たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2004年7月9日執筆  2004年7月6日掲載

草の根通信と松下竜一さんのこと

このところ、お世話になった先輩作家が立て続けに亡くなり、ショックを受けている。
松下竜一さんと永井明さん。
特に、永井さんの死は、今なお信じられない。8日に火葬場でお送りしてきたが、あまりに急なことで、気持ちがまだ整理できない。先週までAICに書いておられたのに……なぜ?

永井さんのことを書くには、どうしてももう少し時間が必要だ。
もうひとりの先輩、松下竜一さんのことを書く。今、どうしても書いておきたいと思うから。

実は、松下さんが亡くなったことを僕はしばらく知らないでいた。亡くなられたのは先月の17日未明だそうだ。
僕は24日まで気づかなかった。友人からのメールで「松下さん、亡くなられたんですね」とあったので、驚いてネットで検索し、知ったという次第だった。お世話になった大先輩作家に対して、ずいぶんな非礼であると恥じ入っている。

松下さんといえば「草の根通信」。
同紙の読者の紹介で、僕は「草の根通信」に95年7月号から98年11月号まで『タヌパック通信』というエッセイを書いていた。そのすべては僕のサイトに置いてある
原稿料ゼロ円(執筆者は全員同じ条件)で3年と4か月書き続けたのだが、最後は、我が家の家庭基盤崩壊があり、「とても書ける状態ではなくなりました」という手紙を出して、連載を終わらせていただいた。
バリバリの?ビンボー作家である松下さんの目には、なんと軟弱なやつだと映ったことだろう。

恥ずかしながら、この連載を引き受けることになるまで、僕は作家・松下竜一も、草の根通信の存在も知らなかった。書き始めてから徐々に、すごい硬派作家なのだなあ、とか、読者もみんな筋金入りなのだなあ、などと知っていった。
かなり堅いことを書いても、僕の文章は草の根通信の中では柔らかいものに属していた。(いちばん軟らかいのは、松下さんの文章だったけれど)
今思えば、怖いもの知らずで書いていたような気がする。

一度だけ、大分県中津市のご自宅を訪ねたことがある。
お袋が突然、大分在住の古楽器製作者に会いに行くというので、その運転手として同行したときのことだ。大分にまで行ったら松下センセ(松下さんはご自分のことをこう呼んでいて、周囲の人たちも「先生」ではなく、親しみを込めて「センセ」と呼んでいた)に会わないわけにはいかないだろうと、図々しくも押しかけたのだ。

評判通りのボロ家(すみません! でも、家全体が傾いて、その歪みに合わせて窓を平行四辺形に組み替えたまま15年以上経つ我が家といい勝負です)、5匹の犬、美しい年下の奥様……。
いつも午後は犬たちと河原を散歩するのが日課だと知っていたので、その散歩にも同行させていただいた。
川の土手までくると、犬たちの縄を一斉に解いてやる。犬たちはそれぞれ勝手に走り出し、川の中に入ってばしゃばしゃやったり、土手で追いかけっこしたり、本当に楽しそうにしていた。
河原にケロッピ?のビニールシートを広げ、そこに奥様と一緒に座って犬たちをニコニコ見守る松下センセ。
毎日変わることのない松下家のこの「行事」が、なんだかすごく崇高なものに見えた。

松下センセは、ビンボーをトレードマークにして、一種あっけらかんと生きていらっしゃった。草の根通信の連載エッセイも、本になったときは『底ぬけビンボー暮らし』というタイトルだった。もちろんそれは、編集者が、嫌がるセンセを説き伏せて無理矢理つけてしまったタイトルなのだけれど、それもこれも全部受け入れてしまうセンセの生き様は、やはり凡人には真似ができない。

本が売れない現代では、作家を取り巻く経済環境はどんどん厳しくなっていて、今では娯楽小説を専門にしている作家でさえ、小説だけで食っていける人はあまりいない。みんな副業を抱えながらなんとか生き延びている。
松下センセは最後までそうした器用な生き方を拒否していた。文章で食えないなら仕方がない。死なない程度にビンボー暮らしに慣れてしまえばいいという生き方。
これは僕には到底真似できなかった。いや、もちろん真似したいということではない(真似しなくて済むならそれにこしたことはない)。
ただ、経済的に追い込まれたとき、どう切り抜けるかで、作家の品性のようなものが問われるということは、いつも考えていた。

食えない作家はどう生きるべきか?
松下センセが僕に突きつけたテーマは、まさにそれだった。もちろん、センセにはそんなつもりはさらさらなかっただろうが、センセの生き方を見ている人間は、否応なく、自分の姿との違いを意識させられてしまうのだ。
1)書くものの内容を、外部からの要求に合わせて需要を増やす
2)書く内容を媚びないために、とりあえず他の食い扶持を探す
3)作家という職業を諦める
松下センセは、そのどれもを拒否していた。

実際にお会いして話していた時間は短かったが、その中でひとつ印象に残っているのは、センセにこのことをストレートにぶつけて訊いたときのことだ。
「いやぁ、私は周りからそういう風にうまく祭り上げられているだけですよ」
清貧作家とか環境保護運動の闘士といったイメージは、自分自身では意識したことは一度もない。周囲が勝手に押しつけたものだ。でも、そういう役割を果たす人間が必要なのであれば、環境保護運動の闘士に祭り上げられたり、清貧作家というレッテルを貼られたりすることに、無理に逆らうこともない。
そんなようなことを、笑顔で、淡々とおっしゃっていた。

たった一度だけだったが、松下センセの生の声に接し、センセの人間像の一端をかいま見られたことは、僕にとって大きな宝になっている。
金を得ることと表現すること。この二つがかみ合わないとき、どう対処すべきか。
僕にとっては、死ぬまで答えが得られない、難しい宿題になっている。

<<追記>>
このコラムがAICに掲載された後、読者のかたからお便りをいただいた。
ご本人の承諾を得たので、ここに掲載させていただく。

鐸木能光様

はじめまして。

AICのコラムに松下竜一さんのことを書いていらっしゃるのを拝見してメールを差し上げております。

父は毎日新聞の元地方記者で、一時は通信員として中津におりました。私は、事務所と住居が一緒になった通信部の社宅から中学、高校へ通いましたが、しばしば松下さんが事務所に訪ねてきては、父となんだか話し込んでいったのを覚えております。

当時は、「松下センセ」がどんな方かもよく知らず、時々豆腐を持って現われる気さくなお豆腐屋さんぐらいに思っていました。彼のお豆腐は本当に美味しくて、廃業を聞いた時は両親とも残念がっていました。廃業後、たまに豆腐を作って持ってきてくれたこともありましたが、そのうち忙しくなったのか、事務所に現われる回数もだんだんと少なくなっていきました。思えば、環境保護運動のほうがどんどんと忙しくなっていった時期だったのですね。

昔、豊前には、本当に綺麗な海水浴場がありました。中津からもバスで友人達と気軽に泳ぎに行きました。遠浅で、沖合いまでザブザブと歩いてゆくと、膝下には、小さな魚が群れるように集まってきたものです。

火力発電所の直接的な影響はわかりませんが、ある夏いつものように友達を誘って行くと、海の水がひどく濁っていて、以前の海を知る私達は泳ぐ気になれず、その日は、防波堤でぼんやりと1日を過ごしました。

当時、「環境保護」という概念は、地元でも十分理解されていなかったのではないかと思います。高度成長の時期、電力の需要は無限に広がっていくような妄想に誰もが取り付かれていて、電気なくして何が出来ると、地元の識者と呼ばれる方でも運動に疑問を持っていたようでした。

そんな中、松下さんが、周りの理解が得られない、あるいは反対されても守りたかったものは一体なんだったのでしょうか?それは、「環境」ではなく、人間の「尊厳」だったのではないかと思えてなりません。誰にでも、職業、地位とはかかわりなく、胸をはって生きる権利があるということを彼は言いたかったのではないでしょうか?その尊厳を奪うものが環境で、一番弱い人間に一番つらい影響を与えることを、彼は肌で知っていたのだと思います。

「豆腐屋の四季」が上梓された時、彼は署名入りの本を一冊父に贈っています。署名の横には、「記者であることを離れて私と親友でいてください」(うろ覚えですが)と書かれてあり、貧乏であろうと、硬派と言われようと、彼が一番大切に思っていたことを垣間見たような気がしました。

高校卒業後は、中津を離れてしまい、彼の姿を次に見たのはドラマの中のことでした。訃報に接して、なつかしい人を失なったという喪失感とともに、鬼籍に入った父と一体どんな話をしているのか、昔のように「天国の環境問題」を熱く論じ合っているのではないか、という安堵感も覚えました。

「天国でも親友だよ」という父の声が聞こえた気がします。

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松下さんと交流があったというだけで、ついメールを差し上げてしまい無礼をお許しください。なんだか胸のつっかいが取れた気がします。

鐸木様の今後の文壇での活躍をお祈りしています。

佐野照章 (香港在住)

松下先生と奥様、愛犬たち
●写真 河原の散歩に同行させていただいたときに撮影(96年夏)


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