たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2004年8月27日執筆  2004年8月31日掲載

世界の国からこんにちは

予想が正確だとも外れることで有名だともいわれているアメリカのSports Illustrated誌は、今回のアテネオリンピック前に、日本代表の獲得メダル数を、金7個、銀13個、銅4個の合計24個と予想した。
前回のシドニー大会では合計18個(国別では14位)だから、24個は大躍進なのだが、なんとなんと、ふたを開けてみれば、金メダルの数だけでその倍以上という、日本人でさえ予想もしていなかったメダルラッシュ。すばらしい大誤算!
野口みずき選手の女子マラソン優勝は「ありえないこと」ではなかったけれど、柴田亜衣選手の競泳自由形800m優勝なんて、一体誰が予想しただろう。本当にびっくりの連続だ。

日本代表選手の活躍ぶりには本当に涙が出るほど感動させられたが、いまひとつ手放しのお祭り騒ぎ気分になれないのは、毎度毎度の誤審騒動、ドーピング疑惑、愛国心の暴走によるマナー違反のブーイングなどのせい。
この違和感はなんだろうと思っているうちに、ふっと昔のシーンをふたつ思い出した。

ひとつは、テレビ雑誌の仕事で、故・三波春夫さんのインタビューをしたときのことだ。
楽屋にお邪魔してお話を伺ったのだが、ちょうど、つくばの科学万博の年で、大阪万博のときのように自分の歌うテーマソングが採用されなかったことについて、かなり落胆されていたようだった。
「ポップスもいいですけれど、全国民が口ずさめるメロディーの歌こそテーマソングにふさわしいんです」
というようなことをさかんに力説されていた。
翌日、自宅の留守電に三波さんからメッセージが吹き込まれていた。
「昨日はいろいろありがとう。あなたが息子の豊和と同い年ということもあってか、なんだか他人のような気がしなくてねえ。こうして電話してみたんだけれど……」
というようなことが吹き込まれていて、驚いた。

『世界の国からこんにちは』(作詞:島田陽子、作曲:中村八大)は名曲である。
東京オリンピックのときの『東京五輪音頭』(作詞:宮田隆、作曲:古賀政男)も記憶に残る歌だが、あの「こんにちは こんにちは」ではじまる歌は、万博のテーマソングではあっても、そのままオリンピック精神を表しているように思える。
そうか、今のオリンピックに欠けているのは、この「世界の国からこんにちは」の心なんだなと気づいたわけだ。

もうひとつ甦った記憶は、東京オリンピックのときのもの。
東京オリンピックのとき、僕は9歳だった。
円谷選手がヒートリー選手に競技場内で抜かされるシーンは今でも覚えている。
しかし、生で見た競技は1種目もない。
オリンピックが始まる直前に、お袋に連れられて代々木の選手村前に行った。たしか「競技は生で見られなくても、せめてオリンピックの雰囲気を生で感じましょう」ということだったと思う。
選手村の出入り口付近には、多くの日本人が集まってきていて、出入りする選手たちを見ていた。知っている選手などを見つけると、サイン帳を手に駆け寄ってサインをせがんでいる若い女性たちもいた。
しばらくそれを見守っているうちに、お袋が「よっちゃん(すんまへん。ガキの頃はそう呼ばれてました)はいいの? 紙とペンならここにあるわよ」と、ハンドバッグから小さなノートとボールペンを取り出して僕に渡した。
しかし、シャイなよっちゃんは、知らない人に声をかけるなんてことは絶対にできない。身動きもせず、大柄な外国選手たちを離れたところから見ているだけだった。
お袋が業を煮やして「いいの? もう帰るわよ」と言った直後、僕は意を決して、選手村から出てきた背の高い黒人選手に走り寄り、黙ってノートとペンを差し出していた。
もちろん彼がどこの誰かは分からない。選手かどうかも分からない(付き添いの役員かもしれないし)
その黒人選手は、英語(だと思う)で何か喋りながら、ノートに名前の他に何かいろいろ書いてくれた。
家に帰ってからよく見ると、Jamaica という文字と、200m という文字が読めた。ジャマイカの選手で、陸上の200メートルに出場するのだろう。言葉が通じない異国の子供に向かって、彼は彼なりに「俺は200メートルに出るから、見つけたら応援してくれよ」と説明していたに違いない。
お袋と一緒に、200メートルの予選をテレビで見守ったが、確か二次予選あたりで敗退したように記憶している。いや、正直なところよく分からない。黒人選手はたくさんいて、どれが彼か、確実に見分けられた自信もなかった。

後になってからお袋が不思議そうに訊いた。
「あのとき、なぜよっちゃんはあの黒人選手のところに走っていったの? 他にいっぱい選手がいたのに」
……う~む、なぜだろう。
多分、他の選手たちより顔が優しそうだったからだと思う。
あのときの僕にとっては、その選手がどこの国の選手かなんてことはどうでもよかった。姿を見て、一瞬のうちになにか親しみを感じたから、勇気を出して駆け寄り、サインしてもらっただけだ。そして、それを縁として、彼を応援する気持ちが芽生えた。
「世界の国からこんにちは」というのは、まさにこういうことなのではないだろうか。

あたりまえのことだが、日本代表選手が活躍するのは無条件に嬉しいし、日の丸が揚がる光景を見て、表彰されている選手と一緒に涙ぐんだりもする。
でも、「○○ジャパン」とか「△▽ニッポン」という連呼を耳にするたびに、少し違和感も感じる。べつにいいじゃん、そんなに日本日本と連呼しなくたって。オリンピックは「世界の国からこんにちは」なんだから……と思うのだ。

これもあたりまえのことだが、日本人というだけでその選手を贔屓にできるわけではない。画面を見ているだけではもちろんその人の人間性までは正確には分からないが、それでもなんとなく好きになれるタイプとそうではないタイプがいる。
最近では、オリンピックに出場するために国籍を簡単に変える選手も多い。国が、メダル獲得のために有力選手に好条件を提示して国籍変更させてしまう例もある。
選手個人にとっては、そういう手段ももちろんアリだと思う。でも、応援する側としては、複雑だ。
日本国籍を取って日本代表としてオリンピックに出場している選手はたくさんいる。もちろん、そういう選手は「日本の代表になってくれた」ということで応援する気持ちになる。
逆に、日本では競技レベルが高すぎて代表になれないから他の国の国籍を取ってオリンピックに出る選手がいたらどうなんだろう。例えば、女子マラソンとか柔道とか女子レスリングの一線級選手が、海外の国籍を取得してオリンピックで日本選手と戦うような場面があったとしたら……。
複雑な気持ちではあっても、そんな光景を見てみたい気も少しする。

日本国籍じゃなければ全然応援もしなければ関心も持てないというのは不自然だろう。
例えば、(しつこくむしかえしてしまうが)今年の東京国際マラソン(男子)では、日本での生活が10年になるワイナイナとジェンガという二人のケニア人ランナーがアテネ代表をかけて走った。
ジェンガは2時間6分台で世界歴代7位のベストタイムを持つスピードランナー。2002年のシカゴでは現世界最高記録保持者のテルガト(4位)に競り勝って2位(自己最高の2:06:16)、昨年のシカゴマラソンでも7分台で3位。
東京国際で、ジェンガは2:08:43で優勝。ワイナイナは2:11:03で8位惨敗。ところが、ケニア陸連は、2分20秒の大差をつけて勝ったジェンガではなく、「五輪の実績」でワイナイナをアテネの代表に選んだ。ジェンガの気持ちを考えると、とても「よその国のこと」として無関心ではいられない。
この原稿を書いている時点(27日夜)ではアテネの男子マラソンの結果はまだ分かっていないが、マラソン中継のとき、僕は出られなかったジェンガ選手や、あと少しで代表を逃した高岡寿成選手のことを思いながら観戦していることだろう。

スポーツはあくまでも個人がやるものだ。個人の努力の果てに結果がある。その努力が報われれば観ているほうも嬉しいし、理不尽な形で報われなかったら腹が立つし、悲しい。
僕たちは楽をして、ドラマの感動を共有させてもらっているだけだ。
もちろん、国や企業のバックアップがなければ、現代のスポーツ最前線では戦えないだろうけれど、やはり最後は選手個人の問題でしょ。「お国」のために走ったり飛んだり泳いだりしているんじゃないし、そうあってはならないと思う。
もっと素直に、「あの選手かっこいいなあ」「あの選手きれいだなあ」「あの選手、無心な感じで、なんかいいなあ」という感覚で、いろいろな国の選手を応援したほうが楽しいじゃないの。
だって、せっかく4年に1度の「世界の国からこんにちは」なんだから。
●イラスト Farewell, Goldfish No.2
(c) tanuki http://tanuki.tanu.net/


 目次へデジタルストレス王・目次へ     次のコラムへ次のコラムへ

新・狛犬学
★タヌパック音楽館は、こちら
タヌパックブックス
★狛犬ネットは、こちら
★本の紹介は、こちら
     目次へ戻る(takuki.com のHOMEへ)


これを読まずに死ねるか? 小説、電脳、その他もろもろ。鐸木能光の本の紹介・ご購入はこちら    タヌパックのCD購入はこちら