越後の春は遠く

日記 2005/04/09

関越道トンネルの手前
4月8日、つぶれたタヌパック越後を確認し、瓦礫の撤去を町役場に申請するため、越後を訪れた。
今年の冬は数十年ぶりの大雪とは聞いていたが、まさか4月も半ばになろうというのに、こんなに残っているとは思いもしなかった。
上の写真は関越トンネル手前、1km地点。群馬側から見ても、山にはまだずいぶん雪が残っている。
大和PAの定食
いつもは素通りする下り線の大和PA。腹ごしらえのため寄ってみた。お袋の味定食650円。味付けはちょっと甘め。
川口SAのトイレ
一時は閉鎖されていた川口SAも完全に修復が済み、トイレはご覧の通りすっかりきれいになった。
崖崩れ
小高への道はほとんど補修が済み、問題なく通れるようになっていたけれど、数十年ぶりの大雪の影響で、道路沿いの山のあちこちが、さらに崩れていた。
瓦礫になった我が家を見るのは辛いなと覚悟はしていたのだが、瓦礫どころか、見えるのは雪の壁だけだった。
雪が降る前の様子
雪の下にすっかり埋もれてしまい、確認のしようもない我が家。
手前の車庫の屋根が一部だけ雪の上に見えている。この車庫の向こう側にあった家はまったく消えてしまっていた。上の、小さいほうの写真は、地震後、雪が降る前に後片づけに来たときの写真。車庫の位置を比べれば、家が完全に崩れ落ちたことだけは分かる。しかし、この雪の下に埋もれている瓦礫は見えない。悲しみはいっぺんに襲わないほうがいいという配慮なのか。
背丈より高く残る雪の壁
車庫の中に残る荷物の一部を運び出すつもりだったが、これでは諦めるしかない。
向かいの家へ
まだ建っている向かいの源治さん宅のほうに上ってみた。
壊れた軒先
雪で引っ張られてへし折れた軒先。これは地震で壊れたのではなく、雪によるもの。雪は重みだけでなく、溶けていくとき、こんな風に軒先を引っ張って壊す。我が家も過去何度かこの被害にあって軒を修理した。
源治さん宅
↑一階部分がまだ雪の下になっている源治さん宅。
壊れた樋
外れた樋のところで、屋根の雪がどんどん溶けて流れ落ちていた。
見下ろす
源治さん宅から、我が家の方向を見下ろす。こんな位置から見たことはない。見えるのは雪だけで、家の痕跡すらない。
木
こんなときでも、ふと見上げれば、空がきれいに晴れ渡り、木々が静かに見下ろしている。
不思議な静寂。
杉の花粉
くしゃみが出る。杉の枝が花粉で黄色く化粧していた。
蕗の薹 ミミズ
道路脇、わずかに露出した地面には、最初の蕗の薹が顔を出し、ミミズも陽光に誘われるかのように這い出してきていた。
誰もいなくなったこの場所でも、自然はまた同じ営みを繰り返していく。


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