たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2005年9月23日執筆  2005年9月27日掲載

過疎地で生きる

昨年の10.23(じゅってんにいさん)中越地震で、十数年親しんだ越後の家を失った。
タヌパック越後は、震度7が襲った震災の中心地・川口町。そこの山奥にある田麦山・小高(こたか)という二十数戸の集落にあった。小高は、地震後、まっ先に集団移転を決めた集落として有名になった。
その後、町は小高地区のライフライン(こんな山奥でも、都市ガス、本下水、上水道が完備していた)を復旧させないことを決定。また、だめ押しのように、小高地区を「災害危険地域」に指定して、家を建ててはいけない、残った家にも住んではいけない、と決めてしまった。
こうして、十数年かけて自分でこつこつと直してきた家は、倒れただけでなく、その土地での再建の道も閉ざされてしまった。

タヌパック越後の土地は、つぶれた家も全部撤去し、完全な更地に戻った
地震の後、越後での再生をめざし、周辺の安い古民家物件を探し回ったが、どこも地震で手ひどいダメージを受けていて、どうにもならなかった。

それから急転直下いろいろあって(そのへんのことは、そのうち、気持ちが落ち着いたらここでも書こうと思う)、今は生まれ故郷の福島県、阿武隈の地で再生計画を練っている。
村の人口は三千人台(平成16年1月時点で3439人)、戸数は千戸ちょっと(同、1095戸)で、越後(川口町)の五千人台、二千戸ちょっとよりさらに過疎の村である。家が千戸ちょっとしかないのに、村の面積は政令指定都市の川崎市より広い。

この地と関わってまだ9か月しか経っていないのに、すでに友人・知人は越後時代の何倍もいる。インターネットのおかげだ。
村にはブロードバンド環境がほとんどなく、FTTHは皆無。役場周辺にADSL環境を得られるエリアがわずかにあるだけで、残りはISDNも断られてしまうというネット僻地である。
しかし、首都圏からやってきたIT自営業者一家の努力で、数年前から、わずかなネット環境利用者を集めたメーリングリストがある。現村長も参加していて、どこそこでドウダンツツジが咲いたよ、とか、庭に棲んでいるムササビが子供を産んだよ、なんていう話題が飛び交っている。
そこに誘われたおかげで、すぐに知人が増えた。

この村は、ほとんどが森林に覆われていて、しかも、雑木林が多い。越後では、手入れを放棄してしまった杉林ばかりで嫌になっていたけれど、ここでは宮脇昭さんがいう「潜在自然植生」にかなり近い森がまだあちこちに残っている。
これは本当にすばらしい。

しかし、当然、いい面ばかりではない。ブロードバンドが来ていない以外は生活面での不便さはさほどないのだが、目に見えにくい部分で、いろいろな闇がある。
まず、住む人々の心の中に、過疎地特有の問題がいろいろ潜んでいるような気がする。
さまざまな補助金、交付金、援助金、公共事業受注のうま味を知っているため、お上への依存体質や、利益誘導体質が根づいてしまっている。

例えば、住民になった時点で、電力会社からなんだかよく分からない名目のお金が支給されるという。福島第二原発がそばにあるからだ。
福島第二原発は隣町にあるのだが、原発への依存度は、周辺住民の心に大きな影響を与えている。
この村の中を原発から首都圏への高圧送電線が村を通ることになったときも、交換条件でテレビの共同アンテナが設置されたり(高圧線の影響で電波障害が起きるからというのが理由だが、もともと山に囲まれた地だから、高圧線がなくても難視聴地域である)、道路がたちまち整備されたり、いろいろな「恩恵」があった。道路がよくなったというような恩恵は、実際に今、僕も享受しているわけだ。

過疎地に暮らす人たちには、地場産業だけで経済力をつけることは到底無理だ、という諦めがある。実際、子供たちの多くは、就業年齢になると村を出ていく。
しかし、個々の村民が自力で金を稼ぐ努力と工夫をしなければ、村の将来はない。景気のいいとき、ゴミや危険物を押しつけられるのも過疎地なら、金がなくなったとき、まっ先に切り捨てられるのも過疎地なのだから。
人口が少ない=税収入が少ないのに、行政は広いエリアをみなければならない。
ということで、過疎地には当然、それなりに国などの上位組織からお金を注ぎ込まなければならない。
民営化民営化と浮かれているような単純な論理で過疎地を料理されたらたまらない。
森林などは、そこに存在するというだけで国全体の大切な財産なのである。木を伐って売ったらいくらというような発想で向かい合っていいはずがない。
だから、過疎地の政治や暮らしには、上位団体や大企業から、うまく助成金や補助金を引き出すしたたかさも必要だろう。
しかし、それにどっぷり浸かってしまったら、社会的動物として生きていく基本的な力を失い、心のバランス感覚もおかしくなる。それが病巣となってじわじわと広がっている過疎地が日本全国にたくさんある。
この病巣が広がらないようにするには、賢いリーダーと、それを支えるブレーン、そしてなにより、そこに住む人たちの自立心と向学心が必要だ。

昨日、近くの町(人口2万人弱。近くといってもここからは50kmくらいは離れている。このへんでは10kmはご近所、50kmは隣町という感覚)で「碧い月」という喫茶店をやっている女性からメールがあり「滝桜を見に来ていてうちに寄らないとはどういうことよ」と怒られてしまった。
彼女は『マリアの父親』のときからの読者で、今も「作家 たくき よしみつ」を見捨てないでいてくれる貴重な存在。これ以上不興を買わないうちにと、片道1時間かけて行ってきたのだが、なかなか面白かった。

まず、この喫茶店、すぐそばの工務店が大家で、喫茶店をやりたい彼女のために、「じゃあ、うちのモデルハウス代わりということで」と、近所の地主から土地を借り、建ててくれたものだそうだ。建坪16坪、ロフト付きの木造建築。壁は国産の唐松材。これで800万円。
ちょうど工務店の社長もいたので話を聞いたところ、「国産材が安く手に入ると言っている業者はたくさんあるけれど、うちほど安く入るところは滅多にない。極端な過疎地の製材所に行って、まとめ買いしてくるから安くできる」とのこと。安い輸入材に対抗するためには、生半可な企業努力では追いつかないということだろう。
この工務店では、壁と屋根材、床材なしで、構造部分(土台柱、立柱、屋根の垂木など)だけのミニハウス自作キットというものもやっている。これは6畳で10万円、12畳で18万円。自分で家(というか、作業小屋のようなものを想像したほうがいいかもしれないが)を建てようと思ったとき、いちばん難しいのは構造材の加工だが、その部分は全部刻んで組み立てられるようになっている。壁や屋根は、用途や予算に応じて自分でなんとかする(もちろん、屋根屋に頼んでもいいわけだが)。
よくあるミニログハウスキットは、同じ規模で100万円くらいするから、予算がない人がとりあえず挑戦してみるには面白い。個人が、自力で柱を買って加工したとしても、10万円ではなかなかできないはずだから、お買い得ではある。
アルミサッシの窓やドア、流しなどの備品も、解体現場から運んできた中古品ならただ、もしくはただ同然で分けてくれるという。
こういう商売は、儲けがあまりないから普通の企業はやりたがらない。大きな公共事業を1つ請け負えばドンと金が入るので、どうしてもそっちのほうに目が向く。それでも、民間の細かな需要に応えていくこうした姿勢こそが大切なのだ。「あそこになら仕事を任せられる」という信頼にも結びつくだろう。

碧い月は存在そのものも十分面白いのだが、建物の中にも面白いものがあった。ギタリストの小馬崎達也さんのアイデアによる、会津の三島町産桐を使った「桐のスピーカー」
オーディオスピーカーは普通、木製のボックスと紙製のコーン(振動部分)から成っているが、「桐スピーカー」は、桐の板1枚がその両方を兼ねている。こんなものから音が出るの? と不思議に思うのだが、KAMUNAをかけてみたら、ゆったりとした癒し系のサウンドが店内に流れ出した。
あまりの心地よさに、久しぶりにアルバム1枚(KAMUNAの『Orca's Song』)を最後まで聴いてしまった。
MP3ファイルをイヤホンでしか聴かないような今の若者たちには、この贅沢は分からないのかもしれない。音楽を聴くにはスペース(空間)が必要なのだということをつくづく実感させられた。
自分が長らく忘れていたものを思い出させてくれた桐スピーカーに感謝。
(ちなみに、小馬崎さんのサイトを見ていたら、三島町産の桐を使ったギターも紹介されていて、その製作者が茶位工房にいた小林一三さん。小林さんは、茶位工房時代に、僕が愛用しているメインギター「松子」と「杉作」を作った人。世の中、狭いなあ)

三島町は、30代の頃、何度か訪れたことがある。移住を考えていたのだ。
あの頃から、首都圏にはもうまともな家は持てないと思い、自然の豊かな場所に安く手に入れられる家を探し始めていた。
町役場を訪れて、古民家の売り物件はないかと訊いたりもした。あの頃、三島町では町長が頑張って、なんとか地場産業を成長させたいといろいろやっていた。それをニュースで見て、興味を持ち、訪ねてみたのだが、役場としては、村外者に土地を売るという考えはなくて、その代わり、都会の人に擬似的な故郷を持ってもらおうという、民泊+地元の特産品の出資者募集のような企画を展開していた。
僕たち夫婦は、あくまでも自分の家を持ちたかったので、そのときは話が進まなかった。
その後、越後に280万円で土地と古家を購入してからは疎遠になっていったのだが、最初に移住を考えた町として、今でも親近感を持っている。
桐スピーカーを見て、ああ、三島町もまだまだ頑張っているんだなと、嬉しくなった。

桐スピーカーは、そのうち30万円くらいで売り出したいらしい。お金のあるオーディオマニアには売れるかもしれない。
実際に音を聴きたい人は、試作品が「碧い月」にあるから、行けばいつでも聴ける。
構造上、超高音と超低音が出ないが、想像していたよりずっとすばらしい音だ。
これも、過疎地で生きていくためのビジネスモデルのひとつ。

今のところ、僕が阿武隈に定住するためには、ブロードバンド環境がないことがいちばん大きな障害になっている。しかし、これは数年内に解決するだろう。
過疎地で暮らすことは、石油があるうちは特に不便はない(もっとも、石油がなくなれば都会の生活こそ壊滅だろう)。
いちばんの問題は、心の問題である。これから先どうなっていくか分からないが、ゆっくりと向かい合っていきたい。

余談だが、阿武隈で残りの人生を過ごそうと決めてから、すぐに「abukuma」というドメインを探した(我ながらドメイン廃人ぶりに苦笑)。.COM/.NET/.ORGなどは全部取られていたが、.IN が空いていたのですぐに取得した。まだ活用していないが、そのうち、阿武隈を拠点とした活動や、阿武隈文化圏活性化のために少しでも役立てられたらと思っている。


桐のスピーカー
●これが桐スピーカーの試作品
(左が表側、右が裏側から見たところ)


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