2006年8月25日執筆 2006年8月29日掲載
定義の問題
冥王星が「惑星」から「矮(わい)惑星」(ATOKの辞書には載っていないので変換しなかった)に「格下げ」されたそうだ。
惑星とはなんぞや、という定義が、今までは曖昧だったらしい。
で、改めて「十分な質量があって、ほとんど球形になり、恒星を回る、恒星や衛星以外の天体を惑星と呼ぶ」と定義したらどうか、というような話がまとまりつつあったらしい。
「十分な質量」ってどのくらいなのかと、突っ込みたくなるところだが、具体的には、「重さが地球の約1/10000以上で直径800キロ以上」あたりを考えていたようだ。
地球の1万分の1以上でも「十分な質量」というのも今ひとつよく分からないのだが、この線でいくと、火星と木星の間にある「ケレス(セレス)」、冥王星の衛星とされていた「カロン」、昨年アメリカで発見された「2003UB313」(もうちょっとマシな呼び名を早く考えたらんかい)が加わって、
水星、金星、地球、火星、ケレス、木星、土星、天王星、海王星、カロン・冥王星(互いが互いの周りを回る2重惑星)、2003UB313 ……
……ということになりそうな気配も一時あったらしい。そうなっていたら、
すいきんちかけれもくどってんかいかろめいにいまるまるさんゆーびーさんいちさん……って、なんだか円周率を小数点以下延々と暗記するような雰囲気になっていたかもしれない。
まあ、そうはならなくてよかった、と思っている人が多いんじゃないかしら。
もともと、海王星とカロン・冥王星は軌道が重なる部分があって、だいぶ前にも「今日から、すいきんちかもくどってんかいめい、ではなく、すいきんちかもくどってんめいかい、になりました」とか言っていたような気もする。そういう面倒もなくなったわけだ。
で、今回の結論としては、
「惑星とは、
・太陽の周りを回る自らの重力で球形となる天体
で、なおかつ
・軌道上で圧倒的に大きい天体
ということになったらしい。
この一連のニュースを見ていて思いだしたのは、かつて『朝まで生テレビ』で、2回、原発の是非を巡る討論があったときのシーン。
反原発側の論客として呼ばれた槌田敦氏(当時は理化学研究所研究員)が、議論の途中ですぐにぷいっと横を向き、
「定義の問題です」
と、吐き捨てるように言っていた。
そんなのは熱くなって議論するような問題ではなく、何をどう定義するかというだけのことだ、という意味なのだが、どんな議論のときにそれを言っていたのかは忘れてしまった。
彼に言わせれば、天動説と地動説も、どっちに視点を取るかだけの話で「定義の問題」ということになるらしい。
そこでまた思いだしたのが、ごく最近何度も聞いた言葉「心の問題」である。
「それは心の問題ですから」
と繰り返し、議論を避けた人がいた。
考えてみると、あれもまさに「定義の問題」である。
無茶な戦争に突き進んだ国の権力者・指導者たちを、死んで「神様」になったとして祀ることに対して、傷ついたり怒ったりする人がいる。
それこそ「祀る」とは何か、「慰霊」とは何か、「戦犯」とは何か、といった定義の問題だ。
靖国神社が宗教法人だから、「政教分離」の原則によって国が指導的立場に立てない。いっそ宗教法人でなくなってもらって、特殊法人にしてしまえば国が指導できる、と言っている自民党次期総裁候補もいる。
そんなことをしても、「ついに国が主体となって軍国主義復活を国民に植えつけ始めた」と取られ、ますます事態を混乱させるだけだと思うが。
宗教法人とは何か、というのも定義の問題ですね。
オウム真理教も宗教法人として認められていた。宗教法人になってしまえば、納税免除など、とてつもなくおいしい立場が手に入る。
本来、宗教は「心の問題」だから、政治が介入するのは極力控えましょうということなのだが、「宗教法人」となると、利権や政治がからみ、「心の問題」ではすまされない。
「冥王星が惑星から追放されちゃうなんて、かわいそう。私の守護星だったのに」
と嘆く少女に、
「それはね。定義の問題だからしょうがないんだよ。そもそも惑星というのはね……」
と説明し始めるか。
「それはね。きみの心の問題なんだよ。きみの心の中ではいつまでも冥王星は大切なお星様として生き続けている。それでいいじゃないか」
とはぐらかすか。
日本人はどうも後者の選択が好きなようではある。
でも、本当は、「心の問題」を守り抜くためには、言葉による戦いを尽くすことも必要なのだろう。
……ん? なんか、どっかの新聞社のキャンペーンみたいになってしまったかな。
●「アンテナ山」にて
(2006年8月25日 福島県川内村)
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