつまでこんなものかぶせておくのよ。高山では30度を超して真夏日だったってのにさ。
↑左は熊野神社(塩辛)、右は諏訪神社(仁田)の狛犬。どちらも大正6年建立。諏訪神社のほうは「小千谷・石斧 刻」という銘があった。山本の日吉神社と同じ石工名だ。

 その後、信濃川沿いに北上し、取安神社、上沢神社(ピカピカの昭和だった)、真人神社、地神楽神社で狛犬発見。地神楽神社では「小林斧七」という懐かしい名前に遭遇。昭和10年だから、魚沼神社の大きな狛犬の2年後ということになる。作風はかなり違っているから、このへんで代替わりしているのかもしれない。
 この狛犬はなかなか個性的で、よい出来である。三仏生・白山神社のでぶ狛犬魚沼神社の狛犬に比べるとずっとこぶりだが、造作は負けていない。

↑地神楽神社(小千谷市真人町)の狛犬。建立・昭和10年9月。石匠小林斧七。

 しかし、凄いと思える狛犬はいなかった。最後に寄った諏訪神社(小千谷市西中)の狛犬は、車の中から一目見るなり笑ってしまった。とにかくでかい。社より狛犬のほうがでかいんじゃないか?(うそです)
 

↑遠目にもなんだかちぐはぐなでかさと稚拙さを窺わせる諏訪神社(西中)の狛犬。

 どのくらいでかいか、隣に立ってみた。


 顔もなんだか彫りが浅くて、へたくそだ。石工名は小林正信と読める。斧七の一族だとしたら、あんまり出来がよくない石工だったらしい。建立年度は明治25年。斧七が活躍する前だから、もしかしたら斧七の親父かもしれない。
 川口町荒谷の二荒神社の狛犬にも顔が似ている。これは明治26年だから年代は同じ。
 もし、この小林正信が斧七の父親だとしたら、三仏生・日吉神社のデブ狛犬の作風にも通じるところがあるし、納得できる。斧七が一代の銘なら、明治末期から昭和にかけて、どんどんうまくなっていったということになりそうだ。
 

↑西中・諏訪神社の狛犬。お世辞にもうまいとは言えないが、味はある。
 そんなわけで、小千谷周辺の狛犬にもかなり精通してきたのであった。


(back to index)
一つ前の日記を読む。
次の日記を読む。