たっくんの綱渡り人生日記 1997 @




◇1997年1月15日
 遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
 去年は「本厄」(数えで42歳)とかで、確かに細かな災厄が続発しました。
 なぜか物が壊れる。タヌパックスタジオ越後は大雪で屋根が壊れ、ついでに屋根瓦そのものがもう寿命だとのことで平成の大改修工事。そういえば、越後のトイレも割れてしまったのだった。
 その後もクルマ(数回)、パソコン、スタジオ機器などが壊れ続け、台風の際には本宅の屋根も飛ばされ(それに数週間気づかなかったというのも凄いが)、ついでに身体のほうも慢性蕁麻疹に悩まされ、生まれて初めて薬の常用者となり……。

 そんな年が明けて、さあ今年こそはすっきりと頑張ろうと思っていたのに、年明けと共に今度は帯状疱疹(たいじょうほうしん)というやっかいな病気になってしまいました。蕁麻疹よりずっと怖い。
 診断され、次に病院を訪れると休診日。仕方なく帰ろうとするとクルマが突然エンコ。冷え込む中、ボンネットを開けて格闘すること小一時間。トヨタの営業マンが駆けつけてくれたのですが、メカニック歴10年の彼にも「こんなのは初めて」の症状だったようで、クルマはそのまま放置。
 どうも、後厄の今年のほうがずっとひどいスタートです。テニスもできず、原稿も進まず、悶々とした新年を迎えています。みなさまもどうぞ身体だけは大切にしてやってください……って、なんだか林家三平みたいなご挨拶になってしまいましたが、今年もタヌパックスタジオをどうぞよろしく。


◇1997年2月7日
 ひどい新年のスタートはさらに続きました。
 1/17 午前0時36分。タヌがとうとう永眠しました。
 かわいがってくださったみなさまに、改めてお礼を申し上げます。
 
 夫婦で最期を看取れたのは幸いでした。でも、泣きはらした隙にウイルスが侵入したか、二人ともその日からひどいインフルエンザで寝込みました。
 ようやく体調も戻りつつあり、これからゆっくりと身体と心のリハビリをします。
 タヌの最後については、「草の根通信」20に報告しました。
 しめった日記ですみません。もうすぐ元気になる予定です。

◇1997年2月17日
 2/14バレンタインデー。読売新聞社経由でチョコレートが1つ届いた。万歳!
 この日、私は大阪で仕事をしていたのだが、終わるとその足ですぐ帰京し、池袋へ。三遊亭円丈さんの狛犬講座に出席。
 犬好き、猫好きにはつき合いにくい人もいるが、狛犬好きに悪い人間はいない。ゲストの林家しん平さんもからっとした性格ですっかり心酔してしまった。
 高座じゃなくて講座の後、円丈さん、しん平さんらと打ち上げ。ビールがうまい。
 タヌパックの網頁には別室狛犬博物館というのがあるんですが、狛犬に興味がないかたもぜひ一度覗いてみてください。もしかしたらあなたも狛犬のとりこになるかもしれませんよ。
◇1997年3月13日
 記念すべき10冊目の本が4月に出る。『鉛筆代わりのパソコン術』(サイビズ)。
 記念すべき10冊目(別に記念しなくてもよいのだが)が小説ではなく、初のビジネス本(?)というところがちょっとひっかかるのではあるが、内容には少々自信がある。こんな本がもっと前に出ていたら、僕はあれほど苦労せずともパソコンを始めていられたとも思う。
しかし、この手のものはあくまでも余技というか副業にとどめたいという気持ちもある。筆名も「たくき よしみつ」にしているのはそういう意味合いもあるかな?
 この本、CD−ROMが付属していて、ここに僕も使っているQXエディタやチューチューマウスなどを収録。QXはなんと正規ライセンス付きという快挙。
QXの作者の心意気に負けず、僕もタヌパックで作ったデータを大公開している。
さらには通常のオーディオトラックで、タヌパックCDのサンプルも付けた。いろいろ楽しめるはず。
創作物を技術書(?)やマニュアルに付属させて届けるという発想は果たして成功するのであろうか?

◇1997年3月17日
 UNICODE……スペルはこれでいいのかな? 昨日、文芸家協会から電話がかかってきて、この話題が出た。2年くらい前に某HPでも話題になっていた。文芸家協会でも、この問題に積極的に取り組みたいからどうのこうのというような話。あれって、マイクロソフトが提唱しているのね。漢字の文字コード問題にまでMSに口を出してほしくないけれど、日本のパソコン界は、いつも言いなりというか、成り行き任せというか、せこい覇権主義に終始というか……。

 吉っていう字の下が長いバージョン(「つちよし」っていうらしい。普通の「吉」は「さむらいよし」だって)は、異字体って呼ばれるわけだけれど、これって、誤字の慣用(あるいは許容→定着)なのか、れっきとした正字なのか、学者でも意見は分かれるところなのだろうな。僕の名字の「鐸」を「鈬」と書くのとはまたちょっと違う。
 中国では「骨」という字の上のくきっと右に曲がっている部分が、左に曲がるらしい。UNICODEではこれらを統一して同一コードに割り付けるらしいのだが、それは喧嘩の元だろうなあ、やっぱり……。

 責任者というか、その「とき」に現場に携わっていたたった一人の人間のセンス、誠実度、能力の差によって、歴史が変わってしまうことがある。
 「鐸」はJIS第一水準漢字である。「鈬」は第二水準。これって、銅鐸を銅鈬と書き始めた新聞などを憂えて、JIS漢字コード協議委員(みたいな人)が将来に備えて「鐸」を第一水準に入れたのではないかという気がしてならない。だって、贅沢の「贅」っていう字でさえ第二水準に回されたのに、「鐸」が第一水準というのはどう考えても不自然だもの。


1997年3月27日
 ユニコードを調べようとして資料を探しているうちに、どんどん「文字コード問題」の深みにはまってしまった。
調べていくと、「鐸」が今日まで無事に生き延びたのは、単なる偶然でしかないらしい。全国の「檜山」さんなどは83年に大変な目に合っていたのだった。

 ここ数日、まるで受験生のように文字コードのことを勉強してしまった。新JIS規格を進めている委員のかたや、文字コード問題を真摯に追いかけている文芸評論家のかたなどともやりとりがあった。(こういうところ、インターネット時代って、ほんとに凄いことだと思う)
 その勉強の報告を兼ねて、「草の根通信」には次回から5回連続で文字コード問題のことを書くことにした。予定原稿まで含めて5号分をこの網頁の「草の根通信」コーナーに掲載したので、つきあってもいいという奇特なかたはどうぞ読んでやってください
 インターリンクの網頁容量が契約上限の2MBに達してしまった。日記や草の根通信、電脳文豪への道コーナーはどんどん増えていくのだから、なんとかしなければならない。
 でも、インターリンクはあまりにもサーバーダウンが多すぎる。meshのほうがずっと安定しているし速い気がする。最近CGIにも対応したようだし、今後は徐々にmeshへの引っ越しをすることに決めた。
 当面、インターリンクのほうはindex以外はいじらず、更新はmeshのサーバーのほうへしていくつもり。
 告知は徐々にしていこうと思う。

◇1997年4月4日
   広島県在住の天才詩人・栗栖晶さんに依頼され、「ありがとう」という曲を作った。
 お聴かせできないのはちょっと残念。網頁はまだまだ音は難しい。
 お礼に絵入りの詩をいっぱい送ってもらったので、みなさんにもお見せしたいと「あきらくんの小部屋」というのを新設。覗いてみてください。
 今朝、その晶くんからFAXが届いた。
晶くんからのFAX



◇1997年5月17日
 ちまちま更新はしていたのだが、このところ日記を付けるほうはさぼっていた。久々の日記。
   電脳な話題で少し疲れ気味。ちょっと違う話題を。
 三遊亭円丈さんや林家しん平さんがやっている「日本参道狛犬研究会」というのに最近出入りしている。狛犬は仕事にまったく関係ないところが楽しい。この分野で第一人者になろうなどという気持ちもさらさらないし、完全に「趣味」の世界。
 考えてみると、僕は人からは「多趣味」とか言われるけれど、自分では今まで、純粋に趣味と呼べるものを持っていなかった。陸上競技「鑑賞」、写真撮影、山歩き、たき火くらいのものだけれど、どれも今ひとつ自信を持って趣味とは言いにくい。狛犬は初めて自信を持って「趣味です」と言い切れるのが嬉しい。

林家しん平師匠


 狛犬というのは、学術的には極めて粗末にというか、非正統派の場所に追いやられていまして、仏像や建造物などに比べると重文指定もほとんどないんです。
 日本最古の石造狛犬と言われている東大寺の狛犬(1196年、中国から石工を呼んで作らせたと伝えられる)なんかも、運慶作の巨大仁王像の後ろに隠れるように置かれていて、誰も見ていない。ツアーガイドも一言も触れないで素通りする。もちろん重文指定もされていない。
 こないだ京都国立博物館の「獅子狛犬展」を見てきましたが、こういうふうに文化財扱いされるものはほとんどが木製の古いもので、いわゆる我々が馴染んでいる神社の石造り狛犬ではないんですね。
 現在「あ、狛犬がいる」と認識されるような参道狛犬が出てきたのは江戸時代からで、これはもうまったくといっていいほど文化・芸術の面からは無視された存在。従って学術的に解説した本はほとんどないと思います。

 図書館などでよく見かける(よくは見かけないが)狛犬本というのは、大半が郷土史研究の一環として作られたものです。我が町の神社にはこんな狛犬がいるみたいな。著者は無名の郷土史家か変わり者で通っている狛犬好きのじいさま。
 この手の本では、狛犬に愛を感じているというよりも、郷土の歴史の中での狛犬研究、昔どこぞのなんだらべえつう庄屋さまがおっての、そこの道楽息子が○○町の石工に造らせたのが△△神社の狛犬でな、先の大戦(ちなみに会津では「先の大戦」は戊申戦争だったりする)では神社が丸焼けになったんだが、この狛犬だけはすすで顔が真っ黒になりながらも生き残ってな、宮司の松田さんがそれを見るに見かねて……」みたいな話がついてまわるわけです。

 僕は、このどちらにも属していなくて、ひたすら狛犬を「生きている」と感じている感傷派というか鑑賞派というか。無責任なファンなんですね。
 仏像や人形みたいに、人間の形をしているものにはあまり興味がわかない。かといって、神社や寺によくいる狐やネズミや牛みたいなのも、あまりにも「まんまやないけ」という感じで面白くない。狛犬はオリジナリティを出せる要素がいくつかありながら、様式美みたいなものもある。そのへんが面白い。
 尻尾の形なんか典型。筒尾、炎尾、扇尾……といろいろある。島根や鳥取あたりに行くと、ケツをぐんと突き上げて頭を低くした狛犬が多い。
 狛犬ウォッチングの醍醐味というか、楽しめるかどうかの分かれ道は、やっぱり狛犬を「生き物」として感じられるかどうかだと思う。円丈さんもしん平さんも狛犬を生きていると感じているから、言葉の端々にそうした表現が出てくる。
 「帰ろうとしたら後ろから『おい、もう1枚撮っていけよ』と声をかけられまして、振り向いたら、おお、そのアングルからの顔が実にいい。『な、俺はこの角度からがいちばんハンサムなんだよ』って言いたかったんですねえ。私、普段はそんな角度からは絶対に撮らないんですが、彼がそう言うので、声かけられて、振り向いたそのままのアングルでもう1枚撮って帰りました」(円丈さん)なんていう発言が、狛犬研ではぽんぽん飛び出す。
 円丈さんは最近、狛犬から石垣へまで好奇心を暴走させていまして、この前の狛犬研では石垣の話を延々してしまった。しん平さんがそれに噛みついて、「ここに来ている人は石垣の話を聞きに来ているんじゃないよ」って、本気で怒っていたりして、いいなあ、こういうのって。

 今度の月曜日、狛犬研定例会で円丈さんと狛犬五番勝負というのをやるんですが、円丈さんの気合いの入り方は尋常ではなく、すでに3回も電話がかかってきた。「データは送りましたか?」とか催促の電話まで。円丈さん、狛犬研で、都内の狛犬なんかで自分がまだ見たことのない写真が出てくると本気で悔しがる。都内の神社はほとんど踏破というのが自慢の人だから。こないだなんか、どこかの「寺」の狐の写真を持ってきた人がいて、それが誰が見てもいい狐なのね。
「私、この写真持ち出された瞬間、むらむらっと嫉妬の感情が湧きました。くそー、寺に狐かあ。そこまでは気がつかなかった」と、何度も悔しがっていた。

 というわけで、長くなりましたが、マニアというのとはまたちょっと違う世界で遊んでいるわけです。(そーゆーのを世間では「マニアック」というのだと突っ込みが入るのは目に見えているのだが)

 狛犬五番勝負は、インターネットでも同時中継されるそうなので、足を運べないかたも、ぜひ網頁で五番勝負をお楽しみくださいね。(1999年8月現在閉鎖中)

◇1997年6月5日
 

   これは愛車「ELIC」がめでたく走行77777キロを達成した記念に撮影したメーターパネル。トリップメーターのほうも連動するように、7万キロになった瞬間、リセットしたという気の入れ方。なにやってんだか。
 昨日、タヌパックスタジオ越後から帰ってきた。出かけるときに、首都高で東北道に入る前に7万キロに到達。走行しながらトリップメーターをリセットした(あぶないですよ)。
 今回は会津のほうを回ってから越後入り。2週間滞在中、川口町←→小千谷を買い物のため何度も往復したので、帰る前に77777に到達。
 この車を買ったのはバブルの時期。環境論なんかもぶっていながら、車の話をするのはとても恥ずかしい。でも、乗らない生活は今はまだ考えられない。
 難しいところだな。




BACKHOME NEXT