たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2002年5月7日執筆  2002年5月14日掲載

森トンカツ

今月の30日は、元ブルーコメッツのメンバー、井上大輔(井上忠夫)さんの命日である。井上さんは2年前に自殺した。病気を苦にしてとか、いろいろ言われたものだが、人の心を他人が分かるはずがない。改めてご冥福を祈りたい。

さて、井上さんが作曲した歌は数多いが、その中でも、最も知られているのはブルーコメッツ時代の大ヒット『ブルーシャトー』(作詞・橋本淳、作曲・井上忠夫 1967年3月発売)ではないだろうか。また、『ブルーシャトー』といえば、同時に「森トンカツ、泉ニンニク……」という奇妙な替え歌のことを思い出すかたもいらっしゃるに違いない。いや、むしろ、あの頃子供だった人には、本歌(もとうた)よりも、むしろこの替え歌のほうが思い出に残っているかもしれない。

実は、あの替え歌の「作者」は、当時小学校六年生だった僕なのだ。

この話は今までにも何度か書いたことがあるのだが(例えば、10年くらい前、雑誌『自由時間』の巻頭コラムにも書いた)、なかなか信じてもらえない。
一度、テレビ誌の取材で、明石家さんまさんにインタビューしたことがあった。そのとき彼は『オレたちひょうきん族』というフジテレビの人気番組で、ブラックデビルというキャラクターを演じていて、即興の歌や替え歌を流行らせるのが得意だった。それで『森トンカツ』に話題が及んだ。
さんまさんに、「実は、あの替え歌を作ったのは僕なんですよ」と言うと、「へえぇー。そら兄さん、それだけでこの世に生まれてきた意味がありましたワ」と言われてしまった。

僕はちょうどその頃、やっと掴んだレコードデビューのチャンスをつぶしてしまった後で、食うために雑誌の記者をしていたときだったから、その言葉には結構傷ついたのだが、もちろんその場ではそのままさらりと受け流して終わった。インタビュアーの立場だったし……。
後日、テレビを見ていたら、別の番組で、たまたま、さんまさんが『森トンカツ』の話をしていて、「世の中には、あれを作ったのは俺や、と言い張る人がぎょうさんいてる」と言って笑っていた。やっぱり、ハナから信じてもらえていなかったらしい。
そんなこともあって、この話は僕にとってはそれほど楽しい話でもないのだが、興味を持ってくれる人も多いので、この場でもう一度書いてみようと思う。

僕は子供の頃、いわゆる歌謡曲というものをほとんど聞かないまま育った。母親が片寄ったセンスの教育ママタイプで、僕に「下品な歌謡番組」を見せず、クラシック中心の「高邁な音楽教育」を授けようとしたためだ。2歳半でピアノによる音感教育を受け(家は極貧で、ピアノはおろか、室内にトイレもなかった環境なのに)、その後、鈴木メソードでバイオリンを習わされた。練習が嫌で、小学校に上がる頃には、すっかり「音楽嫌い」になってしまっていた。

6年生のとき、水元君という転校生がやってきた。
彼は最初誰とも口をきかず、クラス委員だっだ僕が積極的に声をかけても、返事もしなかった。
その彼が、ある日の休み時間、突如として発狂したかのように、満面に笑みを浮かべて大声で歌い始めた。
「タ~コ~ヤ~キ~、君の~タコヤキ~」
クラス中の子供がギョッとして彼を見た。
メロディーは、当時やはりヒットしていたスパイダースの『夕日が泣いている』(浜口庫之助 作詞・作曲)だった。
しかし僕は、彼の突然の奇行よりも、その歌のメロディーの新鮮さにショックを受けていた。
「歌謡曲などという下品な音楽は聴いてはいけません」という母親の呪縛が、水元君の奇行のおかげで吹き飛んだ。また、同時に水元君も、クラスに溶け込むことができた。

それをきっかけに、僕は新興宗教に入信した信者のように、母親の目を盗んでは、当時ヒットしていだ歌謡曲を聴き、大声で歌い始めた。その中にはもちろん『ブルーシャトー』も入っていた。
ところがこの歌、どうにもフレーズの間の休符部分がもどかしく、「合いの手」のようなものを入れたくなる。
最初は「かァこォ~まれテンドン」の部分が自然発生的に生まれた。鹿児島弁のようなニュアンスが受けて、周りにいた友達がみんな真似して「かァこォ~まれテンドン」と歌っては大笑いした。
そのうち、その部分だけでは物足りなくなり、僕は真剣に、各フレーズの尻に食べ物の名前を付けていくことを考え始めた。
「森トンカツ、いずみニンニク、かぁコンニャク、まれテンドン、静かニンジン、眠ぅルンペン……」
二度目の「に」は、ニンニクがすでに出ているからニンジンにしたり、「る」で始まる食べ物がどうしても思いつかず、散々悩んだ末に、「ルンペン」という言葉で妥協したことなど、今でもよく覚えている。
こうして替え歌(正確には「付け加え歌」?)史上最大のヒット曲『森トンカツ』は生まれた。もちろん、この時点では、『森トンカツ』は、僕らのクラス、6年4組の中だけで冗談のように歌われていたにすぎず、外に広まっていくなど誰も思いもしなかった。

しばらくして、クラスのみんながこの替え歌に飽きて忘れた頃、放課後、教室の掃除をしていた僕は、この懐かしい歌を耳にした。
窓の外を見ると、下級生が数人、この替え歌を歌いながら下校していくところだった。自分が「発明」した替え歌が、クラスの中だけでなく、学校中に広まったことを知って驚いた。
さらに数か月後、父親が買ってきた「週刊朝日」で、この替え歌の全国的ヒットを伝える記事を読み(僕は父が家に持ち帰る雑誌にはほとんど目を通すマセガキだった)、さらに驚いた。

……これが『森トンカツ』誕生秘話である。
もちろん、小学生の頃の記憶だから、多少あやふやなところがあるかもしれない(例えば、水元君は、水本君だったかもしれない)し、どこか別の場所で、同じような経緯で突発的に別バージョンの『森トンカツ』が誕生した可能性も否定できない。
それでも、僕は、あの替え歌を悩んで作ったときのことも、その後、下級生が歌いながら帰るのを見て驚いたことも、鮮明に記憶している。
ちなみに、さびの部分を「きっと~あな~たワンタン……」などと歌うバージョンもあるが、あれは僕が作ったのではない。さびの部分も作ろうとしたのだが、ちょっとしつこいと思ってやめたのだ。だから、後になってさびの部分にワンタンだのノリタマだの入れ込んだ歌を聴いたときは、そこまでやると無理があって、かえって白けるんだよ、と思ったし、「かあこーまれ」の後は「テンプラ」じゃなくて「テンドン」にしないとノリが悪いんだよなあ、誰が変えちゃったんだよ、などと憤慨もした。

『森トンカツ』には、今でもいろんなことを考えさせられる。
例えば著作権のこと。『森トンカツ』は著作権を侵害したことになるのだろうか。もしそうだとしたら、著作権保護の名の下に、替え歌やパロディが許されない世の中は息苦しいなあ、とも思う。
10年以上前のことだが、『パンツの穴カセット』という変な仕事をしたことがあった。雑誌の読者投稿から生まれた『パンツの穴』という映画の第3弾として、アニメ版のビデオとカセットを作ったのだが、高校生が投稿してきた替え歌をカセット版『パンツの穴』に入れようとしたところ、本歌(もとうた)の作詞者がまだ存命だと分かり、作詞者の了解を得ないとまずいということになった。

替え歌のほうは、こんな歌だった。


そうざん そうざん うむのがはやいのね
そうよ とうさんもはやいのよ
  (替え歌作詞・よしおか)

問題があるので、本歌が何かは書かない(バレバレだって!)。
で、本歌の作詞者に、収録許可を願う連絡を誰がするのかという話になり、ディレクターとも相談した結果、ついに収録を断念した。(ちょっと根性が足りなかったかもしれない。よしおか君、すまん!)
このときも、それじゃあ、替え歌で売っている芸人さんなどはみんなどうしているんだろうと、考え込んでしまったものだ。

しかし、いちばん考えてしまうのは、音楽がヒットするという現象や、人間が持っている成功運のことだ。
自分が音楽家として成功しないのは、あのときに「ヒットの運気」を無駄に使い果たしてしまったからなのではないか。小学生のときのどうでもいいお遊びが全国的なヒットになり、大人になってから真剣に心を込めて作曲している音楽はなかなか世に出ない。それは、自分に与えられた「ヒット運」を、『森トンカツ』で一生分使い切っているから……そう考えると、なんとも皮肉だ。
もしかして、僕は、ランプの精がかなえてくれる「3つのお願い」を、うっかり、どうでもいいことに使ってしまった大馬鹿者なのかもしれない。

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