日記 02/12/09



Making of 「鬼族」


 
雪が積もった
12月初旬ではこれだけ積もるのは珍しいとか。


今年はついに、一冊の本も、一枚のCDも出せないまま終わってしまう。
小説は1月に『鬼族(きぞく)』(河出書房新社)というのが出る。
専用のPRサイトとしてhttp://kizoku.orgというのを作ってあるのだが、このドメイン「kizoku.org」の取得年月日は2001年2月1日となっている。発売の2年も前にドメインを取得していたことになるが、これにはわけがある。
実は、『鬼族』は2000年の12月に、角川春樹事務所からの依頼で書き始めた。
当初、そのときまだ世に出ていなかった『黒い林檎』と『呪禁(じゅごん)』を見せたのだが、どちらも長すぎて出しづらいということで、改めて300枚程度でホラー文庫用に書き下ろしてくれないかという話だった。
ぐずぐずしていると出なくなると思い、1月末までには書き上げますと約束し、実際、1月末に原稿を渡した。
当時僕はどの出版社からも本を出してもらえなくなって何年も経っていた。このままずっと本が出せないかもしれないと考えていただけに、文庫書き下ろしとはいえ、この話は涙が出るほどありがたかった。
あとはそれをどう売っていくか。もう二度と来ないチャンスかもしれないという思いがあったので、自分でもやれることはなんでもやるつもりだった。
編集者とも話し合って、2月1日に、とりあえずkizoku.org と ki-zoku.comを取得した。(kizoku.com/netはすでに取られていた。そのうちの1つは故・池田貴族さんのサイト用だったと思うが、今調べてみたら、kizoku.comは今年6月に期限切れになっている。)
ところがその1週間後、突然、「営業不振のため、月間出版点数を15点から6点に減らすよう上から言われ、出せなくなった」と通告された。担当者もやる気満々だっただけに、なんともやるせない。
しかし、それほど驚きはしなかった。出版界、特に文芸の世界は青色吐息で、周囲でも似たような話がゴロゴロあったし、僕自身、こうした経験は何度もしてきていたからだ。
悔しさを込めて、自費で100部刷った。
その後、ありがたいことに河出書房新社から話があり、『黒い林檎』をまず出版できた。
『黒い林檎』は売れなかったが、編集者のがんばりで、なんとかもう1冊出してもらえることになり、『呪禁』と『鬼族』のどちらを出すかという話し合いの結果、『鬼族』を膨らませて出しましょうということになった。
春樹事務所から依頼があったときは300枚という制限があったので無理して短くまとめていたが、『鬼族』はその数年前から構想を持っていて、本来はシリーズ化できる大作に仕上げるつもりだった。膨らませてよいという話はありがたかった。
結果として600枚を超える長編になった。
今年の夏くらいにはというのが延び延びになり、秋以降になるくらいなら年を越して出してほしいと僕から要望し、1月刊行になった。

何度も書き直しているうちに、主人公の名前も変わった。
最初のバージョンでは、男が松居壕太、女が樹奈という名前だったが、最終バージョンでは、稲木壕太と那未になっている。名前を変えたのにはわけがあるのだが、それは秘密ということにしておこう。完成版を読んでいただければ分かるはず。
物語の舞台も微妙に変わっているし、書いているうちに変更せざるをえないことも出てきた。
例えば、壕太が東北新幹線で故郷に帰るシーンは、バージョン3.4まではこうなっていた。


 東京八時十二分発のやまびこ五号に乗ると、午前十一時前には終点の盛岡に着く。ここまではわずか二時間半だ。
 稲木壕太は、どこか落ち着かない気持ちのまま列車を降りた。
 父親が癌で入院し、余命幾ばくもないらしいと知らされたのが昨日のことだった。インターネットに接続して弘前への交通手段を調べるまで、壕太は自分が六歳まで育った青森県に、まだ新幹線が通っていないことを知らなかった。
 しかも、弘前は、鉄道で行くには青森よりも遠い町だということが分かった。盛岡から先は、太平洋側を回る東北本線の特急に乗り換え、一旦青森に行ってから、奥羽本線で戻るような形になる。それで、少し悩んだ末に、盛岡でレンタカーを借りることにしたのだった。

校了寸前に、東北新幹線が八戸まで開通してしまった。
別に直さなくてもいいのだが、あまりにも出版時期と「はやて」のデビューが重なってしまったので、やはりこの部分は直すことにした。

 車内アナウンスが盛岡到着を告げたとき、時計はまだ午前十一時を回っていなかった。東京駅で東北新幹線の列車に乗り込んでから、まだ二時間半も経っていない。
 稲木壕太は、どこか落ち着かない気持ちのまま列車を降りた。
 父親が癌で入院し、余命幾ばくもないらしいと知らされたのが昨日のことだった。インターネットに接続して弘前への交通手段を調べるまで、壕太は自分が六歳まで育った弘前まで、なんとなく新幹線一本で行けると思いこんでいたが、それは間違いだった。
 弘前は、鉄道で行くには青森よりも遠い町だった。盛岡から先は、太平洋側の八戸を経由して一旦青森に行ってから、奥羽本線で戻るような形になる。それで、少し悩んだ末に、盛岡でレンタカーを借りることにしたのだった。


さらには、校了寸前で、編集者から「看護婦というのは看護師に直さなくてもいいか」という指摘があった。
看護婦と看護士を合わせて「看護師」と呼ぶように決めたのは今年のことらしい。
小説の中には「婦長」という言葉も出てくるのだが、これも今は「師長」と呼ぶ。しかし、「師長」ではまるで自衛隊だ。
一旦は「看護婦のままでいいでしょう」ということになったのだが、1時間後に思い直して、やはり直すことにした。
多分、看護婦という言葉は、あと数十年は死なないだろう。10年経っても、「看護師」より「看護婦」という言葉のほうがなじみ深いに違いない。僕自身、そこまで過度に性別を表す言葉を殺すのは、かえって心のゆとりがない、息苦しい社会のように思える。
でも、テレビや雑誌からは確実に「看護婦」という言葉は消えていく。作品の命を考えたとき、少しでも前向きに、10年後、20年後に読んだときも、古臭く感じないように変えておこうと思い直したのだ。
地の文では看護師に直したが、会話の中では「看護婦さん」はそのままにした。
ちなみに、kizoku.orgにアップしてある立ち読み版はバージョン3.3で、出版される最終版はバージョン3.5だ。
『鬼族』のために取得したkizoku.org と ki-zoku.com は、使わないまま、今年2月に更新時期を迎えた。考えた末、kizoku.orgだけを更新した。
今、取得して2年ぶりにようやく使える。
前回のkuroiringo.com以上に、WEBとの連動を重視したサイトにしたいという思いはあるのだが、なにせ全部一人でやっているので、大変だ。
今回の新趣向としては、小説の中の登場人物が、WEB上にバーチャルで棲息しているという仕掛け。壕太にメールを出せば返事がくる。
小説の中に出てくる「縄文村」というサイトも、実際に自分で作ってみた(http://jomon.org)。

そんなこんなで、なんとか『鬼族』は復活する。
正月休みが過ぎた頃、書店にも並び始めるはずなので、ぜひ応援をお願いいたします。
流通が始まったら、http://41.st/booksからもすぐに注文できるようにしておきます。
雪の積もった庭
庭も雪化粧。化粧……というほどきれいじゃないな(^^;;


追記 2016年2月23日

フェイスブックで読者のひとりから、
「黒い林檎」読み終わりました。面白かったです!!次に読むとしたらどれがいいでしょう?鬼族か呪禁にしようと思うのですが……

という書き込みがあって、それに対して別の読者が、
Making of 「鬼族」 を読むと胸がジーンとして、こちらから読むのもいいなあと思います。

……と、この日記のページへのリンクを張った答えを書き込んでいた。
Making of 「鬼族」?? なんだそれ?
……と、リンクをクリックしたらこのページに飛んだ。
こんなに古い日記を覚えているわけがない。(14年も経ったのか……)
自分のコンピュータにも残っていなかったので、WEBからhtmlファイルをダウンロードした。
売れないことは哀しいけれど、井津先生の遺言となった「ひとりに向かって」の気持ちを忘れずに、死ぬまでちゃんと生きるぞ、という思いを新たにしたのでありました。
NobukoさんThanks!

ちなみに、検索したら河出書房新社のサイトにもまだ紹介ページが残っていた。ありがたいことだ。

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