たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2005年7月8日執筆  2005年7月12日掲載

本物の森・偽物の森

先週に引き続き、森林の話を。
このところ、宮脇昭氏について大いに興味を抱き、著書を発注したり、WEB上にたくさん掲載されている対談記録を読んだりしている。
不覚にも、宮脇氏のことはつい最近まで知らなかった。日本だけでなく、アマゾンや中国にまで出かけていき、「宮脇方式」と呼ばれる方法で、数千万本の植林を手がけてきたという。

「宮脇方式」では、その土地の「自然植生」というものを重視する。
人間が手を加えなかった場合、自然にその土地に生えてきて生き残る植物種がある。それは何かを突きとめ、人間が植えたい木ではなく、土地が迎え入れる木を最初から植える。しかも、単一ではなく、複数の樹種を混ぜて植林する。
この方法だと、3年経って根がしっかりついた後は、人間が手を入れずとも、自然淘汰に任せたままで、立派な森林になるという。
これが宮脇氏のいう「本物の森」だ。

一方、建築材料(商品)にするために杉や檜ばかりを植えたような森は「偽物の森」だという。その土地本来の環境に合わないから、災害に弱く、土砂崩れなども起こしやすい。維持するためには人手もいる。
花が美しいから、などという理由で街路樹にハナミズキを植えるなどというのも愚の骨頂らしい。

宮脇氏の主張の中には、我々が信じていたいくつもの常識を覆されるものも含まれている。
例えば「森は人間が手を入れてやらなければ荒れる」という「常識」。宮脇氏に言わせれば、それは「偽物の森」についての話であり、自然植生に合っている森は、放ったらかしておいてよいらしい。

また、木は燃えやすいから、森林は火災に弱いと思っていたが、「本物の森」は火を止めるのだという。
横浜市の中田市長との対談では、こう語っている。

「関東大震災で陸軍省被服廠跡に4万人が逃げて、20分で3万8000人が死んだ。もう一つが、4kmほど下がった今の清澄公園に昔の樹林帯があって2万2000人が逃げた。そこでは、赤ちゃんが1人踏まれて死にましたが、みんな助かったんです。国会に所管されてる土木学会誌に出ています。いかに本物の森が環境保全の機能を持っているか分かります。
私が実際に阪神大震災で調べたときも、何百億円かけた高速道路も新幹線も鉄筋の建物も駄目だったんですけど、昔の人が知ってか知らずか植えた鎮守の森の木は、一本も倒れていない。そしてアラカシが一列あれば火はそこで止まっているんです。色々な施設が防災としてありますが、一番いいのは本物の木を植えることです」


宮脇氏は多くの著書を出しているが、『植物と人間―生物社会のバランス』(NHKブックス 109)は、1970年発刊で、現在は66版を超えているとか。しかも、35年前に出ているこの本の主張を、今も少しも変えていない。いや、言い方としては逆かもしれない。今でも、受け入れられるのが難しそうな主張を、35年以上前にすでに唱え、実践していた。これは本当に驚くべきことだ。

観光の目玉にもなっていたクロマツ林がマツクイムシにやられて枯れた越前加賀海岸国定公園での植樹例などは、まさに逆転の発想である。
マツクイムシの被害をいかに止めるか……と悩んでいた地元に対して、宮脇氏は平然とこう言ってのける。
「松ばかり植えているからマツクイムシの被害がなくならない。シイ、カシ、タブこそが本来、加賀市の海岸植生の主役だった。これらの木を植えればいい」
その主張が受け入れられ、加賀市では「ふるさとの森づくり植樹祭」をスタート。2006年度までに10万本を植えるという。植えるのは松ではない、宮脇氏の指導に従って、シイ、カシ、タブなどの「本物の森」を構成する樹種だ。

宮脇氏の活動でもうひとつ注目しているのは、政官財とうまくつき合い、根本を譲らないで、実を上げてきていることだ。
植林には当然、木を植えるべき土地がまずある。国有地であれ民有地であれ、勝手に木を植えるわけにはいかない。商業利用できる土地に「ただの森」を再生させることを、地主や国、役所が納得しなければならないし、そのための費用もどこかから捻出しなければならない。
植林のスポンサーには、電力会社や大手スーパーもいる。前述の、加賀市をはじめとする「ふるさとの森づくり植樹祭」のスポンサーはスーパージャスコで知られるイオングループだ。
広報誌に社長と文化人の対談をのせてイメージアップを図るようなことはどの企業でもやっているが、ちゃんと金を出し、こうした活動を実らせるところまでつき合う企業のトップもえらい。
もちろん、きれいごとだけでなく、こうした活動をしていく中で、表には出せない矛盾や苦悩がたくさんあるに違いないのだが、結果として、とにかく森が再生されている。
この実績を見る限り、宮脇氏は、研究者としての資質だけでなく、フィクサー?や事業者?としての能力も並みではないことがうかがい知れる。

森とのつきあい方はあまりにも深遠なテーマで、簡単にああだこうだと結論が出せるようなものではない。いいと思ってやったことが100年後に裏目に出ることもあるだろう。しかし、それだけに面白い。
いや、面白いなどという悠長なことは言っていられない、逼迫した大問題なのだが、どんな大きな問題も、最初の一歩は「興味を持つこと」「身近に感じること」だ。
僕も50代に入って、ようやく少しだけその心境に近づけた気がする。
「人間は森に寄生してしか生きていけない」とは宮脇氏の名言だが、これから死ぬまでの人生は、もっともっと森に「気持ちよく寄生」して生きたい。

●新緑を見つめる
(2005年6月4日 皆伐を免れた雑木林の前にて)


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