たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2004年2月20日執筆  2004年2月24日掲載(04/07/10 加筆)

塩素消毒と温泉幻想

松山市の道後温泉で、源泉から引いている湯に消毒用の塩素を添加すべきかどうかで論争が起きている。
ことの起こりは2002年夏にまで遡る。
宮崎県日向市などが出資する第三セクター・日向サンパーク温泉「お舟出の湯」という施設で、入浴者が次々にレジオネラ症に感染。最終的に感染者は200人以上、死亡者7人という大惨事になった。
その後も全国で同様の事故が続出し、厚生労働省は各都道府県に対策条例の制定を促した。

各都道府県の対策状況はまちまちで、循環式の温泉施設に限定して塩素消毒を義務づけたところもあれば、塩素云々は明記せず、単に各施設に「対策するように」と指導しただけのところもある。
で、松山市では、昨年10月に改正された県条例にのっとり、県内のすべての公衆浴場に塩素消毒などを義務づけた。道後温泉も例外とはならず、現在、源泉からの配管に0.3mg/lの塩素を注入しているという。

これに対して、地元の旅館組合、商店街が猛反発し、他の対処方法を検討せよと訴えているわけだ。
温泉愛好家や学者たちからも、「3000年の歴史がある道後温泉をなんだと思っている」「温泉文化の冒涜だ」「今まで一度も事故がないのにやりすぎだ」「レジオネラ菌感染事故が起きているのはすべて循環式の入浴施設なのだから、塩素消毒を義務づけるなら循環式入浴施設に限定すべき」などなど、反対意見が噴出している。

水道水の場合もそうだが、管理するお役所は、ともかく塩素を入れておけば安心という対応をする。
ある夏、滞在していた越後の山中で、突然水道の水がまずくなったことがある。全国で食中毒やレジオネラ菌事故が増えていたときだ。
そこの水道水は山の伏流水から引いていて、うまいのが自慢だったが、管理している町が塩素の添加量を増やしたのは明白だった。
水質検査をする前に、まずは塩素を入れる、塩素を増やす、という発想だ。

狭いケージで飼う鶏や豚、あるいは養殖の魚は病気になりやすいから、餌や水に抗生物質を入れてしまおう……というのに似ている。根本的な対策にはならない。
源泉かけ流しの入浴施設を持つ宿にとって、源泉からの湯に塩素を入れられてしまうというのは、養殖魚と天然魚の刺身を同じだと言われているのに等しい屈辱だろう。

問題は「温泉の湯」そのものではなく、使った湯を捨てずに何度も使い回しするという循環湯システムの側にある。対策をするなら、まずは循環湯システムの製品品質検査の整備、循環湯にしている施設の「循環湯」であることの明示義務、湯の完全入れ替え頻度の基準制定、それに違反した場合の罰則規定などではないだろうか。

塩素消毒は決定的な効果があるという。入れておけばとりあえずは安心。しかし、その姿勢が、いいものを提供しようとひたむきに努力している人たち、その文化を愛している人たちにとっては侮蔑と感じるし、「なぜ違いが分からないんだ」と苛立たせる。

また、「うちは塩素を入れているから大丈夫」という理由で水質検査頻度が下がったり、塩素を入れるくらいなら循環式で低コストに経営したほうがいいと、安直な循環湯施設が増え続けるかもしれない。逃げの行政姿勢が人々のやる気や生き甲斐を奪い、別の災厄を招くことにもつながるだろう。

この問題は非常に複雑で、多方面から検討しなければいけない。単純に塩素を入れるなというのではなく、より多くの人たちが納得できる方法、あるいは視点を変えて、感染事故を減らすための別な方法を探っていくことが求められていると思う。
行きすぎの「温泉幻想」のようなものも含めて、この際、冷静に考えていってほしい。「塩素を入れるな」と叫ぶ温泉擁護派側も、湯舟の上にノートパソコンにつないだ怪しげな器具をつきだして「マイナスイオンが▲百万も!」なんてやっているようでは、まともに相手にされなくなってしまう。

ひとつ言えることは、質の高い行政は本来とても面倒くさいものだ。いい仕事をしても、自分が直接儲かるわけではない。
手間をかけてもかけなくても給料が変わらない公務員は、ともすれば質の高い仕事をしなくなる。
しかし、地方自治体が、自分たちの土地に根づく自然の恵みや歴史の重みに対しての愛情を失ったら、一体あとに何が残るのか。

行政が壊してしまった文化や自然の財産はたくさんある。苛立つこと、腹の立つことがたくさんある。
理不尽なことばかりの世の中に疲れ、少しでも癒されようと訪ねた温泉宿が循環湯では、救われない。

(2005年10月1日追記)
上記の内容は、asahi.comに掲載した投書の原稿から若干書き換えを行っている。
この問題については思った以上に反論のメールが多く寄せられた。「塩素消毒しなくてどうする」という内容のものがほとんどだった。
その後、いろいろな文献を読んだりするうちに、今は「塩素消毒はとりあえずしておいたほうがいい」という考え方に傾いている。
遠吠えするオオカミ
■遠吠えするオオカミ(栃木県大田原市・大田原神社)
(c)狛犬ネット


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