たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2004年4月23日執筆  2004年4月27日掲載

石の浪漫

久しぶりに狛研(日本参道狛犬研究会)の例会に行ってきた。
狛研例会は隔月、池袋で行われていて、毎回、30人くらい集まる。今回はなんと、狛研会員の石工さん二人(三代目石定こと江戸石工の生き証人・森田定治さんと、燃える闘魂岡崎石工・綱川誠志郎さん)が実際に石材と鑿や玄翁などの道具を会場(池袋の勤労福祉会館会議室)に持ち込み、会員の前で「石を彫る」実演をし、さらには会員に道具を持たせて石を削らせてくれるという特別趣向。
会議室に石材を持ち込んで、夜も更けてからトンチンカントンチンカン、ガチンガチン、ドカンドカンと、ものすごい音をたてて石を削る。見ている我々は、いつ会館の係員が血相変えて飛び込んでくるかと気が気ではなかった。

僕も道具を持ち、石を削らせてもらった。理屈では分かっていても、実際に石を叩いてみると、その難しさは想像以上だと体感できる。石がどう砕けるか、削れるか、割れるか、予測がつかない。その連続の末に、狛犬が彫り上がるのだと思うと、気が遠くなる。
僕がこのところすっかりはまっている小林和平などは、子獅子の閉じた口の中の歯の一本一本までも、細かくていねいに彫っている。一体どんな技術で、どれだけの時間をかけて彫り上げたのか。
彫塑などとは違って、石を彫るという作業には一瞬の失敗も許されない。また、木彫のように素材が柔らかくないから、細かな細工をしようと思ったらとてつもない手間と忍耐を要求される。大体、材料が重すぎるもんねえ。

石定さんに、石工の符丁をいくつか教えてもらった。
石屋のことは「モクヤ」というそうだ。もしかして、石が木(モク)のように柔らかければよかったのに、という思いから発生した隠語なのかしら、などと勝手に想像してしまった。

狛研では今、石定さんと綱川さんに依頼して、都内の神社に狛犬を奉納することを計画している。すでに奉納先の神社も決まっていて、使う石も購入済み。僕も一口出資しているので、この狛犬の台座に奉納者として名前が刻まれるはずである。完全な他力本願だけど、石に自分の名前が刻まれるのはなんだか浪漫があっていい。僕の死後、何十年も経って、狛犬の台座に僕の名前を見つけた誰かが「あれ? この鐸木能光って、komainu.netの創始者じゃない?」なんて気づいてくれたりして(え? おまえの死後何十年もkomainu.netは続いているのか、って? いや、きっと後継者がいるはず!)。

石には浪漫がある。
先日、小林和平の墓参りをしてきた。生家(福島県石川郡石川町)の近くにある小さなお寺の墓地。墓石の裏側には、和平の生涯を紹介した文章が彫られている。

小林和平悟三郎ノ次男幼ニシテ石工タラント志シ淺川町富貴作小松寅吉ノ徒弟ト為リ具ニ辛酸ヲ嘗メ技術ヲ研鑚スルコト多年業卒エテ帰家スルヤ現在ノ地字小金石ニ一家ヲ創建ス

(中略)
氏ハ名工寅吉ノ藝風ヲ継承シ其ノ技神ニ達シ其ノ藝薀ヲ極ム特ニ狛犬唐獅子等ノ藝ニ至ッテハ近隣之ニ比肩スル者ナク名声噴々タリ

(中略)
人生倏忽ノ間ニ去ルト雖モ藝術ハ永ヘニ其ノ生命ヲ保チ之ヲ仰グ者ヲシテ粛然襟ヲ正シウセシム氏ノ作品ヲ観テ惟ニ此ノ感ヲ深ウスルノミ
坂本重治撰書


狛犬に惚れ込み、ついには作者の墓まで訪ねたという経験は初めてだ。
和平の師匠である小松寅吉布孝(のぶたか)という石工もまた大変な技術と情熱を持っていた。さらにその師匠・小松利平は、藩の財政難救済のために石工を育てたことで有名な高遠藩の石工だったらしい。高遠藩は、地方に出稼ぎに行かせた石工たちから上納金のようなものを納めさせていたそうだが、中には脱藩して地方に住み着く石工も出てきた。利平はそんな脱藩組高遠石工のひとりだったらしい。
そのためか、利平の名を刻んだ石造物はまだ見つかっていない。
しかし、これは利平が刻んだのではないかと思えるような作品はいくつかある。
和平の墓のすぐそばにある神社には、天保14年と刻まれた「波乗り兎」の石像がある。慶應元年奉納の狛犬の前にきちんと一対建てられているのだが、その技術の高さ、兎の表情、体形から伝わってくる情感に感嘆した。僕は勝手に、この兎こそ利平の作品ではないかと想像している。

江戸時代天保年間、故郷を捨てて東北の山村に身を潜めた石工がいた。彼には自分の名前を作品に刻めない事情があった。
その弟子・寅吉は、師匠の気持ちを晴らすかのように、師匠の死後は、彫る作品すべてに自分の名前と生家のある小さな村の名前を誇らしげに刻んだ。そして「奥州一の名工」と呼ばれるまでになる。
その寅吉の住む村の近隣で、農家の次男坊として生まれた少年がいた。寅吉に弟子入りし、苦労の末に、師をも超える作品を彫るまでに成長した。
……う~~ん、なんという浪漫。大河ドラマだなあ。

浪漫が消えてしまった現代、二人の石工さんが手彫りの狛犬を造る。まだ生まれていないその狛犬は、僕が死んだ後もずっと神社の片隅に鎮座し続けていることだろう。その石の浪漫の片隅にぶらさがれるなんて、なんと幸せなことか。
それだけでもありがたいのに、ぐうたらな僕らのために、わざわざ重い石と道具を持参して特別教室を開いてくれたこの二人の石工さんに、改めて感謝。

狛研での石体験
●石を持ち込んで「石工教室」を実演してくれたお二人
左が綱川誠志郎さん、右が石定こと森田定治さん

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