たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2004年3月16日執筆  2004年3月17日掲載

いや、神様はQちゃんに微笑んだ

●はじめに

国民栄誉賞を貰った高橋尚子選手が、もしかすると「アテネで最もメダルを狙える選手」なのかもしれないのに、代表に選ばれなかった。
このことで日本中が大騒ぎになった。
陸上ファンのひとりとして、このコラムでも過去何回かマラソン選手のことを書いてきた。今回はどうしても長く書いてしまう。小出監督ではないけれど、「口にチャック」できない体質なのだ。
どう書いても、猛烈な反論が来ることは分かっているので、最初にいちばん書きたいことを誤解されることを怖れずに書いておきたい。

Qちゃん(30代の女性を敢えてそう呼ばせてもらうことをお許し願いたい)が自ら語ったように、今回のことは悲観的に考えてはいけない。
名古屋国際女子マラソンでの土佐礼子選手(以下、トサレイ)のレースぶりには涙が出た。でも、翌日、敗者として記者会見したQちゃんの姿にはもっと感動した。
ああ、神様はどこまでも彼女に微笑んでいるのだな、と確信した。
Qちゃんはこれで、悪役になることがなくなった。トップ選手としての輝かしい歴史の最後に、不透明なものを残さずに済んだ。
それどころか、もしかしたらトップ選手としていちばん大切な闘争心を再び得て、選手生命をのばしたかもしれない。
神様はどこまでもQちゃんには優しい。世界のトップを極めた彼女を放っておけず、助けてくれたのだと思う。

小出監督の言うように、Qちゃんは「ものが違う」。それは誰もが認めることだろう。
酷暑のアジア大会で、競る者がひとりもいない中、信じがたいペースで走る彼女を見たときは、感動というよりも怒りに近いものを感じた。
30度を超える気温の中、こんなスピードで走り続けるなんてことは「ありえないこと」だ。このままでは身体が壊れてしまう。この子にはもっとふさわしい場所が待っている。なぜ止めないんだ、と。
みんな忘れかけているが、1998年のアジア大会2時間21分47秒は、彼女のレースの中で最も評価されてよい、奇跡の走りだった。

あれ以降、僕はQちゃんを特別視している。「ものが違う」……その通りだ。
しかし、いわゆる「ファン」ではない。ファンになるには、Qちゃんはあまりに強すぎる。やることがすごすぎて、感情移入ができない。彼女の強さはそれほど図抜けていた。
シドニーが終わった後、国民栄誉賞を拒否しなかったときは、これで終わったかなとも思ったが、そんな俗人の心配をよそに、彼女は新たな目標に向かって進んだ。その姿にまたまた感嘆させられた。

それがここにきて、彼女の中に「らしくない」ものが見えるようになっていた。
東京国際で大失敗した直後、小出監督に「もう一度走らないと駄目ですかね?」と言ったQちゃん。あのとき、違和感を感じたのは僕だけではなかっただろう。

その違和感は、15日の落選記者会見で吹き飛んだ。
小出監督も、言葉のあちこちに恨み節が滲んではいたが、下手な小細工や演出をせず、長時間の質問攻めに嫌な顔もせず応じ、時にはQちゃんに「自分で言え」と促すなど、立派な態度だった。

あの会見は救い……いや、学ばされることが多い、すばらしいものだった。
Qちゃんには敢えて「おめでとう」と言いたい。
騒いでいる僕ら凡人たちのことは無視してほしい。そして、また孤高の世界での戦いを見せてもらえるなら、僕ら凡人にとって、なんと幸せなことか。

このことをまずまっ先に言いたい。今回のことは「Qの悲劇」ではない。


●「期待度」で選ぶということの誤り

次に言いたいのは、陸連が犯し続けてきた誤りについてだ。
その誤りについては、Qちゃんが、キリストのように、自らの存在を犠牲にしてそれを示したので、凡人の僕がどうこう言うことではない。しかし、補完する意味で書きたいと思う。

日本のマラソン選手にオリンピックへの参加資格を与える権限を持った組織は日本陸上競技連盟だ。
陸連は、今回の選考を「事前に明示していた基準に従って選んだ」と言っている。
その基準とは、

1.第9回世界陸上選手権大会でメダルを獲得した男女マラソンの競技者の中で、男女マラソン最上位1名の選手をそれぞれ代表とする。

2.上記以外の男女マラソン代表選手は、各選考競技会の日本人上位の競技者の中から本大会(註・アテネオリンピック)でメダル獲得または入賞が期待される競技者を選考する。


というものだ。

1は選考条件としては極めて明確であり、主観の入る余地がない。本来、選考が難しければ難しいほど、こうした明確な(曲解しようがない)基準を設けるべきだ。その意味では極めて正しい条件といえる。
しかし、内容については多少疑問が残る。なぜ世界陸上だけを特別扱いするのかという理由づけが弱い。
世界陸上はオリンピックと並んで特別な大会であるというが、マラソンに限れば、一流選手はむしろ、真夏の大会である世界陸上を回避する傾向がある。体力を消耗する真夏のマラソンに出ることが、冬や春の賞金レースにマイナスに働くことを怖れるからだ。
世界陸上のマラソンがどんなにレベルの低いレースになっても、メダルを取ればその時点で決定なのだ。残り3レースが始まっていない時点で特別扱いをすることが妥当なのだろうか。

「世界陸上特例」は、前回のシドニーオリンピック代表選考会では大もめにもめる原因となった。「陸連の秘蔵っ子」と言われた市橋有里選手が世界陸上で2位になった直後に「市橋内定」が強行された。世界陸上を特別扱いするということが事前に明示されていなかったとして、陸連は猛烈な批判を浴びた。普通なら同じ失敗を繰り返さないようにするべきだが、なぜまたしても世界陸上を「特例」扱いにしたのか。
これはもう、高橋尚子選手を早い時点で「別枠」として代表に内定しておきたかったからに他ならない。
Qちゃんは2002年の東京国際女子マラソンに出場し、そこで軽々と優勝して世界選手権代表となり、世界選手権でも優勝、悪くても日本人最上位でメダル獲得を果たし、その時点でまっ先にアテネ代表に内定するはずだった。
ところが、肋骨の剥離骨折で東京国際を直前で断念。そのため、暗黙の「高橋枠」として用意されていた「世界陸上の日本人最上位メダリスト」という1枚目の切符は、5人の代表の誰かが取ってしまうことになった。案の定、安定感のある野口みずきが獲得した。
これが陸連にとって誤算の第一歩だったはずである。

しかし、野口は実際に強い。
昨年のパリ世界陸上女子マラソンがどういうレースだったのか振り返ってみよう。
左から順に、順位、選手名、(ベストタイムの世界歴代ランク)、ゴールタイムを記している。(選手のベストタイムによる世界歴代ランキングは、→こちらのサイトを参考にさせていただいた。)

2003年世界陸上(2003/8/31)曇り 気温23度
1ヌデレバ(ケニア/歴代2位)2:23:55
2野口みずき(歴代9位)2:24:14(19秒差)
3千葉真子(歴代14位)2:25:09(74秒差)
4坂本直子(歴代16位)2:25:25(90秒差)
5ハム・ボンシル(北朝鮮/歴代68位)2:25:31

ラドクリフも魏亜楠も孫迎傑もオカヨもいない。当時、日本三強と言われた「とさしぶきゅー」(土佐礼子、渋井陽子、高橋尚子)もいないレースだった。
もっとも、
6 アレム(エチオピア/歴代48位)  2:26:29
7 チェプチュンバ(ケニア/歴代30位)2:26:33
あたりを破ったのは評価できるし、なによりも野口、千葉、坂本、大南敬美、松岡理恵という世界ランク50位以内に位置する日本選手5人の中でトップになった野口選手が強かったことに間違いはない。
また、世界陸上に出るためには、その前に指定された国内レースで上位に入らなければならないわけだから、2レース連続で優秀な成績を上げたということは立派な選出理由と言える。
だから、この1の「第9回世界陸上選手権大会でメダルを獲得した男女マラソンの競技者の中で、男女マラソン最上位1名の選手をそれぞれ代表とする」については、多少の疑問はあるとしても、不適当な基準とは言えないだろう。
陸連も、高橋ではなく、野口をまず内定させる結果になってしまったことについては、それほど失敗だったとは思わなかったに違いない。

問題なのは2の「各選考競技会の日本人上位の競技者の中から本大会(アテネオリンピック)でメダル獲得または入賞が期待される競技者を選考」というほうだ。
「期待される」というのはどういうことなのか?
期待というのは主観であり客観ではない。誰が誰に何を期待しようが勝手なのだ。
そもそも「誰が」期待するのか?
恐らく、「陸連幹部が期待する」ということなのだろう。そうではなく、国民が期待するという意味ならば、オールスターの人気投票のようなことをしなければならなくなる。
いずれにせよ、競馬の予想屋が集まって侃々諤々と議論しているのと同じことで、公平・公正な選出などできるはずがない。
選考会で「国民を敵に回すつもりか」と言った幹部がいたそうだが、その発想がそもそも間違っている。選手の人気度が選考基準のひとつになるようなら、それこそ「スポーツはルールに則って行う」という大前提を脅かす行為になる。

陸連は、この2番目の基準を提示した段階で、大きな間違いを犯しているのだ。
「期待できる」を文字通りに解釈すれば、Qちゃんは最も期待できる選手かもしれない。また「期待したい」選手という意味にまで拡大解釈すれば、ダントツで1位だろう。
これは選考レースが始まる前から明白なことだったのだから、本当に「期待」という要素を入れたいのであれば、最初から「高橋尚子は別扱いで、無条件で選出する」と明言すればよかった。そうであれば、内容の是非はともかく、これもまた曲解しようがないわけで、野口選手が世界陸上で日本人トップでメダルを獲得した時点で、残りの切符は1枚と明示できた。他の選手たちは、国内選考会3レースを走り「残り1」を競うことになる。どのレースもとてつもなくハイレベルな戦いとなっただろう。
あるいは、国内3レースのうち、記録の出にくい東京国際は選手たちが回避し、最も記録の出やすい大阪国際が事実上の「残り1枠一発選考レース」になる可能性も高かったはずだ。
実際、それに近い結果になりつつあった。
東京国際はQちゃんを確実に選ぶために用意されたようなレースになったからだ。

ところがQちゃんはここで失敗した。前年の東京国際のスタートにつけなかったことに続いて、連続して負けたのである。
多くの人は、Qちゃんの負けレースはこの1回だけと言うが、スタートラインに着けなかったレースはその時点で「負け」である。シドニー前年の世界陸上や2002年東京国際は、Qちゃんにとってはオリンピック代表となるために絶対に出なければならない重要なレースだった。そこに怪我で出られなかったのは「負け」なのだ。

「期待」で選考することは間違っている。「各選考競技会の日本人上位の競技者の中からアテネオリンピックでメダル獲得または入賞が期待される競技者を選考」するという陸連が示した第2の条件を文字通り読むなら、Qちゃん陣営が名古屋を戦わず「待ち作戦」に入ったことはあながち責められない。十分に条件を満たしているからだ。
今回、陸連がQちゃんを選ばなかったのは、
「選考条件に『期待度』という要素を入れたが、あれは間違っていた。今なお期待度はいちばんだが、それでは他の選手が可哀想すぎるし、今後に問題を残しそうなので、あれは撤回し、別の要因で選ぶことにした」
あるいは
「最近の高橋尚子の成績や闘争心を見る限り、やはりこれ以上は期待できないと判断した」
のいずれかということになる。
多分、両方だろう。

Qちゃん陣営は、今回、賭に出た。名古屋で自分を脅かす成績を出す選手は現れないと予想し、その予想に賭けた。
そして予想は外れ、選考レースというゲームに負けたのだ。
その認識でQちゃんと小出監督の記者会見を見れば、ふたりが極めてまともな対応をしていると分かるはずだ。僕も含めて騒いでいるメディアや国民は、一流の人間の行動に、もう少し学ぶべきなのだろう。


●その他、雑感

……以上、基本的にはこういうことだと思う。
もはやどうでもいいことに近いかもしれないが、今のところ指摘する人がいない部分で、気になったことをいくつかあげておきたい。

1)誰もQちゃんとの直接対決を挑まなかった不思議

切符が残り2枚となったところで、いちばん確実に切符を手に入れる方法は、暗黙のシード選手である高橋尚子と直接対決をして勝つことであったはずだ。そんな簡単な理屈を、誰も実行しなかった。
これは、「現日本記録保持者の高岡を直接破って優勝すれば、確実に切符が手に入る」と考え、高岡が早くから出場を表明していた福岡国際に参戦した男子選手たちが多かったことと比較しても、実に不可解なことだ。

例えば前回理不尽な選出の陰で泣いた弘山晴美は、東京国際女子マラソン前にすでに絶好調と伝えられていた。なぜ東京でQちゃんと直接対決をしなかったのか、不思議で仕方ない。
弘山だけではない。東京国際に出ていれば、Qちゃんより上位でゴールできた選手はたくさんいたはずだ。Qちゃんより上位でゴールする日本人選手がいれば、その時点で、Qちゃん自身も迷うことなく名古屋再挑戦を選んでいたはずであるし、大阪国際もあんなスローペースでは展開しなかっただろう。

2)監督たちの責任

Qちゃん特待レースであった東京国際で、Qちゃんは代表を決められなかった。名古屋には有力選手が出ない(怪我のトサレイが好記録で優勝する可能性を、誰もが低く見積もりすぎた)。となれば、大阪の優勝者は確実に切符を手に入れられる。
しかも、レース前は雪が降り、異常な低温という最悪の気象条件。誰もがハナから記録を捨ててしまった。
しかし、スタート直後に天候は好転し、日も差し始めていた。高速レースを得意とする選手たちにとって、あのスローペースは不利になることが分かりきっている。それなのに誰ひとりレースを引っ張らなかったのは、監督たちの「先頭に立つな」「ペースメーカーになるな」という指示があったからだろう。あれは女子マラソンの監督たちの器が問われるシーンだった。もちろん、選手たちの自主性や勇気、闘争本能や勝負師としてのセンスも問われているのだが。
弘山や渋井は、超スローペースに合わせることで自滅した。足の痛みを抱えながらも、タイムが遅かったらどうにもならないということを理解して、最初から積極的に第一集団を引っ張ったトサレイとは大違いだった。

今回、陸連が最後にQちゃんを選んでいても、それはそれで仕方がないと僕は思っていた。なぜなら、他の選手たちがQちゃんとの直接対決を避けたからだ。戦う前から負けている。
結果として、最後は坂本直子とQちゃんの比較になったという。大阪で守りのレースを指示した監督たちは、もっと反省すべきだろう。いつも思うのだが「自分から飛び出すな」という指示くらいしか出せない監督たちの器は、やはりQちゃんチームに比べると見劣りがしてしまう。

口にチャックできない体質ついでに言うなら、東京国際の後、週刊誌などで「高橋を名古屋で走らせるのは愚かだ」というような論がいくつか出たことも不幸だった。
瀬古利彦監督はそのひとりだが、自分が二度、オリンピックで失敗したことに重ね合わせて、高橋ほどの選手をそこまで追い込むのは馬鹿である、というような主張を展開した。
瀬古といえば、かつて、福岡国際が事実上の一発選考レースだったとき、直前の骨折で出られなくなり、選考に大混乱を持ち込んだ張本人である。ライバル中山竹通が「這ってでも出てこい」と言った、言わないなどという騒ぎにまでなった。思えば、後の女子マラソン代表選考のトラブル続きを予告するような、非常に後味の悪い「事件」だった。

我が家には、あのときの福岡国際マラソン生中継を録画したビデオテープが今なお残っている。冷たい雨がゴール前ではみぞれに変わるという最悪の条件の中、中山はいきなり5kmを14分そこそこというとんでもないハイペースで飛び出した。
スタートするなり、中山を頂点にした三角形ができ、そのまますぐ独走態勢。途中までは世界最高記録のペース。みぞれに阻まれ、最後は失速したものの、2位以下をぶっちぎって優勝。あんなかっこいいレースはなかった。
中山は陸連への怒りをそうした形で示した。スポーツで「勝つ」ということは、こういうことだろうと思う。
あのとき「政治」に頼った瀬古が、今なお同じ論陣を張るということに、僕は非常に驚いてしまった。


3)油谷はあの選ばれ方でよいのか

男子は、2番目に油谷選手が決まった。これにはかなり疑問がある。
油谷が「安定した力」を持っていることは確かだろう。しかし、それは「安定して負け続けた」ということでもある。
油谷選手は優勝経験がない。

2000年3月5日 びわ湖毎日 7位 2:10:48
2001年3月4日 びわ湖毎日 3位 2:07:52
   8月3日 世界陸上  5位 2:14:07
2003年2月9日 東京国際  2位 2:09:30
   8月30日 世界陸上  5位 2:09:26

これが全成績。2001年びわ湖毎日の7分52秒は世界歴代62位。(ああ、今では7分台でも歴代50位に入れないのだなあ)
いつもほとんど同じパターンで、先頭集団に(日本人選手では)最後まで残っていて、最後にはずるずると落ちるというもの。ラストでの勝負ができない。それを自覚した上で、ラスト勝負になる前に仕掛けて逃げ切りをはかるというレースもしたことがない。
昨年の世界陸上もそういうレースだった。
レース直後のインタビューで、本人も「3位は行けると思ったけど、最後は力負けでした。チャンスが2回あったと思って気持ちを選考会に切り替えます」と語っている。翌日の新聞には「油谷、シドニー切符を逃す」というような見出しが並んだ。

それがいつのまにか「世界陸上2回連続5位の安定した力」という報じられ方をするようになる。まずこのへんに違和感(一種のメディアコントロール)を感じてしまうのである。
世界陸上2回連続というが、そもそも前々回の世界陸上は選考会対象レースではない。
しかし、あえて2回の世界陸上の結果を詳細に見てみると、

2001年 エドモントン世界陸上 30度を超える酷暑のレース
1 アベラ(エチオピア/歴代65位)2:12:42
2 ビウォット (ケニア/歴代23位)2:12:43
3 バルディニ (イタリア/歴代48位)2:13:18
4 トラ (エチオピア/歴代30位)2:13:58
5 油谷繁 (歴代62位)2:14:07(トップと85秒差)

2003年 パリ世界陸上 小雨交じりの曇り、気温14度
1 ハリブ(モロッコ/歴代109位)2:08:31
2 レイ(スペイン/歴代46位)2:08:38
3 バルディニ(イタリア/歴代48位)2:09:14
4 ケーサ(ポルトガル/ランク外)2:09:25
5 油谷繁(歴代62位)2:09:26(トップと55秒差)


……となる。
昨年の世界陸上男子マラソンは、敢えて言わせてもらえば平凡なレベルのレースだった。予想された高温にはならず、むしろ好条件の下で行われたが、優勝タイムは8分台。そこから1分近くも遅れての5位が、それほど評価できるとは思えない。
陸連幹部たちが突然「2大会連続の……」と言いだしたのは、昨年のパリ世界陸上よりもむしろ、2001年のエドモントン世界陸上での猛暑のレースを参考にしたということかもしれない。前年のオリンピックで優勝したアベラや2時間6分台の自己ベストを持つビウォットが12分台でゴールしたことからも分かるように、かなりの悪条件だった。その中で5番に入ったのだから、やはり暑さが予想されるアテネでも期待できると踏んだのだろう。
しかし、そうなると、男子では選考レース以外の『期待度』を考慮したが、女子ではそうしなかったというダブルスタンダードになった疑いが出てくる。

男子の国内選考会3レースの優勝タイムを見ると、2:07:52(福岡)、2:08:43(東京)、2:07:42(びわ湖)となり、パリ世界陸上の2:08:31と大差はない。2位になった諏訪、大崎、小島忠のトップとの差を見ると、3秒、3秒、36秒で、小島は大きく見劣りするが、それでも油谷の55秒差よりは小さい。
どう考えても、二番目に決めるべきなのは油谷ではなく諏訪だったのではないか。諏訪は本命の高岡に正々堂々と戦いを挑み、勝ったのだ。それよりも、直接対決を避けた油谷が諏訪よりも先に選ばれるというのでは、高岡に挑んで散っていった尾形、藤田、小島など、他の選手たちに失礼というものである。
3番目を大崎、高岡、油谷で比較する……というのが順当な選び方だったのではなかろうか。特に、終盤、勇敢に飛び出して逃げ切りをはかり、最後は6分台の自己ベストを持つジェンガ(世界歴代7位)に3秒差で惜敗した大崎はもっと評価されてもよいと思う。
フルタイム勤務で所属企業からのサポートなし。そうした環境であそこまで戦った大崎選手には、大きな拍手を送りたい。

個人的な「期待度」でいえば、高岡はQちゃんほど別格ではないにしても、ある程度「ものが違う」と思うので、オリンピックで走る姿を見たかった。びわ湖での再挑戦を早くから表明していたが、最後は脚の故障と監督の指示で断念したようだ。
故障を抱え万全でないままレースに出なければいけない状況は、名古屋のトサレイと同じだった。トサレイが痛みを隠して突っ走り、アテネへの切符をもぎ取ったのとは対照的な結末になってしまった。
福岡では2位と4秒差。「5000m、1万mの日本記録保持者が最後のトラック勝負で負けるようでは……」という思いも、陸連幹部に植えつけてしまった。最後の最後での勝負弱さがかなりのマイナス印象になったことは否めない。

4)ケニア陸連はもっとダメダメだなあ

余談だが、有力なメダル候補をたくさん抱えるケニアのマラソン代表選考は、日本よりもっと不透明で理不尽なことで知られるが、今回もそうだった。
あまり話題にならなかったが、今年の東京国際(男子)は、日本での生活が10年になるワイナイナとジェンガという二人のランナーにとって、アテネ代表をかけた一騎打ちの場でもあった。
ワイナイナはスピードがなく、自己ベストや1万メートルの記録だけ見れば二流。ところがオリンピックとなると2回連続でメダルを取っている。かつての有森のパターンだ。
ジェンガは2時間6分台で世界歴代7位のベストタイムを持つスピードランナー。なぜか国内レースでは上位に入れないが、日本を出れば、2002年のシカゴでは現世界最高記録保持者のテルガト(4位)に競り勝って2位(自己最高の2:06:16)、昨年のシカゴも7分台で3位と、文句なしのトップレベルランナーであることを証明している。
五輪本番で不思議と強いワイナイナか、スピードのジェンガか。
注目の直接対決となった東京国際では、ジェンガは2:08:43で優勝。ワイナイナは2:11:03で8位惨敗。2分20秒の大差をつけて勝ったジェンガが代表に選ばれると誰もが思ったが、実際にはケニア陸連はワイナイナを選んだ。
ジェンガは、「ワイナイナさんに勝てば僕にもチャンスがある」と、ワイナイナが出場するレースを選んで出て、大差で勝ったのだ。しかも優勝である。それでも選ばれないとなれば、どうすればいいのか。
暑さに強いとか、五輪本番で実績があるから、などという理由でワイナイナが選ばれるなら、ジェンガには最初からチャンスがなかったことになる。
もしかすると、日本陸連の幹部たちは、このケニア陸連の理不尽な選考を外から見ることによって、過去に自分たちが犯してきた過ちを多少なりとも反省できたのかもしれない。


●今後の選考方法

最後に、今後、同じような過ちを繰り返さぬよう、次の選考を始める前にいくつもの選考ルール改正案を出し、早めに合理的で公正な(「期待できる」などという感情が入り込む余地のない)方法を決めるべきだということを強く訴えたい。選手たちが勝負以外のことで振り回されるのは、見ているほうにとっても大変なストレスになる。
改正のポイントはいくつかある。

◆世界陸上最上位メダリストは決定、という条項を据え続けるなら、残りの選考レースは2つ以下に絞るべき

違うレースの結果を公正に比較することなどできるはずがない。比較しなくても自動的に決定するような方法にするには、3レース以上あってはいけない。

◆実績による例外は認めないと覚悟を決める

今回、Qちゃんは他の選手よりかなり有利な条件で選考レースに臨めたはずだが、チャンスを2回続けて自分の責任で失った。それでも世論が「Qちゃんを出せ」という方向に傾くのは、彼女を例外であるとにおわせたことに原因がある。早い時点で「スポーツに関することはすべて勝負で決まる。例外はない」と明言しておくことで、不必要な雑音をシャットアウトすべき。

◆それができないなら、早めにシード選手を指名する

例えば、アテネで誰かがずば抜けた力を見せつけて優勝したとしよう。その選手がその後も連勝し、第2のQちゃん的存在になったとする。その選手だけはどうしても次のオリンピック代表に送り込みたいと思うのであれば、やはり早い時点で「この選手はすでに内定である」と明示するべき。何度も続けてレースができないマラソンという競技の特殊性を考えれば、そうした例外枠も許されるかもしれない。他の選手は余計な計算をせず、残り枠の奪取に専念できる。

◆無理を承知で、あらゆる条件、成績を数値化し、ポイント制で争わせる

複数レースを選考会に指定するのであれば、レースの気象条件、優勝タイム、1~10位までの平均タイム、出場選手のランキング総合ポイント、1位と2位の差などを機械的にポイント化するルールをさだめ、獲得ポイントで決定する。
もちろん、単純にタイムをポイント化するようなルールでは駄目なことは言うまでもない。また、複数レースに出た選手は平均値ではなく高い得点を得たほうを採用する。
結果はコンピュータがはじき出す。ジャンプの飛形点や採点競技のように、人間が入り込む余地を与えない。
この方法には相当な困難を伴うとは思うが、明確なルール化ができるなら、海外レースなども評価レースの対象とし、多くの選手が自分の好きなレースで力を発揮できるようになるというメリットがある。
今回のアテネのように、猛暑が予想され、アップダウンの激しいコースであるなら、似た条件のレース(夏のマラソンや難コースの大会)にはボーナスポイントが加算されるような方法にしてもよいだろう。
困難だろうが、それこそ小出監督が言う「専門家のみなさん」なら、データ処理の細かな知恵も出せるのではないか。

以上、非常に長くなったが、思い入れの強いジャンルなので、僭越を承知で書いてみた。
とにかく、人間は失敗をするのだから、いつまでもあれこれ騒いでいてもつまらない。全体として、今回の選考結果は今までに比べればかなりまともであると思う。あとは、平凡な一陸上ファンになって、これだけ大変な選考を通った選手たちを、無心に応援したい。





  目次へデジタルストレス王・目次へ     次のコラムへ次のコラムへ

新・狛犬学
★タヌパック音楽館は、こちら
タヌパックブックス
★狛犬ネットは、こちら
     目次へ戻る(takuki.com のHOMEへ)


これを読まずに死ねるか? 小説、電脳、その他もろもろ。鐸木能光の本の紹介・ご購入はこちら    タヌパックのCD購入はこちら