今年のコラムはこれが最後。と同時に、asahi.comのオモテ?から読めるのもこれが最後。なんとなく一旦お別れ気分である。
最後の話題としてふさわしいかどうか分からないが、クローンネコの話題を取り上げてみる。
アメリカで、死んだペットのネコの遺伝子情報を忠実に再現したクローンネコが誕生したというニュースが流れたが、あれは本当なのだろうか。
クローンネコ、クローンペット動物については、
すでに以前から情報が流れていた。
最初に話題になったときは、クローンネコが元ネコ?と毛色が違ってしまったということが問題にされた。それってほんとにクローンなのか? という声があちこちから上がったらしい。その結果、体毛の色がさまざまである動物(ペットのイヌとかネコはそうですね)に関しては、体毛はDNS情報だけで決まるわけではないとかなんとか、いろんな説明が出てきた。
クローンペット動物を作ると宣言したベンチャー企業は、成功する前から、将来クローンが作れるようになるまで遺伝子を保管しておくビジネスというのも始めていたそうだ。ビジネスってやつはなんでもありなんだなあ。
今回のクローンネコが「本当の意味でのクローン」なのかどうかという議論には参加する気はない。でも、仮にDNA情報が100パーセント同じ「本物」だとして、世の中にどれくらい「ポチと同じポチ」「タマと同じタマ」を望む飼い主がいるんだろうか。
……まあ、いるんだろうなあ。
で、当然次は、死んだ息子と同じ息子を望むようになり、最後は自分と同じ自分をこの世に残したいというテーマにつながっていく。(そういえば、つい先日そういう小説をここでも掲載しましたっけね)
……とここまで書いて、
前にもこんなことを書いていたような……と気づいた。
2年前の年末にも、AICでやっぱりクローンのことを書いていたのだ。
2年経って、僕自身はますます、肉体だけで生命活動を語る唯物論的な思考からは離れてきた。「霊魂」という言葉はちょっとおどろおどろしいが、やはりそういう目に見えない「何か」を思わずにはいられない。
霊肉二元論とはちょっと違うが、だいぶ前から、「進化論vs創造論」という図式でも、さまざまな論争が起きている。Googleで「創造論 進化論」というキーワードで検索すると、たくさんの「論争サイト」が出てくる。
人間は最初から人間だった、決してサルから進化したのではない、というのが「創造論」の立場。宇宙の摂理は、それを「創造」した何者かの存在なしにはとうてい考えられないとする考え方だ。
中には、地球の歴史は億の単位ではなくせいぜい数万年である、と主張する人もいる。創造論者の個々の主張に関しては、かなり興味深く、一笑にふせないものもあると感じるが、聖書の記述と合致させるために無理な解釈をしているような部分は、あまり深入りしないようにしよっと、という気分にさせられる。
進化論については、「適応」という面での進化はあったに違いないと思う。でも、50歳にして、人間がサルから進化したと考えるのはかなり無理があると感じ始めている。
僕は特定の宗教に帰依してはいないが、この「世界」の秩序や構造が、人間なんぞには重いも及ばないような「何か」にコントロールされている、あるいは「何か」によって作りだされたものなのだろうという考え方が、歳を取るに従って「馴染んで」きた。
また、分からないことは分からないままでいいじゃないか、いや、分からなくてもしょうがないじゃないか、と思うようになった。一般に、科学的と思われている情報は、無理に説明しようとすればするほど嘘っぽくなる。
ブッシュの再選なんぞという現実を突きつけられると、進化論vs創造論という論争自体がひどく虚しくなってしまう。
また、ブッシュ再選を支えたのは、アメリカの保守層に染みこんでいる一種のキリスト教原理主義みたいなものだと分かってくるにつれ、こうした論争の限界を感じる。どんなに崇高そうなこと言っても、現実にはブッシュが大統領で、それに完全追随の首相をもつ国に住んでいるワタシ。
しかも、この国では毎日、あまりに乱暴すぎる殺人事件のニュースが流れ、しかもその大半が未解決なまま。現代人には、天地創造の神秘に思いをはせるだけの崇高な知性がもはや備わってないのではないか。
現代には哲学が存在する場所がない。
クローンネコ誕生を伝えるニュースが、意味なく横長なテレビ画面から伝えられる。
「……同時に倫理的な問題としても論争を呼びそうで……」
ニュース原稿も紋切り型で、なんの深みもない。
どーでもいいや。
そうなっちゃうでしょ、やっぱり。
でも、すべてに嫌気がさしたままでは楽しく生きていけませんのですよ。別に変に区切りをつけることはないけれど、新しい年、また小説も書き始めるつもりだし、面白いことを少しずつ探し出していくつもり。
まとまらないままの2004年。みなさま、どうぞよいお年を。