たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2005年2月18日執筆  2005年2月22日掲載

50歳の弱気

昨日から風邪が悪化して、じゅるじゅるぐじゃぐじゃ状態である。こういうときはどうしても弱気になってしまう。コエンザイムQ10も効きませぬ。
お袋から久しぶりに電話がかかってきた。いつものようにやたらと元気な声である。
最近は「まだ死ぬわけにいきませんからね」が口癖になっている。電話で話すたびに最後はその台詞を聞かされる。
昭和3(1928)年生まれだから、77歳。(「喜寿」の祝いというのをやらなければいけないのかな。それって、数え年でやるものなんですかね。だとすれば去年だったんだなぁ。)

昨年亡くなった松下竜一さんに、何年か前、一度だけお会いしたとき、お袋が同席していた。僕ら親子を前に、松下センセはニコニコ笑いながら「本当に陽と陰を見ているようですねえ」とおっしゃっていた。もちろんお袋が陽で僕が陰である。お袋のあの強さと元気が、なんで遺伝しなかったんだろう。ふうう。
ちなみにお袋の名前は能子(よしこ)である。僕とは1字違い。実父(故人)の名前は幹男(みきお)だが、まったく無視されている。
父親を差し置いて母親の名前からだけ1字もらって命名される子供というのは少ないのではないか。50年前、夫婦の間でどういう会話があって、初めての子供の名前に母親から1字つけることになったのか、知りたいような、知りたくないような……。

元気なお袋とは対照的に、僕は50を目前にすっかりしょぼくれている。身体はガタガタ。最近は特に目が弱っているのが痛い。
幼少のとき、鎌の刃先が左目に刺さって失明しかけたことがある。その後遺症なのか、傷跡の周辺が鈍感になっているらしくて、最近左目だけがよく痛む。眼科医の診断では、角膜に小さな傷ができやすいようだとのこと。何かの拍子にゴミや異物が入っても古傷のせいでそれを感知できず、かなりの傷になるまで気がつかないのではないかという。
それがなくても視力は落ちる一方。もともとの近視はどんどん進み、老眼も進み、今ではマイナス2.75から3.25まで3段階の眼鏡を用意して、用途別にかけ替えている。目薬も手放せなくなってきた。

あとひどいのは頭ですね。ぼけがひどくなって自分でも怖いわ。
記憶力は子供の頃から弱くて、いわゆる「暗記科目」というやつは全然ダメだった。大学受験のときは、覚える項目が少なそうだという理由だけで日本史を選び、最後は日本史だけを重点的に勉強したのだが、それでも覚えられなかった。
本番では、狩野元信──「四季花鳥図」、菱川師宣──「和国百女」、みたいな、作者と作品名を結ばせる問題が出たのだが、でたらめにやっても1つくらいは当たりそうなものを、見事に全問不正解だった。
二次試験の面接で「この(一次試験の)日本史の点数で、よくここにいるね」と言われた。一次試験合格者の中では、突出して日本史の点が悪かったらしい。(くたばれ暗記教育!)

そのもともと弱い記憶力が、歳のせいでさらに磨きがかかってきた。
小説を書いていて、登場人物の名前を忘れるなんてことは昔からあったが、それはまあ、誰にもばれないからいい。「登場人物一覧表」を作って、見ながら書けばいいんだしね。
困るのはやっぱり、目の前にいる人の名前が思い出せないとき。パーティ会場などで、ものすごく世話になっているかたに遭遇した場合などは本当に困る。
「ああ、どうもご無沙汰しております……」
会話しながら、必死に名前を思い出そうとする。そこに別の人物が現れ「あ、たくきさん。こちらのかた、ご紹介してくださいよ」なんて言ってくる。ったく、なんでこんなときにぃ! しかもその人の名前も……ああ!

忘れやすい名前というのがあるようで、「ああ、あの『殿下』って呼ばれていた刑事役の役者の名前……」とか「僕が新人賞もらったときにまっ先に推してくださった大阪の……」とか「シルベスター・スタローンに似ているシンガーソングライターの……」とか、今まで何度かみさんに訊いたことだろう。こう書いている今も、田辺聖子さん以外はまた忘れてしまった。別にあとの二人とは知己もないから忘れてもいいんだけど。

ベーシストでいうと、ジャコ・パストリアス、ブライアン・ブロンバーグ、エイブラハム・ラボリエル、ミラストフ・ヴィトウス……といった名前は忘れたことがないのだが、なぜかマーカス・ミラーとアンソニー・ジャクソンは何度も忘れてしまい「あの、野球帽とかかぶって体育会系っぽい黒人の、バスクラリネットもうまい……」とか、「ミシェル・ペトルチアーニのサポートでスティーブ・ガッドと一緒にやってたエレベの……」とか、これまた今まで何度繰り返したことだろう。(これを書くにあたって、アンソニー・ジャクソンはどうしても思い出せず、今CDを引っぱり出してきたところ)

風邪をひいている今は、薬を飲んだかどうかを忘れて難儀する。さっきも「あれ? 俺、今これ飲んだっけ?」と、パブロンの瓶を目の前にして、かみさんに訊いていた。
「見てないわよ。今の話でしょ」
「うん。飲んだとしたら今。瓶が出ているから飲んだのかなあ」
「それ、何錠入りって書いてある?」
「えーと、45錠入り」
「じゃあ、中身を全部出して数えてみたら」

そんなわけで、紙を広げてパブロンの瓶の中身を全部ぶちまけて数える羽目になった。
「……全部で31錠」
「昨日開けたのよね。昨日は3回飲んだでしょ。私が2錠飲んだから、11錠。朝飲んで14錠……じゃあ、飲んでないじゃない」
「ああ、やっぱ飲んでないのか。じゃあ飲むか」

……これじゃあ先が思いやられる。

あと、もともと涙腺が弱いのだが、最近では意味もなくやたらと涙が出てくるのも困る。人が死んでもまず泣かないのだが、高岡寿成が東京国際で優勝しちゃうと泣いてしまう。高岡で泣いてしまうくらいだから、弘山晴美がもし今度のヘルシンキ世界陸上の代表に選ばれたら、スタートに立っている姿を見ただけでボロボロ泣いてしまうに違いない。
かっこわるいったらありゃしない。

薬瓶を前に、たった今、それを開けて飲んだかどうかも分からない。しょっちゅう左目が痛んで涙が出てくるだけでもやっかいなのに、どうでもいいようなことで感極まってボロボロ涙を流す50歳。なんかもう、とても喜寿なんて迎えられそうにないと思いますね、これは。

…………あ、小野寺昭とビリー・ジョエルだ!

神楽坂・毘沙門天の虎
●ストロボをたいてはいけません!
(神楽坂・毘沙門天の虎 伝・嘉永元=1848年建立)



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