昨夜から喉が痛くなり、今日(25日)はとうとうテニスを休んでしまった。絶好のテニス日和だったのに……無念ぢゃ。
数日前、川崎の仕事場に戻ってきた。
阿武隈にいると、毎日草木や蛙や野鳥を見て、写真撮っているだけで一日が過ぎていく。今年はなんとか小説の新作を書き上げたいので、単身仕事場に戻ってきた。ここでは仕事しかすることがない。
それにしても通信回線の速度の差は人間の生活リズムをこれだけ変えてしまうものなのか。阿武隈では
ISDN(NTTでの商品名はINSネット)しか引けないので、大きなファイルのアップロードなどは、風呂や食事の前にFTPソフトを立ち上げる。テレビを見ながら食事をしていると、忘れた頃に仕事机のほうからピロリロリ~ン♪と女性の声がして(そういう音声ファイルをセットしてある)、FTPが終了したことを知る、というか、FTPしていたことを思い出す。
このAICもほとんど読まなくなる。アスパラクラブの入り口に接続した途端にブラウザはしばらく止まったようになり、そこからログインして、「読み物」→「AIC」とたどるだけでたっぷり3分はかかるのだ。これではとてもじゃないが気軽に読むわけにはいかない。自分の書いたコラムがきちんと掲載されているかどうかを確認するために、週に一度はアクセスするようにしているのだが、手順が分かっていてもたどり着くまでに数分。その数分間は、時間をとても損した気持ちになる。
川崎の仕事場ではFTTHだから、そんなのは瞬時で完了する。
ネットで調べ物を始めても、どんどん次のページが開くので、気がつくと何時間もディスプレイを見続けている。
これも、病気になる原因だ。
だからまあ、速ければすべてよしというわけではないのだが、現代のネット環境で、もはやブロードバンド以外は使い物にならないことは確かだ。メールの送受信にしても、毎日千通以上のspamが来るようになると、Spam Mail Killerなどのspamフィルターソフトを常駐させておくことが必須になり、これまたISDN環境ではspam削除に何分もかかってしまう。
NTTに電話回線を申し込むとき、なぜADSLもFTTH(NTTの場合は「Bフレッツ」)も無理なのか訊いてみた。
うちは村を通り抜ける幹線道路から少し入ったところにあり、とんでもない山の中というわけではない。幹線道路沿いには昔の電話ボックスのような中継機(RT)ボックスも点在している。
実はこれこそが悪名高き「光収容」というものだったのだ。
光収容というのは、電話局から岐線点(幹線から各家庭に向けた個別配線が別れる分岐点)までが光ファイバー、岐線点から各家庭までの配線区間はメタル線になっている状態をいう。
光ファイバーが各家庭に直接入り込むFTTH(Fiber To The Home)に対して、FTTC(Fiber To The Curb)ともいう。Curb(縁)とは、幹線から各戸への分岐点にあたる道路の「縁」ということらしい。光ファイバー1本でメタル線数十本分がまかなえるそうで、かつて、NTTではさかんにこの「光収容」を推進していた。
タヌパック阿武隈も、この光収容のエリアにあるわけだ。
FTTCは、FTTH化するまでの途中段階的な意味合いもあるが、問題は幹線部分の能力。
なんと、かつてNTTがやっていた光収容はISDNを想定していて、144kbpsという、今では考えられないような遅さのシステムだった。その後、ADSLが出てきて、アナログダイヤルアップと大して速度が変わらないISDNはあっという間に過去のものとなったことは周知の通り。
田舎では、この「光収容」がまだまだ残っている。都市部郊外では、ADSL対応のために、光収容で一旦敷設した光ファイバーを次々にメタル線に戻していったという笑えない話もある。ADSLはメタル線でしか使えないからだ。
しかし、収益が見込めない過疎地は取り残されてしまった。FTTHへの第一歩であったはずの「光収容」のおかげでADSLが不可能になってしまったのだ。
阿武隈ではISDN回線でさえ申し込みを断られる家もある。そのエリアのISDNの回線数が足りないかららしい。
NTTとしても、今さら将来のないISDN回線を増強するような無駄なことはしたくない。かといって、FTTHになれば必要なくなるADSLという「過渡的処置」を実現するために、今からわざわざメタル線を引く気はない。本命のFTTHにするには根本からの投資が必要で、すぐにはできない。まさに八方ふさがり状態。
今どきアナログダイヤルアップでインターネットをやろうという人はいない。そんなストレスを抱え込むくらいならインターネット接続はスッパリ諦めるということになる。実際、村の中ではそういう人たちが何人もいる。
かくして、日本全国にこうした「ISDN地獄地域」がたくさん残されてしまった。
アナログダイヤルアップでみんなが遅かった時代は、ちょっとでも速く、安定したISDNにも意味があったが、今は一時期のISDN政策がブロードバンド化への最大の障壁となってしまっているわけだ。
理解できないのは、なぜ日本だけがそれほどISDNという将来性のない方式にこだわっていたのかということだ。NTTがせっせとISDNを推進していたとき、欧米ではすでにDSLを採用し始めていた。DSL(Digital Subscriber Line)とは、従来のメタル電話線を使いながら、とりあえずは高速通信ができる方式の総称で、ADSLもそのひとつ。速度上限が圧倒的に足りないISDNなどよりよほどよいに決まっているのに、なぜNTTは無視したのだろう。
無視するどころか、NTTは当時、ADSL導入はISDN推進の障害になるといって導入をつっぱねていた。ISDNがDSLよりはるかに速い速度を出せる優秀な方式だというなら分かる。経過処置的なADSLに中途半端な対策費をかけるより、一気に日本全国ISDN化するのだ~と主張することもできるだろう。しかし、逆なのである。
64kbpsという遅い速度の回線で、今後何十年も日本の情報網を支えられると本気で考えていたのだろうか? まったく不思議である。
それで最後まで無視するならともかく、他社が導入を始めて評判になると、2000年末からNTT自身でもADSL導入に方針を切り替えた。「光収容」の光ファイバーから外してメタル線に戻すなどという無駄なことをせざるをえなくなったのはそれからだ。
なぜ、そこまで泥沼化してしまったのだろうか。
これは、NHKがアナログハイビジョン方式にこだわり続けたこと以上に理解しがたい。
かつて
「福知山線事故は明治政府の責任?」でも書いたが、国や大企業の偉い人が一度判断を誤ると、後々まで、多くの人が不幸を味わうことになるという一例だろう。
さて、阿武隈に光がくるのはいつのことになるのか。僕が生きているうちに光はくるのだろうか。
政府は2010年までには日本中をブロードバンド化すると言っているが、本当に実現できるのか?
テレビのアナログ地上波放送を全廃することに固執しているような国がやることだから、あまり信用できない。
過疎地にとって通信環境は道路と同じで、まさに「経済生命線」である。通信環境さえ整えば、過疎地に移住、移転できる人や企業がたくさんある。現住民も、通信環境さえあれば、都市の人々や企業に対抗したビジネスチャンスを得られる。
民間企業であるNTTに任せているだけでは、過疎地のブロードバンド化は絶対に進まないだろう。経済原理に反していることなのだから。
難しそうなら、経過処置としての案を積極的に出し、補助金予算などを組んでほしいものだ。
例えば、電力会社によるFTTHを過疎地で助成金付きで進める。膨大な原発関連補助金の使い道を少し変更すればできるのではないか?
喉の痛みをこらえながら、こんなことを書いている川崎の仕事場生活は、やはり身体によくないわ。