たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2002年4月6日執筆  2002年4月9日掲載

「経済」に殺された工業技術

ニュースでは未だに「経済成長率」というような言葉がさかんに使われるが、そもそも世の中に無限に成長するものなど存在しない。ビッグバン以来、宇宙は膨張し続けているというが、これはまあ、人間の想像を超えた次元の話だし、宇宙が膨張し続けているとしても、地球は膨張しているわけではない。
あらゆるものには「適正規模」というものがある。人間の身体だって、生まれて死ぬまで、延々と成長を続けていったら怖い。身長が2メートル、3メートル、体重が200キロ、300キロなんてことになったら、たちまち環境に適応できなくなり、滅亡するだろう。
経済活動だって同じことで、適度な規模を維持していくことこそ大切なはずなのに、なぜ未だに「無限成長」を前提にしたような報道の仕方をするのか、不思議でしょうがない。

人間の「物」に対する欲求においては、量よりは質が問題になる。50円のまずいチョコレートを100個食うより、5000円の、この世のものとは思えないほどおいしいチョコレート1個を食したほうが満足度は高いはずだ。とてつもなくうまいチョコレートを食べたという記憶は、一生の宝になる。
しかし、経済においては、そうした「質」に対する満足度が数字に表れにくい。
どんなに顧客が満足しても、メーカーや販売者の儲けにつながらなければ、技術や品質は切り捨てられてしまうということを、以前「究極の耳かき」でも書いた。

「究極の耳かき」は寓話のようなものだが、今回は、工業技術としての実例を挙げてみよう。
かつて、自動車業界では「4WS(4 wheel steering=四輪操舵)」という技術が開発され、実際、これを装備した自動車が売られていた。
4WSというのは、前輪だけでなく、後輪も操舵する仕組みだ。普通の自動車は、後輪は車体に対してまっすぐ固定されており、前輪だけで操舵している。しかし、前輪と同時に後輪も操舵してやれば、大きな車でも小回りが利き、高速走行では安定したレーンチェンジが可能になる。

後輪の操舵には「同位相」と「逆位相」の二種類がある。低速走行できついカーブを曲がるときなどは逆位相にして、前輪とは反対側にタイヤを操舵することで、小回りが可能になる。
(前輪が / / なら、後輪は \ \
曲がろうとした側に車がはみ出して、通行人や路肩にぶつかってしまう「内輪差」の現象も、逆位相の操舵によってかなり解消できる。
一方、高速道路などでレーンチェンジをするときは、後輪が逆位相に切れると急激にカーブを切りすぎて危険になる。反対に、後輪が前輪と同じ方向に切れることで、車体がぶれることなく、一種平行移動のような感覚でレーンチェンジができる。
(前輪が / / なら、後輪も同じ / / )。

四輪操舵の技術は、この逆位相と同位相の切り替えをどうするかが難しい。
ホンダは、「機械式(メカニカル)4WS」といって、車の速度には関係なく、ステアリングの切り始めでは同位相になり、ある角度を超えると逆位相になるというシステムを開発した。鋭いコーナーを曲がるときでも、ステアリングの切り始めは一旦同位相になるので、多少の不自然さが残った。
トヨタとマツダは、コンピュータ制御でこの問題を解決した。およそ時速35キロを境にして、それ以下の速度なら逆位相、それ以上の速度なら同位相に切り替える方式だ。
日産や三菱は、当初は逆位相を捨てて、同位相のみの四輪操舵を開発し、高速走行時の安定性を目指した。

僕はマツダの4WS車とトヨタの4WS車を乗り継いだ(合計15年以上)ので、このシステムの素晴らしさはよく知っている。狭い屈曲路が多い日本では、特に逆位相の4WSは極めて有効だ。一度この味を知ってしまうと、普通のステアリングの車には戻れないと感じるほどのものだった。
13年乗り続けたトヨタのセリカは、全長4420ミリに対して、最小回転半径はわずか4.7メートルだった。最小回転半径4.7メートルという乗用車は、現在、普通乗用車ではほとんど見あたらない。軽自動車だって、もっと大きな回転半径のものがある。
普通なら2回くらい切り返さないとUターンできないような幅の道を、一発でUターンできる。フェリーに乗ったときなどは、狭い船内を切り返さずに曲がっていく我が4WS付きのセリカを見て、誘導係が驚いていた。

しかし、現在、4WSシステムを搭載しているのは、一部のバスや自衛隊御用達の特殊車両くらいのもので、乗用車からはほとんど消えてしまった。(2002年現在、わずかに日産ステージアの一部グレードに残っている程度ではなかろうか)
消えてしまったのは、駄目な技術だったからではない。そのよさが認知されなかったからだ。
4WSの価格は、当時でプラス20万円程度だったと記憶している。今ならカーナビをつけるくらいの増額だろう。4WSの素晴らしさを知っている僕としては、4WS付きのモデルが用意されていれば、たとえ50万円、いや、100万円の増額になったとしても、必ず4WS付きを選ぶだろう。

完成した素晴らしい技術でありながら、人に知られず、ひっそり消えていった4WS。NHKの人気番組「プロジェクトX』の逆バージョン(消された功績・悲運の技術者編)があったら、まっ先に取り上げてほしいものだ。

もう一つ、世に出ることさえなかった技術として「シートCD」の例を挙げたい。
ただ、これはある独立系CD工場(音楽産業などに所属していないCD工場)の営業担当者から聞いた話なので、噂のレベルに留まっていることを最初にお断りしておきたい。

世界中で、レコードからCDへの切り替えが急速に進んでいた1980年代末、レコードに対するソノシートのように、薄い樹脂のディスクを使ったシートCDというものがすでに開発されていたらしい。
シートCDは、フォーマットがオーディオCDと同じなので、普通のCDプレイヤーで再生できる。薄いので、製造コストは安く、書籍などに織り込んで配布できるという長所がある。今でこそCD-ROM付属の雑誌は珍しくないが、当時はCDを雑誌や書籍に付属させることはとてもやっかいなことだった。
僕の小説家としてのデビュー作は、「小説すばる新人賞」を受賞した『マリアの父親』(集英社)だと思われているが、実はそれより2年前にマガジンハウスから出した『プラネタリウムの空』という8センチ音楽CD付属のハードカバー単行本である。
「小説のBGMがCDで付属した新しい形のマルチメディアエンターテインメント」などというふれこみで売り込んだのだが、ちょうどその頃、CDへの切り替えが間に合わず、国内のCD工場に空きがなくて、付属CDのプレスに半年以上待たされている間に、「CDブック」そのものの話題性が薄れてしまって失敗した。

それはともかく、CD工場の担当者の話では、シートCDは、当時すでに実用化段階に入っていた技術だった。しかし、いつまで経っても発表されなかったのは、音楽ソフト業界の猛反対があったかららしい。
デジタル時代を迎え、マスター音源と同じ品質でのコピーが誰でもできるようになった。特にDATの出現は音楽産業にとっては脅威で、そんなときに、シートCDなどという安価な録音メディアが出てきたら、この先一体どうなることか……ということだったようだ。
数千円で売っているCDと同等のものが、安価な価格で製造され、雑誌などに簡単に「オマケ」として添付されるようになったら、CDの商品価値が下がると考えたのだろう。
もちろん、薄い樹脂で作るシートCDには、読みとりエラーなど、技術的な問題もあっただろうが、それよりもやはり、音楽業界の反対が大きかったのだと思う。

結局、デジタル化への流れは止めようもなく、業界の懸念は、MP3などの圧縮データファイル形式での音楽配布とネットを通じた違法コピー問題へと移っていった。CDやCD-ROMのコストもどんどん下がり、今では雑誌へのCD-ROM添付は当たり前になってしまったので、特にシートCDの意味もなくなったと言える。

シートCDが幻のオーディオメディアとして葬り去られた背景は、4WSとはまったく別の理由によるものだ。多分、音楽業界が反対するほどのこともなかった。自動車と違って、オーディオメディアは中身(ソフト)があって初めて成り立つものだからだ。どんなにデジタル技術が発達して便利になっても、ソフト面がお粗末なら魅力的な商品にはなりえない。

現在でも、デジタルオーディオのフォーマットとしては最高峰の一角に位置するDAT(サンプリングレートはオーディオCDの44kHzを上回る48kHz)も、音楽業界が心配するほどには売れなかった。今では、DATを製造しているメーカーは数えるほどしかない。DATで聴きたいと思うほどの音楽がないのも一因だろうが、まあ、この話はまた別のテーマになってくるので今回はやめておこう。

世の中には、我々にこの上ない満足感や便利さを提供するものでありながら、「経済」的理由からわざと破棄されている技術がある。
4WSは、自動車メーカーにとって「おいしい」技術ではなかった。運転者にとっては大変な価値があるのだが、多くのユーザーがその価値に気づかない。だったら、やめてしまったほうが、製造者にとっては、無駄なコストがかからなくていい。
録音メディアの質は、技術とは違う要素で決定されている。恐らく、現在主流になりつつあるMDにしても、同じ大きさ、コストで、非圧縮のまま録音できる技術はすでにあるはずだが、わざと今の圧縮フォーマットを守っている。CDより一段階劣った音質にしておくことで、音楽産業との平和共存を目指しているのだろう。

つまり、現代では技術によって人間の側が試されている。利用する人間の「質」が上がらない限り、工業技術の進歩は、かつてのような劇的な意味を持たないだろう。
琴平神社の狛犬

●日本一眉毛がキュートな狛犬 
(群馬県鬼石町・琴平神社 明治35年建立)
 写真撮影:鐸木能光







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